下津井からのランデブー
第10話 下津井への遠足
お寺の朝は早い。いつもなら夏場は朝6時から朝のお経を唱えるが、今日は少し遅めにすることとなっている。
朝6時30分。よつ葉園で起きる時間と同じ時に、子どもたちは起こされた。それから顔を洗って身支度をすること30分。7時には、山上保母と磯貝青年に連れられて本堂にやって来た。
「おはようございます。今日は、皆さんが今こうして生きていることに感謝し、これから先楽しく幸せに生きていけるよう、仏様に感謝のお祈りを捧げましょう。このお寺におられる仏様は、いつも、皆さんを見守ってくださっています。よつば園の皆さんがこうしてこのお寺に来られたのも、仏様のお導きによる御縁です。一宿一飯の恩義という言葉があります。与えられたものへの感謝の念を込めて、私たちとともにお経をあげましょう。お経がわからない子は、唱えなくても構いません。お経をあげている間、手を合わせて仏様にお祈りしてくださいね」
副住職の言葉を受け、住職がお経を読み始めた。お経は15分程度読まれた。
「これから本堂のお掃除をしましょう」
今度は、本堂のある母屋の掃除。大人たちの指示のもとに、雑巾がけや庭の掃き掃除を子どもたち総出で一所懸命目の前のほこりや塵をとる。掃除には唐橋指導員はじめ職員も引率の大学生も参加する。今日の掃除には20分程度の時間が費やされた。
掃除を終えて離れに戻ると、すでに朝食が用意されている。
白いご飯とみそ汁、それに漬物だけの質素な朝餉。
それでも子どもたちはおいしそうにごはんとみそ汁を口に入れていく。沢庵がおいしいせいか、お替りも進む。加えてごはんもうまく炊かれているから、食が進まぬはずがない。女の子でさえいつもより多く食べている。男の子らは言わずもがな。
この日の朝は昨日の昼同様、唐橋指導員も子どもらと一緒に食事をとった。昨晩は打合せのため子どもたちと食べていないが、このように子どもたちと食事を共にするのも、この仕事における重要業務の一環なのである。
食事を終えて少しばかり休んだところで、昨日調理場に来ていた浅野茂夫青年が離れの食事をした場所にやって来た。
「今日はこのあと、皆さんと一緒に下津井まで遠足に行きます。昼は、下津井名物のタコ料理をいただきます。それから、下津井の港で釣りもします」
今日は塩生の海水浴場ではなく、下津井への遠足の日。お寺のお坊さんたちはそれぞれお寺の仕事があるので、奉仕活動の一環としてこのお寺に来ている自由食堂の従業員である浅野青年がよつ葉園の子どもたちを引率することになっている。
下津井は有名な漁港でもあり、タコの産地としても有名である。浅野青年の勤める食堂の知合いが営む食堂で今日の昼はタコ料理をいただけることになっているが、そちらもまた先方の好意による招待である。
養護施設は、様々な人たちの有形無形の寄付や好意によって成立っている。子どもたちにとっては押し付けに感じるものやこともないではないが、そうしたきっかけの一つ一つが、子どもたちの人生に何かの影響を与えていくこともあるのだ。
しばらく休憩した後、浅野青年とともによつ葉園の子どもたち、それに引率で来ている大学生と職員らは××院を出て、昨日やって来たバス停に向った。程なくバスが倉敷方面からやって来た。これに乗って、再び児島駅に。
ここから昨日来た電車の先の先まで乗っていった先に、下津井という地はある。
・・・・・・・ ・・・・・ ・
児島駅の時計は、9時30分を少し回ったところ。茶屋町から小ぶりな電車がいくらかのお客を乗せてやって来た。さほど混んでいるようでもない。児島市内に用事のある客がすべて降りたところで、子どもたちは山上保母とボランティアの青年たちの号令に従って電車内に入った。唐橋指導員は後部の車両に行きたい思いを抑えつつ、子どもたちの乗車をしっかりと確認して共に先頭の車両に乗り込んだ。
程なく、列車は児島駅を出発した。
備前赤崎、阿津、そして琴海と各駅に停車してこまめに乗客の乗降を終えた2両の小さな電車は、丘の中腹をゆっくりと走る。駅に近づくたびに、女性車掌の声が拡声器から伝わってくる。どうやら、昨日の車掌さんのようだ。そのことに山上保母と磯貝青年、それに子どもたちの何人かも気付いた。
唐橋青年は、何事もないかのように平静を装っている。
進行方向左側の窓には、瀬戸内の海が広がる。はるかかなたには、四国高松の市街地も見える。もっとも目の前には、児島市の財政を潤わせている施設のひとつである児島競艇場がデンと存在しているのだが、これが風光明媚なはずの風景に良くも悪くも影響を与えている。そのうち列車は鷲羽山駅に到着。後にこの駅の近くに大型遊園地ができたが、当時はまだ小さな集落があるのみ。とはいえここは景勝地としても名高く観光客の需要があるので、駅員が常駐している。だが今は月曜の朝。観光客はいない模様。地元客が何人か降り、その代わり下津井に用事のあるこれまた地元の客が後ろの車両に何人か乗車した。女性車掌が乗客の切符を確認している。
そういえば、この列車は児島を出てこの方、前の車両には誰も乗って来ないな。自分たちの一行の他は、児島から乗車した人たちが何人か。
ハナちゃん、もとい車掌が検札に来ないのも無理はないわな。
唐橋青年がそのことに気付いたちょうどその時、マイクのスイッチが入った。
「次は、東下津井です。それから、お客様にお知らせいたします。岡山市からお越しの唐橋修也様、御乗車されていましたら、東下津井駅発車後、後ろの車両の車掌室までお越しくださいませ」
ハナのやつ、こんなところで自分を呼ばなくたっていいだろうに。
唐橋青年の顔が少しばかり変化した。そのことに、浅野青年が気付いた。
「唐橋先生、何かありましたか?」
男性児童指導員は平静を装って、他施設の卒園生に答える。
「何でもない。一応、ここに来るときは毎回下電さんに挨拶しているから、そのことで何か連絡事項があるのよ」
山上保母は何か気づいたようではあるが、こちらも平静を装ったまま子どもたちをいつものように見守っている。
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