新しい気動車で岡山へ
第14話 新しい気動車で 新郎編
交際相手の女性と別れ、唐橋青年は国鉄宇野線の茶屋町駅の改札を通って目の前のホームにたどり着いた。
ほどなく、彦崎駅を定刻に出た3両の気動車列車が茶屋町駅にやってきた。
ここでの降車客はそれほどいない。その代わり、岡山方面に向かう乗客はそれなりの数がある。さすがに急行まで停車する駅だけのことはある。
彼は前の車両の中ほどの進行方向右側のあるボックス席の進行方向窓側の席に座席を得た。茶屋町で、ほぼ全部のボックス席とロングシートの席の一部が埋まる。ここから岡山方面に向かう客は存外多い。児島方面からの乗換客も多いが、この茶屋町から乗車する客も少なからずいる。
13時3分。軽くタイフォンを鳴らしたバス窓の3両編成の新型気動車は岡山に向けて出発。平地を少し軽く走ると、もう次の停車駅久々原。西側に1面だけの駅であるが、国鉄の運転業務上は停留所扱。ここでいくらか乗車客を拾った気動車列車は、再びエンジンを軽くうならせつつ早島へ。
早島にも定刻に到着。ここでまた、わずかな降車客を吐いた後、気動車はドアを通して乗車客を幾分その車内に吸収していく。い草の産地として名高い都窪郡早島町の中心駅だけあって客車列車は準急や急行以外のほとんどの列車が停車する。
早島を出ると、次は備中箕島。ここも久々原同様、西側1面だけの停留所扱の無人駅である。時間を見て、車掌のうちの一人が車内の検札に回ってくる。この駅のホームの手前にはお寺があり、線路を挟んで東西には墓地もある。
このあたりまでは進行方向左側こそ幾分開けているが、右側は一面の田園地帯。稲作もしくはい草の栽培が盛んにおこなわれている、まさに肥沃なる吉備の国を象徴する地域である。
この日も夏真っ盛り。外の気温は30度を超えている。この気動車には扇風機の設置もないが、それでもこの肥沃な田園地帯を快走していれば、窓から風邪も入って来るというもの。なかには煙草を吸っている客もいる。向い合せのボックス席の窓の下には、幸いにも灰皿が用意されている。窓を開けていれば副流煙の心配はそれほどない。今ならそれでも十分問題になるであろうが、当時は喫煙に社会全体が寛容であったから、それで特に問題になることはなかった。
備中箕島駅を出た気動車は、さらに次の停車駅妹尾へ。ここは都窪郡妹尾町の中心駅で、準急列車の一部も停車するほど昔から開けている地である。岡山駅まで10キロを割っており、すでに岡山市のベッドタウンとなりつつある。実際この妹尾町は1971(昭和46)年に岡山市に編入された。
しかしながら1958年当時は、上り列車から見て進行方向左側の駅舎のある側こそ昔からの街並みが広がっていたものの、線路を挟んで反対側は、まだまだ一面の水田地帯。この地が開発されるのは、それから数十年後のこと。現在では地元資本による高層マンションが林立しているが、当時はそこまで栄えてなかった。
月曜日の昼下がりとはいえ、列車にはさらなる乗客が乗って来た。古くから栄えていた妹尾町の中心駅だけのことはある。妹尾を出ると、間もなく高梁川の鉄橋を渡った先は、これまた片側だけのホームにして停留所扱の備前西市駅。この駅は後に移転して上下列車をすれ違える設備をつけた。さらに昨今では乗降客の増えて日中に岡山とこの駅の間を往復する普通列車も新設されているが、当時はそこまで開けていなかった。道理でこの日もこの駅で乗降する客はほとんどいなかった。しかしながら、この日の気動車の乗客は少しばかり立客も出るほどいる。
備前西市の次は、大元。岡山臨港鉄道の連絡駅でもある。ここでもまた、岡山の街中やそれより先に向かう乗客がさらに乗ってくる。平日の昼下がりとはいえ、立客も目立つほどになった。立客は、車站部のロングシート付近にある吊革につかまる人も多いが、デッキの近くに立っている人も。中には、車両の中ほどのクロスシートの通路側に設けられた手すりを握っている人もいる。
大元駅を出て機関区と貨物駅を左側に見ながら高架を走り抜けると、そこは中国地方最大の鉄道ジャンクションである岡山駅。列車は宇野線のホームに入線した。この3両の気動車は、この後また、宇野行の各駅停車となる。
唐橋指導員は岡山駅に降り立ち、地下道をくぐって西口の改札へと急いだ。ここでタクシーを拾って乗車すること10分弱。彼は自分の職場に到着した。領収書を作成してもらい、よつ葉園の門をくぐって事務所へと入っていった。
「唐橋君、ご苦労さんじゃった」
森川一郎園長は事務室に出てきており、真っ先に幹部職員である彼を迎えた。
「それでは、報告をお聞かせ願う。園長室に来られたし」
「わかりました」
唐橋修也児童指導員は、昨朝からの一連の業務内容を報告した。それに加え、関係各所からの伝達事項も伝えた。この2日間で自分がかかわった分の精算は、園長室に行く前に書記の女性に領収書等を手渡している。
「立替分の金は、小畑さんに精算してもろとるな?」
「はい。そんなにはかかっておりません。それから、米屋の山藤さんに行きの列車でお会いしまして、二等車で打合せをしております」
唐橋指導員は、昨日山藤氏との打合せ事項をメモした紙を森川園長に渡した。
「よろしい。それでは、米とみその発注は少し減らそう。この海水浴が終ったら次は盆休み。帰省する子もおるし、わしら職員も交代で休みを取るからな」
昨日の列車で自らの発した言葉も、ここで報告しないわけにはいかなくなったのであろうか、唐橋氏は愚痴をこぼすように言った。
「何だか、口減らしを大っぴらにやっているような気分になりますね。こんなことを申し上げたら、山藤さんに呆れられました」
森川園長は、人生の大先輩として一言だけ、若い児童指導員に訓戒を与えた。
「山藤君が貴君のその言葉をどう思われたかはわからんが、確かに、口減らしという指摘は当たっておる側面もあるにはある。とはいえ、その口減らしとやらができるのも、××院の住職さんや自由食堂のマスターさん他、多くの皆さんの善意あるが故。この仕事に限らず将来どんな仕事についても、そこははゆめゆめ忘れてはならんぞ」
しばらく園長室で話した後、森川園長が話題を変えた。
「本日これから、貴君はけじめとやらをつけに行かねばならんのう」
「はい。彼女はこの後16時前の列車で岡山駅に着きます。東口の中央改札で落合ったその足でタクシーで市役所に行って提出してまいります」
「その文書は、ちゃんと持っておるな」
「はい。こちらに」
唐橋指導員は自分の鞄を開け、件の文書を提示した。
その文書をじっくりと確認した森川園長は、ここで業務命令を発した。
「よろしい。行って参りなさい。帰りに一度うちに寄ったら、今日は帰ってよろし。明後日の朝、彼女を同伴の上朝9時までに出勤してください。あと、行き帰りの交通費はこれで。領収書はあとで小畑さんに」
そう言い終えた後、森川園長は500円を与えた。これだけあればタクシー代も賄えよう。唐橋修也児童指導員はその500円札を拝領し、昨日出勤時に乗ってきた自転車でよつ葉園を離れた。まずは南方の自宅に戻って自転車を置いて荷物をまとめなおし、その足で成瀬初奈嬢と数時間ぶりの再会に向かう。
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