第8話 そして、夕食に。
若いお坊さんに引き連れられて、子どもたちの一行が戻ってきた。
一行の宿泊するお寺の離れでは、すでに夕食の準備がされている。時間にしてはまだ午後5時の少し前だが、久しぶりに海で大いにはしゃげたからか、すでに空腹感を覚える子どもたちも多い模様。
「それでは、晩御飯の準備を始めましょうか」
住職のお言葉にしたがい、子どもたちは夕食の準備を始める。調理場から浅野青年が次々と料理を運んでくる。山上保母と磯貝青年、自由食堂のマスターも浅野青年のサポートをする。食事用の机は、子どもたちがすでに用意している。
程なく、準備ができた。
「それでは、皆さん、召し上がれ」
ここもまた、住職のやさしくも厳かなる言葉で夕食が始まることに。
「いただきます」
いつもならよつ葉園の食堂でいささか長めの夕食の言葉を述べさせられるものなのだが、このような場所でそんな言葉を述べることはしない。今回来ているのはほとんどが小学生であるからそこまででもないが、これが年長の子らともなれば、そんな押しつけに反感をもって反抗的な空気を醸し出す子もいるくらいだ。
単に一言、いただきます。その一言から、今日の夕餉は始まった。
よつ葉園の子どもたちは、山上保母と磯貝青年とともに目の前の食事に向う。程なく、男の子を中心にごはんのお替りを所望する子どもも出てくる。磯貝青年が茶碗を受けておひつからご飯をよそい、子どもに返している。
「さて、唐橋先生、こちらにどうぞ」
子どもたちが食べ始めると同時に、唐橋指導員は住職に呼ばれて本堂の別室へ。
こちらには、今日の食事の他にビールと酒が用意されている。若いお坊さんも3人ほどいて、彼らも一緒に食事をとることになる。調理場の2人は、別に調理場で食べている。彼らは仕事のこともあるから、酒など飲むわけにもいかない。
「それでは皆さん、今日はお疲れさまでした。これからよつ葉園の子どもさん方と引率の方々が、5回に分かれて順にやって参ります。どうか皆さん、子どもたちの夏の良き思い出作りのお手伝い、よろしゅうお願いいたします」
住職の挨拶の後、副住職と若い僧侶2人の合計4人の僧侶と唐橋指導員はビールを片手に乾杯し、グラスに注がれたビールを飲みつつ、食事を始めた。
「唐橋さん。あんた、そろそろ結婚されるのか?」
乾杯を終え少し間を置き、住職が尋ねてきた。
「ええ、それを見越して、この春から住込みをやめて新居を確保しています。街中の南方(現在の岡山市北区南方)に適当な貸家がありまして、そこから自転車で通い始めました。問題の彼女のほうですけど、近く正式に・・・」
「近く正式に?」
別の若いお坊さんの合いの手に乗り、唐橋指導員は話をつなぐ。
「近く正式に、けじめをつける所存です」
そう言い切った唐橋氏は、もう一人の若いお坊さんに注がれたビールを一口飲んで気持ちを落ち着かせる。
「あんた、まだ、相手さんにきちんと伝えておられんのかな?」
いささか呆れているのは、年長の住職。毎年挨拶に赴いては彼女の話題が出ているため、唐橋青年がとある女性と交際している事実を住職は聞き及んでいる。そこに今年より赴任している住職よりいささか若い副住職が、思わず尋ね直した。
「唐橋さん、ところでその彼女さん、どういう方かな?」
「何と申しましょうかぁ~、今日も、実は、お会いしました」
唐橋青年は、野球中継で聞く小西徳郎氏の口癖を入れてしまう。
「今日もお会いした、ということは、あんたは今日よつ葉園に出勤して、それから宇野線と軽便を乗継いで児島まで来て、それからバスでここまで来たわな。その間のどこかでその意中の人にお会いしたと理解して、よろしいな?」
いささか回りくどく、しかし確実に追い込むかのように副住職が尋ねる。彼は住職らから唐橋青年のその話をそれまで一切聞かされていないだけに、その情報を本人の口から直接聞きたいという意向か。
何だか四方を囲まれて逃げ道がなくなっていくような感覚を、唐橋青年は今味わわされている。彼はビールと別に用意された日本酒をすすりつつ進捗状況を話す。
その酒は、お茶を飲むのと同じ湯呑に注がれている。
彼女は、私の小学時代の同級生で、言うなら初恋の人、ってことです。
それがその何ですか、よつ葉園に勤めるようになりまして、毎年夏はこちらに伺いますよね。就職して1年目の夏に、こちらへの道中でその方と再会しまして、それからもう6年にもなります。
もう今年こそ彼女と本気で向き合わねばならぬと思いまして、しばらくは住込で蓄えを作りまして、この春から借家を借りて通勤するようになりました。
職員住宅に住み続けようかとも思いましたが、それではちょっと、けじめがつかないかと思いまして。山上先生も結婚されて通勤されていますから、私も、結婚するならその方が、と。
目の前のおかずをつまみに食べつつ、残ったビールを彼は飲み干した。
「しかしようわかったようなわからんような。でも、あんた、その道中でお会いしたばかりか、度々お会いしているということは、ひょっと、軽便の車掌さんかな、その意中の方、っちゅうのは?」
尋ねたのは最年長の住職。住職は彼女の情報をすでに彼から得ているのだが、状況を知らない副住職ともう一人の若い僧侶のために、あえて本人から語るように仕向けている。銀縁の丸眼鏡をかけた青年の顔が、さらに赤くなった。彼は酒を飲めない口ではないが、その酒の影響だけとは到底思えない顔色である。
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