第19話 幼児を連れた汽車旅へ
4台に分乗した第2班は、岡山駅西口に到着した。成瀬車掌が音頭を取って、子どもたちを駅の待合室に誘導する。そのあたりはさすがプロの仕事である。一方の唐橋指導員は、人数分、とは言っても無料の幼児が多数いるためそれほどの金額にはならないが、必要分の切符を窓口で手配した。
「成瀬さんはこちらの切符、それから、子どもたちの切符はこれです。ぼくは少し先に行って車掌さんと話をつけておきますので、あと10分ほどこちらで待って、頃合いを見て成瀬のおねえさんの指示にしたがって、駅に入って汽車に乗ってください。それでは成瀬さん、あとはよろしくお願いします」
「わかりました。唐橋先生は先に駅に入って打合せされますが、皆さんはしばらくここで待って、時間が来たら私と一緒にホームに行って汽車に乗りましょう」
「はーい」
幼い子どもたちの元気な声が待合室に響く。昨今のように子どもの声がやかましいなどという大人はいない。通りすがりの乗客らも、キヨスクの女性店員も、たまたまキヨスクに商品の納入に来た業者の男性も、そして出札係の職員たちも、誰もがほほえましく子どもたちの動きを見ている。
この日も3日前の第1班同様、10時47分発の列車で岡山駅から茶屋町まで移動することになっている。前回取引先との折衝のため二等車に乗った唐橋指導員であるが、今回は多数の幼児が同行するため、車掌のいる場所に近い車両に乗車することにした。この列車の車掌にも少し早めにホームに出向いて話をつけた。当時の国鉄は30名以上より団体旅行扱をしているが、この団体は当時の団体扱基準に当たらない。とはいえ無賃扱の幼児が多数いるため、引率する大人や付添う女子中学生らは気が抜けない。
「おーい、ヤマネさーん」
男子中学生の声がする。女子中学生のひとりが、その声に反応した。
「光岡君! 今日部活?」
「そうじゃ。山根さんはよつ葉園の海水浴じゃったな」
「うん」
「気ぃつけてな~。楽しんで来いよ~」
「はーい。光岡君も頑張ってなー」
貧困家庭の姉が幼い妹や弟を世話する感じで幼児さんたちの世話をしつつも、そこは今時の女子中学生。そのやり取りを、保母も元バスガイドの女性車掌もいちいち咎めだてたりしない。かく言われる自分たちも、つい数年、長くても十数年も前は同年代の少女だったのだから。小さな子どもたちの何人かは、少年にニコニコと手を振っている。少年も、幼い子たちに手を振り返して去っていった。
10時1分。宇野から来た折り返しの列車が宇野線ホームに到着した。ここでどうやら車掌が交代するようだ。列車が到着するのを待っていた車掌に、唐橋指導員はこの日の茶屋町までの移動にあたっての依頼をいくつかしておいた。
「わかりました。それでは車掌室のある二等車のすぐ後ろの車両に乗ってください。そこらがちょうど茶屋町駅の改札前になるから、あまり歩くことなく下津井電鉄への乗換も可能となりますよ」
後年になって都市部の駅での乗換でどこに乗れば効率的に移動できるかをまとめた本も出版されたが、乗換において無駄に歩かないで済む方策を事前に立てておくことは悪いことではない。特に今日は幼児が多数いるので、なおのことである。
唐橋指導員は、そういったことも事前に調べた上で行事に取組んでいた。
列車が到着して程なく、成瀬車掌に連れられた子どもたちの一行がやって来た。実は夫である唐橋指導員の姿を見て、成瀬車掌は彼といつも会う時のように手を上げて合図した。妻である彼女の姿を見つけた唐橋指導員も、いつも会う時のように手を上げて返す。これはしかし、仲の良い男女としての好意ではなく、団体を引率する業務の一環としてのものである。そんなことでこの二人が付合っている、まして夫婦であるなどと勘繰る人は、まずいないだろう。
成瀬車掌と唐橋指導員が合流した。まずは唐橋指導員が車内に入り、それに続いて成瀬車掌が子どもたちを連れて車内に入った。保母と女子中学生たちが子どもたちをうまく導いてくれるので、成瀬車掌の業務は大いに助かっている。
「成瀬さん、ちょっといいですか」
唐橋指導員が成瀬車掌を呼んだ。
「車掌さんに挨拶しておきましょう」
「わかりました。じゃあ唐橋先生、車掌室に行きましょう」
夏用の半そでの制服を着て「車掌」と書かれた赤い腕章を半袖の片方につけたこの列車の車掌のもとに、彼らは向った。車掌室はすぐ隣の二等車にある。車掌が気を利かせて、二等車の客室に二人を招いた。2人にとっては幸いなことにも、二等車の客室に入るドアには「二等」と書かれたすりガラスが埋め込まれている。これだと、隣の客車からこちらをうかがうことはできない。これは無論二等車の乗客の平穏な移動を確保するための措置であるが、こういうときには非常に重宝する隠れ蓑ともなる。
ひょっとするとこの若い車掌、2人の客に何かを感じたのかもしれない。
「今日は、よろしくお願いいたします」
唐橋青年は同年代の車掌に挨拶した。
「茶屋町までですね。お気をつけて。何かあったらこちらにお越しください」
「その節はよろしくお願いします」
「あれ、あなた、成瀬さんじゃないか」
この車掌はなぜか下津井電鉄の関係者とも知合いが多く、彼女もその車掌とは顔見知りでもある。
「そういうあなた、岡山車掌区の川本君じゃない」
川本正文車掌は、成瀬初奈車掌の高校時代の1学年上にいた人物である。特に交際をしたわけではないが、彼女とは高校時代あるきっかけで仲良くなっていたこともあり、あまり先輩後輩のような会話をするわけではない。
「今日はなんだ、こちらの唐橋さんのお話では養護施設の子らの引率ってこと?」
「そうなの。よつ葉園経由でお話いただいてね」
そう言って、彼女は川本車掌に耳打ちした。
「川本君、ここだけの話、実は私、昨日、結婚したの」
「さよか。お相手ってまさか?」
この二人の雰囲気で、若い車掌はすぐに察知した。
「そう。ズバリ、こちらの唐橋修也君。初菜と同学年でよつ葉園の児童指導員をされているの。実は、小学生の頃の同級生。さらに、お互い初恋同士ね」
おめでたい話ではあるが、これはちょっとな。状況を掴んだ川本青年が言う。
「それはおめでとう。でも、今日子どもらにばれたらまずかろう。昨日に今日じゃあまだほとんど知られてなかろうに」
「そこは伏せるようシュウ君界隈で言われとる。また近く、彼と一緒にどこかで」
「そうしよう。今はみんな他人のふりがええ。じゃろ、唐橋さん」
「ですね。川本さん、うまいこと頼みます」
「わかった。じゃあ唐橋ご夫妻、他の職員さんらもそうじゃけど、くれぐれも子どもらだけには、ばれんようにな、くれぐれも」
幸いここは二等車内。まだ乗車してくる客はいない。デッキではなく客室内での話で、しかもデッキからの引き戸は閉められている。客の出入りはまだないが、そろそろ東京からの急行「安芸」からの乗換客が来る時間が迫ってきた。
「川本さん、今後ともよろしくお願いします」
「じゃあ唐橋さんと成瀬さん、そろそろ子どもらの世話してあげて。あまり長くかかると勘繰られるで」
かくして、成瀬車掌と唐橋児童指導員はすりガラスの二等と書かれた引き戸を開けて子どもたちの待つ車両へと戻っていった。川本車掌も、通常の業務に戻った。
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