第12話 公私交えたランデブー

 東下津井を出ると、鷲羽山、琴海、阿津、備前赤崎の各駅にこまめに停車しながら児島へと電車は進んでいく。児島競艇場が目の前にある琴海駅では、対抗列車とのすれ違いも行った。女性車掌は、またもあの男性客が反対列車の女性車掌を見ていただけでなく、すれ違い後に手を振っていたこともしっかり確認していた。備前赤崎を発車後、成瀬車掌は車内巡回をした。当然、唐橋青年の目の前にも来た。

「今さっき、対向列車の大山の洋子さんに手を振っていたでしょ?」

「いやあ、知合いだから、あいさつしただけ」

「じゃ、また。あ、と、で」

 他の乗客に変に勘繰られないよう、軽く会話をしただけでその場は終った。


 電車は児島駅に到着した。これから岡山方面に出向く客が乗車してくる。それに比例して、成瀬車掌の業務も忙しくなる。

 昨日来た道を逆に、電車は茶屋町へと再び坂を超え、今度は昨日の勾配を下って倉敷川を渡り、天城駅に停車。今日は公立高校の補習でもあるのか、茶屋町方面に向かう高校生が何人か乗車してきた。

「御乗車お疲れさまでした。間もなく電車は終点の茶屋町に到着いたします。国鉄宇野線の宇野・岡山方面、下電バスの倉敷、興除方面はお乗換です」

 何度も聞き慣れた女性の声が、マイクを通して拡声器から伝わってくる。この声を何とか独り占めしたいといういささかよこしま(邪)にも似た欲望と評されても仕方ない思いを持ちつつ、唐橋青年は先頭車両で平静を装い移動中。この後丁度昼飯時の時間を茶屋町駅で列車待ちして、13時過ぎの普通列車で岡山に戻る。岡山に戻ったらまずはよつ葉園に立寄って報告と事務処理をすれば、今日は早めに仕事が終わる。

 それもそのはず、夕方にはこの電車に乗っている女性が岡山にやってくるのだ。


「間もなく、天城に到着いたします。お出口は左側です。それから、御乗車中のお客様にお知らせいたします。岡山市からお越しの唐橋修也様、御乗車でいらっしゃいましたら、天城駅発車後、後ろの車両の車掌室にお越しください」


 倉敷川の鉄橋を渡って程なく、彼女は案内放送をした。

 天城駅発車後、唐橋青年は後ろの車掌室となっている運転台に来た。

「折り返すまでの休憩時間、シュウ君も列車待ちでしょ。今日はお弁当作って来ているから、一緒に食べよ」

 昼食をどうしようかと考えていた唐橋青年にとって、彼女の提案は渡りに船以外の何物でもなかった。

「わかった。あと、今日はうちに来て泊まるんでしょ」

「ええ。嫁入り前の乙女に乱暴な真似したら承知せんよ。あと、あれもきちんと用意シテル?」

 彼女の言う「あれ」とは何かは、ここで指摘するだけ野暮というものであろう。

「あたりまえや。ハナちゃんの体型に急な変化が起こったら困るからな」

「何度も変化起こさせてあとはイッサイ知らんなんか、許さんけんね!」


 電車は定刻に茶屋町駅に到着した。ここでしばらく待合わせ、13時過ぎの宇野からくる気動車の普通列車に乗って彼は岡山に戻る。

 彼の幼馴染でもある女性は、この後この列車の折り返し列車に乗務して下津井まで戻り、それから任務を終えてこの軽便電車と宇野線の列車を乗り継いで夕方には岡山に来る予定。実を言うと、彼女はこの日岡山到着後よつ葉園に来て森川一郎園長に唐橋指導員とともに挨拶することになっている。その挨拶がどういう意味を持つものかは述べないでおこう。下津井駅にある乗務員詰所には、彼女が今日この後来ていくべき服が彼女の私物用ロッカーに出張っている。


