第4話 茶屋町から、下津井への軽便に

「山藤さん、例の件は園長に明日にもお伝えいたします」

「頼むわ。それじゃあ唐橋君、気をつけてな」

 四国に向かう山藤氏と窓越しに挨拶した唐橋指導員は、程なく、後ろの車両から降りてきた山上保母と子どもたちの団体に再合流した。

「それでは、これから改札を出て向うの電車に乗りますから、皆さん、山上先生の指示に従って、向うの電車にのりましょう」

 唐橋指導員の号令の後、他の一般客が改札をすべて通るを待って、山上保母を先頭にボランティアの大学生と子どもたち十数人が降りて行った。その後、唐橋指導員も自ら改札をくぐり、少し離れた軽便電車へと向かう。


 茶屋町は宇野線のほぼ中間にあり、茶屋町(ちゃやちょう。後1972年に倉敷市に合併)の中心駅。ここは急行列車迄すべての列車が停車する中間駅。

 この頃はまだ特急列車の設定はなかった。後に設定された特急列車は宇野行の時代も瀬戸大橋開通後もすべての列車が通過しているが、当時は急行まで。しかしながら急行列車は当時も後も全列車停車するだけあって、駅前も、妹尾や早島と同等以上に栄えている。

 ここからは、倉敷方面へのバスが出ている。各地へのバスより先に、児島方面への鉄道がすでに大正時代に建設されている。下津井軽便鉄道を経て現在は電化されて下津井電鉄と呼ばれており、小型の電車が児島を通って下津井まで走っている。下津井からは丸亀への航路もあるが、この頃は既に宇野線と宇高航路が四国連絡のメインルートになっていたため、乗継客はあまりいない。

 宇野線は単線区間であるが、この茶屋町駅は上りと下りで合計3ホームがる。しかしながらこの時間帯は上り列車との行き違いはない。列車は駅舎のある1番線に停車し、程なく宇野に向けて出発していった。


 山上保母を先頭にした一行は、国鉄の茶屋町駅を出て少し南側にある下津井電鉄の茶屋町駅へと向かった。もう一つの茶屋町駅の改札に入り、目の前に停まっている電車に子どもたちは次々と入り込んでいく。誰も欠けていないことを山上保母が確認して、唐橋指導員に報告した。

「乗り遅れた子は、いらっしゃいませんね」

 かねて子どもらの団体がこの時期にあることを知っている女性車掌が、唐橋指導員に尋ねてきた。この軽便鉄道では、若い女性を車掌として雇用している。

「はい。今年もお世話になります」

 度々利用していることもあり、彼はこの女性車掌とかねて面識がある。


 下津井電鉄は、線路幅が762ミリのナローゲージと言われる線路を走る。この手の鉄道は昔から「軽便鉄道」と呼ばれていた。要は、軽くて便利な鉄道ということである。

 女性車掌の合図をもとに、電車のドアが閉まる。かくして宇野線の客車列車に遅れること4分、定刻に電車は下津井に向けて出発した。


 

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