第13話 帰りの軽便電車にて

 岡山に一足先に戻って業務報告する唐橋指導員と別れたよつ葉園の第1班は、自由食堂に勤める浅野青年の引率で下津井港の釣り場に向った。

 釣りをすること約3時間。それなりに釣れた模様。釣れなければいくらか漁港で魚を買って帰る算段ではあったが、今日の夕食を賄えるくらいの魚が釣れた。釣れた魚は浅野青年と何人かの男子児童が持って××院に持って帰ることに。

 昼過ぎまで釣りをした後、彼らは下津井港近くの食堂に入った。ここでタコ料理が振舞われる。この食堂も、よつ葉園の子らが来るにあたって毎年好意にしてくれている店であり、児島まで来た際には必ずどこかで1日、下津井までの遠足を入れてこの店で昼食をいただくことになっている。

 タコ料理の店で舌鼓を売ったよつ葉園の一行は、この後下津井駅から児島駅まで朝来た道を電車で戻った。車掌は朝来た時の女性ではなく別の電車に乗務していた女性だった。朝来た時の女性車掌は、なんと、乗客としてその電車に乗っていた。


「浅野君と磯貝君、子どもたちをお願いね」

 30歳に近づいている保母は、後ろの車両にいる女性のもとに歩いて行った。


 子どもたちと引率の青年たちは、前の車両に乗っている。

「山上先生、何をされるつもりだろうね」

 浅野青年の疑問に、磯貝青年が答える。

「どうやら、あの車掌さんと話があるみたいや。何の話かは分からんけど」

「磯貝君、あれひょっとして、オレ思うに」

「唐橋先生のこと?」

「そうじゃ。釣りしているとき少し話したじゃろ。実はオレ、去年もこの奉仕活動に来たのよ。何かなぁ、唐橋さんとあのおねえさん、車掌と乗客にしては、接触する機会が多いのよ、妙に。今年だけじゃないよ。就職した最初の年は来ていないからわからんけど、少なくとも去年も、今年みたいな感じやった」

 浅野青年は昨年もこの事業に関わっていて、唐橋指導員と接触があった。一方の磯貝青年は岡山大学の2回生。今年初めて先輩となる法学科の大宮哲郎青年の紹介でこの事業に参加することとなったため、唐橋指導員の人となりをそれほど知っているわけではない。少し間をおいて、彼は2歳下の料理人に尋ねた。

「まさか浅野君、決定的な場面でも見たの?」

「いや、さすがのそれは、ない。だけど、中卒のオレでもあの人らの動きは普通の関係じゃないと気付いたくらいだからね。磯貝君もよく見ていたらいい。間違いなくあのお二人さん、「できて」ルデェ」

 子どもたちは、それぞれ話に夢中になるか少し疲れ気味で休むかしている。

 彼らが何か積極的にかかわる必要のない状況下、電車の音を隠れ蓑にして、子どもたちにわからないよう大人の会話をしている。年齢は磯貝青年のほうが2歳上ではあるが、彼らは同じ小学校出身で旧知の関係でもある。


「成瀬初奈さんですよね」

「はい」

「今朝、この電車に乗務されていませんでしたか?」

 下津井駅を発車して間もなく、山上保母は、乗客として乗車している女性車掌を見つけ、思うところを尋ねてみた。

「ええ。確かに乗務していました。実はこれから岡山に用事がありますので、今から向かっているところです」

 彼女は涼し気な夏物の私服を着ている。その薄手の色が下着の形と色をそれとなく見せている。

「うちの唐橋君と何やら打合せをされていたようですけど、成瀬さんは唐橋君と古くからのお知合いですか?」

 電車は今、下津井駅手前の大カーブを走っている。彼女の同僚が次の停車駅を案内している。列車は程なく東下津井に到着。電車のモーター音がいささか静まる。今時の電車のように走行中も車内が静かということはない。大体冷房もなく窓も開けっ放しである。ついでに言えば扇風機さえない。蒸気機関車の牽引する客車列車ほどではないが、この小さな電車でさえ、駅に停車しようものなら静かになる。