 運転手と車掌は、この茶屋町で30分ほど休憩を取れる。女性車掌は茶屋町駅で列車待ちをする男性客と落ち合い、茶屋町駅前のベンチで昼食をとった。ちょうどこの昼食時間帯、列車の発着はないため客の出入りもほとんどない。この後の列車で岡山方面に向かう客はいるが、国鉄駅の近くのどこかの店に行ってしまうため、こちらの駅に残って何かをする客はいない。

「この後下津井に着いたら、折返しの列車に便乗してすぐ岡山に向かうから」

「それでいい。ぼくはいったんよつ葉園に戻って森川園長に業務報告をして、それからもう一回岡山駅に出て東口の中央改札に初奈ちゃんを迎えに行く」

「その後すぐ、市役所に一緒に行くンでしょ?」

「そらそうよ。森川園長にけじめつけて出直して来いと言われているからな」

「けじめはいいけど、今晩、何食べる?」

「初奈ちゃんの生(なま)。それ以外ない」

「この馬鹿!」

 そう言いつつ、彼女は相手の急所を軽く握った。幸い他人の視線ははない。

「冗談冗談。明日はぼくら休みだから、とにかく外に出よう。あの街中なら何かあるし、夕方なら子どもらにばれることもまあなかろう。それより何より、山上先生にばれずに済むのが大きいよ」

「山上先生って、今××院に引率で行っている、あの保母さんのことね。結婚して子どもさんもいらっしゃる方でしょ」

「そう。他の保母はまだしも、あの人にばれるのだけはバツが悪くて。あ、別に変な関係は何もないからな。大体、3歳年上でしかも既婚者だからね」

「そんなことは疑ってないからいいけど、あの先生には、バレてないの?」

「今のところはね。他の車掌さんに手を振ってあいさつしたりしているから。何なら子どもらと一緒にね。夏の出先でぼくらの関係が発覚なんてないはずや」

「そういう意図があって、大山さんや中田さんに手を振っていたのね。ハナを妬かせるためかと思いきや」

 少し安心したような表情を見せた婚約者に、彼のたきつけるような一言。

「実は、ハナを妬かせる気も、ないわけでは・・・」

「こら!」

 彼女の利き手は再度、隣の男性の急所へ。今度は軽くたたいた。先ほどよりも感触が少し違う。どのように違うかは、言わぬが花というものであろう。

「いやいや、これは本当に冗談なしに、大山さんも中田さんも顔見知りだし、言い訳ならいくらでもできるからな。車掌のおねえさんに手を振っていただけだって。それが即ハナちゃんに限らず大山さんや中田さんと付合っているなんて解釈、いくら子どもらでもせんじゃろう。あと、山上先生も」

 持参した水筒のお茶を相手の唇近くまで持って行って飲ませながら、鉄道会社の制服姿の女性が夏場に合せた軽装の若い男性に、いつになくやさしい声で述べる。

「じゃあ、ハナとシュウ君の関係は、何とかここまで隠し通せたってこと?」

「そういうこと。今週末あたりはもう、ばれても・・・」

 制服の女性は、もう一度水筒のお茶を彼の唇に押し付けて、一言。

「むしろ、見せつけてあげよっかな~」

 唐橋青年が初奈嬢の名札のない左側の胸の頂上を、人差し指で軽く突いた。夏用の制服の下の下は、かねて勝手知った場所。その頂上の位置までの土地勘は、彼にはもう十分ある。

「こらあ!これ以上触ったら警察呼ぶわよ」

 人に聞かれない程度の声でそう言いつつ、初奈嬢は相手の手をひっぱたくように振り払った。警察を呼ぶとまで言う割には、その本気度は限りなくゼロだ。


 折返しの時間が迫っている。独身男女としての交際も残すところあとわずかの男女は、誰に遠慮することもなく手を振ってそれぞれの行先に向った。

 その姿は、どこにでもいる若い男女のいっときの別れ際の姿であった。


・・・・・・・ ・・・・・ ・

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