第11話 そしていよいよ下津井で

 東下津井駅は上下両面にホームがあり、列車の行き違いが可能な構造である。ここで下津井駅を先ほど出た列車とすれ違う。タブレットは、女性車掌が駅長を通して授受することになっている。成瀬車掌は反対列車の女性車掌が線路を渡って持ってきたタブレットを駅長を通して受取り、その対価として持ってきたタブレットを駅長経由で相手の車掌に渡す。

 駅長がポイントを変える。まずは茶屋町方面の信号が青になった。茶屋町に向けて対抗列車が走り去ると同時に、今度は下津井方面の信号が青に。電車は下津井に向けて最後の一走りを始める。

 このあたりは道路がきれいに通せず、電車もまた隙間を縫うように大きくカーブして下津井へと向かわざるを得ない。そのおかげでこの鉄道は後に茶屋町から児島までを廃止したのちも生き残れたが、瀬戸大橋建設の資材運搬のための道路ができたことが、この軽便鉄道の致命傷となった。もっともそれは30年ほど後の話。


「次は、終点の下津井です」

 簡単な案内を終え、成瀬車掌はやって来た同年代の男性客に声をかける。

「シュウ君、さっき中田のノブちゃん(信代・対向列車の車掌)を見とったろ」

「なんでそんなこと? 列車の行き違いを子どもらと見とっただけで、子どもらと一緒に車掌のおねえさんに手を振っとっただけじゃ。まさか、相手の中田さんのほうが若くてかわいいのか、って?」

 実際、対向列車の車掌は成瀬車掌より3歳若い。

「こら!」

 女性車掌は他の客に見えないように、男性客の足を軽く踏んだ。

「では、唐橋センセー、下津井駅に着いて一行をお見送りされたら、駅長室まで来てくださいね。お伝えしたいことがありますので」

「なんか卑猥なことして捕まるみたいな話じゃな、ま、ええわ、下津井駅で」

 そそくさと逃げようとする同級生を、彼女は制した。

「待ってシュウ君、まさか他に女の子を南方の家に呼んだなんてことは」

 ある意味女性にわいせつ行為をして捕まるよりきつい問いかけかもしれないな。そんなことをふと思った唐橋青年、少し顔を赤らめつつも答える。

「ねえよそんなん。ハナちゃん以外呼んでないって。大体よつ葉園の給料、他の施設より良くなったけど、何人もの女の子と遊び回れるほどの金はないよ。ただし、ハナと一緒にいるためのお金は、この限りでない」

 職場の上司で経営者でもある森川園長のもとによく遊びに来る岡山大学の法文学部法学科で学ぶ大宮哲郎青年からかねて聞いている法律の知識を駆使して答えつつ、唐橋青年は女性車掌の名札を右手の人差し指でつついた。

「じゃあお金があったら、私以外の女の子も呼ぶって?」

「そんなことせんわい!」

 そう言ってまた、彼女の名札を今度は左の指で少し強めにつついた。あちこちの開けられた窓から、車内に瀬戸内の海風がさわやかに入ってくる。

「これが胸に直接だったら思いっきりひっぱたくところだけど、今仕事中だから、仕返しはあとで、ね」

 彼女は、名札のないほうの胸を相手にいささか突き出す素振りをした。

「わかったから」

 その頂上を指でつつくか、どうせなら手でまるごとわしづかみにしてやりたい衝動をなんとか抑え、唐橋指導員は前の車両に戻って行った。

 女性車掌は、彼の後姿を見つつも仕事の顔に戻った。

 列車はほどなく、終点の下津井駅に到着した。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


 唐橋指導員はよつ葉園の一行の先頭に立って下津井駅の改札を出て、駅舎の前で子どもたちの点呼をした。特に迷子になっている子はいない。

 一行はこの後、下津井の港の少し外れに行って釣りをすることになっている。昼過ぎまで釣りをした後、自由食堂のマスターの知合いの店でタコ料理をいただき、それから電車とバスを乗継いで宿泊先の××院に夕方までには戻る予定である。

 浅野青年を先頭に、よつ葉園の子どもと引率者たちは下津井の港へと歩いて向かい始めた。一行が見えなくなるまで見送った後、唐橋青年は駅舎に戻った。


「唐橋さん、駅長室にどうぞ」


 同世代と思われる若い男性駅員に声を掛けられ、彼は駅長室に入っていった。駅長室に成瀬車掌はいない。駅長にお茶をいただきながら、しばらくこの夏の案件での打合せをして、彼はホームに停まっている電車に乗込んだ。

「唐橋君、あんた、成瀬さんを幸せにせにゃおえんぞ。大体、いつまで待たせよるんなら。行かず後家なんかにしてみ、あの娘さんの御両親に一生恨まれるで」

 下津井駅長とも唐橋青年はかねて顔見知りであり、彼らが交際していることもこの駅長にはとっくに知れている。ドアは空いているが、まだ運転士と車掌は控室から出てきていない。下津井駅から乗る客は、この時間はあまりいない模様。

 無論、下津井地域に知人のいない彼の知っている客はいない。


「シュウく~ん。おっ、まっ、たっ、せぇ」


 書く方も思わずハートマークを入れて書きたくなる雰囲気の口調で色気をほのめかすように言いつつ、女性車掌が男性客の肩をポンポンと叩いた。

 横にはなぜか、その男性客の顔見知りで彼らより少し年上の運転士もいる。

「唐橋君。お久しぶり。ハナちゃんとうまくやっとるかぁ~?」

 顔を赤らめつつも、唐橋青年は目の前の男性に答える。

「いやあその、さっきはちょっと怒られまして。どうせなら、その名札なんかよりあそこでも触ってあげたらよかったかな、と・・・」

「もっかいやられんとわからんの?!」

 他の客に聞こえないように小さな声で一言述べ、今度はさっきの逆の足をちょっと強めに踏みつけてきた女性車掌。彼らの間に立つ運転士がさらに一言。

「こりゃあー、どう見てもうまく行っているとしか思えんな。あ、車内では商品、ごめん間違えた、ハナちゃんに手え出したらいけんでぇ~(笑)」

「そんなことしませんって。手を出すンなら、以下略です」

「そうそう。以下略のところで、可愛いハナちゃんとうまいことやっちゃえ!」

 運転士の合いの手(愛の手?)に、女性車掌が顔を赤らめながら言う。

「以下略については、どこでどんなふうにか、あとでしっかりお聞きするわ」


 かくして乗務員たちは持ち場に着いた。唐橋青年はごく普通の一般客としてこの下津井から茶屋町、そして岡山へと向かう。

 11時17分。電車は茶屋町に向けて定刻で発車した。

 つい1時間ほど前に通った大きなカーブを通り抜け、東下津井に停車。ここで地元客が何人か乗降する。下津井に用のあった人はここで降り、これから児島の街に用事のある人はここから乗って児島に出る。先にも述べた通りこの地域は道路を通しにくい地形のため、下津井電鉄は平成の初めまで重宝されていた。

 瀬戸大橋開通後に道路が整備されてそれがこの鉄道の廃線につながったが、それは30年以上後の話。この頃はまだ今ほどもクルマ社会ではなく、軽便鉄道は地方の足として重宝されていた。それは、この下津井電鉄も例外ではなかった。

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