第3話 四国連絡の客車列車の旅

 10時47分。列車は定刻に岡山駅を出発。先頭の機関車の汽笛が鳴る。連結器を通して次々と客車たちも機関車にひかれて動き出す。これまで静かだった客車内には走行音とそれにともなう風が容赦なく入ってくる。このあたりは平地なのでそれほどでもないが、蒸気機関車の煙もまた窓から入ってくる。しかも今は夏も真っ盛り。どこも多かれ少なかれ窓を開けている。なかには日よけの幕や鎧戸を下ろしつつも窓を開けているところも。もっとも、宇野線は少なくとも茶屋町まではトンネルもないから、特に窓を閉めなければいけないこともない。

 列車は街中を軽く走って次の大元に停車する。ここで岡山港までの岡山臨港鉄道と連絡している。駅舎のある国鉄のホームを少し南に歩けば、駅舎で切られた向こうに岡山臨港鉄道のホームがある。ちょうど10時54分発の岡山港行の気動車が客待ちをしている。今日は日曜日。しかも午前中であるから、それほど客が乗っているようには見えない。


 よつ葉園の子どもたちは、滅多に出かけられない列車の旅をそれぞれ思う存分に楽しんでいる。車窓に釘付けになっている子もいれば、おしゃべりに余念のない子もいて、楽しみ方はそれぞれ。その子たちを、私生活でも子育ての始まって間もない母親でもある保母が優しき微笑を浮かべつつ、仕事として接している子どもたちの様子を見守っている。その目が届かないところを、大学の教育学部に通う大学生がフォローしている。彼もまた、近い将来仕事として子どもたちの相手をすることとなるであろう。今は、その予行演習みたいなものか。

 周囲の他の乗客たちは、親子連れもあれば買い物帰りの客もあり、また、少しばかり遠出をする若者も。皆、それぞれの目的でこの列車に集い、そして目的地へと向かう。まさに、お客はいろいろ。それは、よつ葉園の子らも例外ではない。


 大元を出発した客車列車は、再び南へと進み始める。郊外をゆっくりと進み、次の備前西市は入線前に軽く汽笛を鳴らして通過。高梁川を渡ると、田園が左右の車窓に広がりはじめる。妹尾に到着。ここで岡山からの客がいくらか降りていく。この列車の進行方向から見て右側に、妹尾駅前の街並は、駅舎のある場所を中心に広がっているが、右側はまだ開発されておらず、一面の田園地帯である。

 妹尾を11時ちょうどに出発し、さらに岡山県南部の穀倉地帯を走る。ただこのあたりから、米の他にい草を植えている田が増えてくる。この地域は米の他にい草も生産している。夏場の今頃からがちょうど刈り時。四国方面から職人が渡ってきて農家に泊り込み、さらにはアルバイトの大学生なども雇って早朝から刈取りする。当時は今ほど暑くなかったとはいえ、日中になるとかなり暑くなるため、涼しい早朝未明からい草を刈る作業に入るのだそうである。

 この年の梅雨明けは7月11日。今日もまた、典型的な夏日である。


 三等車よりもはるかに落ち着きのある雰囲気の二等車は、半分程度の乗車率。

 昼前の四国連絡の客車列車らしく、地元客よりも他の街からの客が多い。車掌は岡山出発後大元を出てから二等車の検札をしている。唐橋氏は等級変更の追加額を払って車内補充券を車掌から受取っている。

「唐橋君、この夏休み期間はどのくらいの仕入れが必要そうかな?」

 三等車に比べていくらかゆったり目のボックスシートの進行方向に腰かけて若い男性に話しかけているのは、元陸軍軍人で米穀店を経営する山藤豊作氏。

 唐橋青年は、業務上必要なことをあらかじめ山藤氏に伝えておくべくこの車両に来ている。養護施設の職員というのは、子ども相手に遊んでいるだけで何とかなるものではない。実際彼のような男性職員は、確かに年長の特に男子児童の世話をするという仕事もあるが、それ以上に施設の運営面での仕事の比率も高い。今ほど福祉に携わる人材が多くなかったこの頃は、なおのことである。彼は延長の業務の補佐というべき仕事も請負っており、山藤氏のような業者との折衝も仕事のうちなのである。

「普段とほぼ同じくらいでお願いします。こんな感じでしばらくは何人か食い扶持も一定の割合で減りますからね。もし余りそうなら少し減らしますし、足らなさそうなら早めにご連絡します」

「食い扶持が減る、ねぇ。何だか、農村の口減らしみたいであるな(苦笑)」

 山藤氏がいささか呆れながら、言いたくもなるようなことを抑えつつ、自らの思うところを述べる。

 一方の唐橋青年、これも仕事のうちと、その実情を忌憚なく述べる。

「いやあその、毎年夏はこの××院さんのおかげで、食費が実際助かっている側面もありまして。ええ。お金の寄付もありがたいですが、この事業では、食事の寄付に加えて子どもらに娯楽と慰安を与えてくださって、本当に感謝です」

「海水浴場も、さらに賑わいが増して結構な地域貢献ではないかな」

「そうですね。それもあります」


 彼らの隣のボックスでは、東京発の急行安芸から乗換してきた中年の男性客が向い合せで座っている。夏物のいささか涼しげな背広上下とネクタイの、いかにも仕事で出向いている管理職以上の会社員のようである。

「朝は安芸の食堂で食べておいたけど、昼は、連絡船で食べておこう」

「そうだな。宇高連絡船の讃岐うどんは名物だからね。これも旅の一興よ」

「今日は高松から松山までまた急行だ。松山に着いたら道後温泉に浸かって一杯行きたいものだねぇ。夏目漱石の坊ちゃんの頃に比べりゃ、さすがに美味いものもないわけではなかろうし。ま、高松から松山までは昼に出て夕方だからね。車内で何か食べるほどのこともあるまい。どうせ食堂車もないし」


 列車は田園の中にぽつりと建つ寺と墓地のある備中箕島を通過し、程なく早島に停車する。ここは早島町の玄関口。このあたりにもなると、い草を生産している田がさらに増える。岡山県はい草の産地として知られているが、その中でも特にこの早島町が産地としてよく知られている。この早島でも、いくらかの乗降客がある。

 早島を出発してわずかな市街地を抜けると、ゆっくりと左に曲がって程なく停留場扱の久々原を通過する。時刻は11時を10分ばかり回ったところ。


 列車は11時11分。定刻に茶屋町駅に到着した。

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