第33話 土曜の昼の海水浴帰り
××院に帰り着いたのは11時30分頃。すでにおにぎりといくらかのおかずが用意されていた。これから帰るにあたって、小さな子らにあまり食べさせては移動中に支障が出ることも考慮しての措置である。
あわただしく準備する中、3日前に乗ったタクシーの運転手の中のが××院の離れにやって来た。タクシー4台が、すでに正門前に横付けされている。
「皆さん、今年はよう来てくださった。来年もまたいらっしゃいね」
多少の入退所はあるものの、一度幼い時に入ったら自立するまでいることが多いこの時代の養護施設にいた子どもたちは、毎年行われるこの行事で知合っている人も多い。この住職さんにしても、子どもたち一人一人の顔と名前はほぼ一致するくらいになっている。幼い子どもたちはともかく、4人の女子中学生たちはこの行事が始まった年から毎年1度は必ずも来ており、完全に顔と名前も一致している。
今回も彼女たち4人と山上保母がそれぞれ子どもたちを取りまとめ、それが終ったら保母と大学生の二人が先頭の国安運転手のタクシーに乗った。彼らにとっては朝の1時間の海水浴に引続き、二人だけの時間である。
「どうじゃ、君ら、お互い仲良うしとったか?」
「はい、おかげさまで」
そう答えたのは男子大学生のほう。
「そりゃあよかった。磯貝君、横の保母さんとうまくやっていけそうか?」
「それはまあ、その、イッショーケンメイ頑張ります」
「何を頑張るつもりじゃ。子作りとか今から言うなよ」
ベテラン運転士の突っ込みに、青年はシャキッと答える。
「それにつきましては、もう目処が立ちました」
「まさかもうできたとか言うなよ」
「今は使うべきものは使っていますので、大丈夫です」
「そういうレベルの目途が立つ、かな。ま、御馳走様じゃ」
ここで、横に座る保母が一言。
「春クン、そういうことはもう一人前ですから」
「なんか嫌味なこと言うなぁ」
「だってそうじゃない。あ、明日も彼と会います」
「磯貝君、明日も御馳走か?」
「いやその、ぼくより少しおばさ・・・」
「おばさんだぁ?!このマセガキ!」
「痛い痛い。ごめん景ちゃん。この御礼は明日・・・」
「なんの御礼?この***!」
痴話の投げ合いをする二人に、同じ年の差カップルの先輩が一言。
「ま、その調子ならうまく行きそうじゃのう」
タクシーに乗ること数分で児島駅に到着。
12時20分過ぎの電車でここから茶屋町まで戻り、それから国鉄の列車に乗換して岡山には午後1時台に着く。電車が下津井方面からやって来た。かなりの客が乗降する。駅員と女性車掌の誘導で、子どもたちは保母らとともに後ろの車両の前側にまとまって座ることになった。
不測の事態に備えて、磯貝青年と太田保母は少し離れた位置で移動することに。今日は高校生が多い。女子高校生の薄い制服が、青年の目を引く。
磯貝青年にとっては喜ばしい状況? ではあるが、近くに幼児もいるし4人の女子中学生には彼女との関係をほぼ完全に悟られている上に隣には交際中の女性もいるため、いろいろな意味でリスクの高い状況である。
電車は児島駅を発車。途中で降りる高校生男女が目立つ。今日は児島高校の補習や部活動があるからか。今日の乗務は先日下津井に行った時の高田車掌。ベテランだけあって落ち着いて業務をしている。人も多く特に伝言もないいので、彼女はこの列車では特に関係者に話しかけて来なかった。
2両の軽便電車は定刻に茶屋町駅に到着した。成瀬改め唐橋車掌が予め国鉄関係者と打合せしていた内容のとおり、高田車掌は子どもたちの団体が国鉄茶屋町駅まで行って乗車できるよう、誘導に来ていた駅員に改札から先の行先を引継した。まだ若いがすでに赤線の入っている帽子をかぶった青木助役が、子どもたちを駅まで導いた。彼はすでに準備してある切符を出札係を通して磯貝青年に渡し、代金を受取る。山上保母と女子中学生4人組が幼い子どもたちの面倒を見てくれている。
程なく、列車が彦崎方面からやってきた。今度は行きの客車列車ではなく、新しい気動車列車である。到着と同時に、青木助役が誘導していた位置に近いドアが車内より開けられた。たまたま用事があって玉野まで行った帰りの川本正文青年が、子どもたちの団体を車内に導いた。非番の日で、高校の後輩である電鉄の車掌からの依頼を受け、岡山まで同行してくれる。今日は国鉄の制服姿ではない。
13時3分の定刻で、気動車列車はドアを閉めて岡山に向けて走り始めた。この列車のドアは自動で閉まる。ガラガラガラと、いささか大きな音が出る。子どもたちにとっては興味深い音。駅長と一緒に青木助役が手を振る。川本車掌が手を振ると、幼い子供たちも一斉に手を振った。
茶屋町から岡山までの宇野線は、単線ながら平坦な路線である。エンジンの音はかつての戦闘機のように囂々とは行かず、むしろ軽快ささえ感じさせる。何より客車列車以上にフットワークも軽く、ちぎっては投げるかのように細やかに駅に停車しては発車していく。これが電車になったら、もっと軽快になることだろう。
「この汽車、キレイじゃな」
女子中学生の横に座っている幼い男の子が言う。その声に、乗合わせた客の何人かが頷く。それもそのはず、この車両はつい数年前に作られたばかりの新型気動車なのだ。戦前からずっと活躍してきた客車列車に比べはるかに新しい。中には古い客車が好きでわざわざ選んで乗るような人もいるが、利用者にしてみればそんな昔ながらの古臭い蒸気機関車の牽引する列車よりも、どうせなら新しくてきれいな列車のほうがいいというもの。それは何もこの頃の宇野線のお客さんたちだけの話ではなく、おおむねいつの時代のどの地域でも同じことである。
団体と少し離れた場所に座っている大学生と保母のボックス席に、川本車掌も便乗している。川本車掌は、彼らが交際段階にあることをすぐに察知した。
「君ら、交際しとるンか?」
あえて彼は窓側に向合って座る二人に尋ねてみた。周囲に聞こえぬ程度の声で。
「はい」
答えたのは、今度は太田保母のほうだった。
「大体引率者が本体と少し離れた場所に座るから、なんかあるなと思ったらやっぱりそうか。どうやら、もう発覚したみたいじゃのう」
「え?」
「普通君らのような引率者が、子どもらとわざわざ少し離れた場所に揃って行くものか? 多分、中学生の女の子らが機転利かせてくれとるはずじゃ」
人間の声の代わりに、そのボックスは気動車のエンジン音が支配する。そのエンジン音が、少しばかり静かになった。妹尾駅に到着した模様。多くの客が乗り、立客も目立ち始めた。ここは車両の中心部あたりなので、残りの進行方向反対の通路側の1席分はまだ空いたままであることは救いというものだろう。
「今日も朝海水浴でお坊さんが途中で来てくれて私たちだけで泳げましたし、その前も言われてみれば、中学生の4人が泳いで、私たちだけテントで待機できていましたから、そうかもしれませんね」
「そうじゃろうが太田さん。あんた、磯貝君とどんな話しとった、そこで」
「ちょっと、将来のことで。彼は教育学部ですけど、将来は教師になるよりむしろ塾を出してそれを事業化したいって」
「ほう、それもええかもな」
すでに列車は大元駅を発車している。もうすぐ、終点の岡山である。
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