 同僚の車掌が、乗降の確認とタブレットの交換にいそしんでいる。

「唐橋君とは小学校の同級生で中学までお互い知っている程度でしたけど、この度よつ葉園さんが夏の海水浴を実施され始めてから、仕事上に限らずお会いするようになりました。ですので、毎年夏のよつ葉園さんの海水浴の際は打合せの窓口になるよう会社からも言われておりまして」

 彼女の言うことに嘘はないとは思う。だけど、ちょっと今のその服装といい、彼のことを話すにあたっての不自然なほどの平静さにいささか違和感を持たずにはおれない山上保母は、かねて思っていたことを尋ねた。

「ここだけの話で申し訳ありませんけど、まさか成瀬さん、あなた、唐橋修也君とお付合いされている、なんてことは・・・」


 列車はホームが一面だけの鷲羽山駅に到着した。ここは観光の玄関口だけあって駅員も配置されている。何人かの乗車客がこの駅でもある。

 電車は程なく鷲羽山駅を発車し、さらに登り勾配を進む。程なく、丘の上から瀬戸内の海が広がる。目の下に競艇場があるのがいささかその風光明媚さを欠くところではあるが、これのおかげで児島市の財政が潤っていることもあるし、何よりよつ葉園はこの手の方面からの寄付もあるので、そう悪く言うわけにもいくまい。


「はい。この5年来、お付合いしております」

 有休を取得した女性車掌は、悪びれることなく回答した。何か嫌味なことを言われるのかと、平静を装いつつも彼女は一瞬心の中で身構えた。目の前の穏やかな瀬戸の海と裏腹に、彼女の心の中には太平洋の荒潮が来ているかのようである。

 だが、その懸念は杞憂に終わった。

「そうですか。(彼と)うまくいくといいですね」

 既婚者の先輩として山上保母は答えた。少し年長の保母のその言葉には、嫌味も下世話感も感じられない。心の中の大波は、ほどなく引き潮を迎えたようである。

「ありがとうございます」

 山上女史はさらに踏み込んでいろいろ聞きたいとは思ったものの、それはさすがにはばかられた。一方の初奈嬢はというと、これまで山上保母に自分たちの交際が発覚しなければと思っており、現にそこは細心の注意を払ってきたつもりではあったが、いささか人生の先輩である保母の先ほどの言葉を聞いて安堵した。非礼を詫びる弁を述べ、山上保母は前の車両の子どもたちのいる場所に戻っていった。


 海の見える場所から幾分下り、楠本理容室と看板の書かれた散髪屋の横を過ぎた電車は、片面だけのホームの阿津駅に到着。ここでまた地元客が数人乗車。

 今日は月曜日で組合系の散髪屋は定休日。楠本理容室も利用組合員なので定休日である。その散髪屋の親族か誰かが一人だけここで下車。どうやら、下津井に海産物を買いに行った帰りの模様。手にはタコの入った袋を持っている。

「くすもっさん、明日散髪よろしく」

 声をかけたのは、山上保母より数歳年長の男性運転士。彼は明日休みなのか、散髪に行くらしい。一回り少々年長の下車客が答える。

「明日なら朝がええ。早めに来てな。息子は昼から忙しいからのう」

「ほな、それでいきますわぁ。息子さんによろしく!」


 電車は備前赤崎でさらに乗降を経て、児島市の中心地である児島駅に到着した。よつ葉園の第1班はここで降り、改札を出てバス乗り場に。程なく倉敷方面へのバスが出る。彼らはそのバスに乗って、宿泊先の××院に戻っていった。

 一方、岡山にむかう初奈嬢は、そのまま乗り続ける。茶屋町駅に到着したらその足ですぐ宇野からの各停の気動車に乗って岡山へと向かわなければならない。


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