第37話 夕方の新婚夫婦
言うまでもなく鉄道会社の現場は土日であっても仕事はある。成瀬車掌のこの日の業務は朝早くから昼過ぎまで。昨日は下津井の乗務員宿舎に泊って今朝早くからの乗務を終え、夕方4時過ぎには岡山市南方にある夫のいる住居に戻って来た。明日は少し遅めに出て茶屋町からの朝の便から乗務して夕方までの仕事である。
朝の通勤通学時間帯は人も多いので2名乗務となっている列車もある。茶屋町内や茶屋町より遠方に住んでこの電鉄に通勤してくる社員は、通勤時間帯はその役職に関わらず車掌の補佐をすることがままある。以前は茶屋町駅前の自宅から茶屋町経由で通勤していたが、これからは岡山より国鉄を使っての通勤となる。結婚したからといって特別に乗務内容が変わるわけでもないが、そこは会社側も配慮してくれている。
「今日の昼、園長に呼出されて、結局、来週の水曜日にぼくらの結婚式を××院さんでやることになったよ。住職さんらと園長が上手いこと取り計らってくれた。初奈ちゃんのほうも会社の人に話が行っとるじゃろ?」
「ええ、来ていますわよ。うちの社員が(結婚の)けじめもつけんのはいかがなものかと車掌所長と下津井の駅長がえらいオカンムリで。森川先生がおられなんだらもう無茶苦茶やって。運転士の人らも、あの唐橋君には困ったもんじゃって」
「これが東京や大阪ならともかく、岡山の寒漁村じゃあな、ってことかな」
「寒漁村でも何でも言いたければ言えばいいけど、シュウ君がかねて無茶苦茶言いまくっとったの、結局、けじめってものをつけさせられるってことじゃない? その割にはクリスマスなんかは喜んで一緒に何かしようとしたり。よつ葉園の職員会議か何かでまた、ひねくれたこと言ったりしていないわよね?」
「それはしてないって。子どもを巻き込むことはなかろう。けじめはともかく、呆れられたと言っても、ぼくなりに思うところを述べただけや。別にええやないか。せやけど勤務中の日に結婚式ってなぁ。福利厚生というか、業務命令というか、はたまた各方面の広告宣伝の一環なのかよくわからんけど、まあええわ。給料もらってぼくら結婚式をやるようなものだけど、仕事の一環ってことならやらなきゃな。新郎と新婦を演じる若い男女、ただし実態大ありってことで」
「なんだかその言い方、やればいいんでしょやればみたいな言い方を通り越して演技で人前に披露するならやらんこともないぞ、って感じの考えね。初菜はもうシュウ君のひねくれ答弁、慣れっこだからいいけど、園長先生はともかくうちらの両親はシュウ君を心底からのひねくれ者みたいに言っていたもんね。まあ確かに私が聞いていてもちょっとなとは思うけど。だけど、あの法科の大学生の大宮君だけは、そんなこと言わずにシュウ君の発言内容に理解を示していたっけ」
「あの大宮君は、ホンマ賢い人じゃけえな。そんなところでケチはつけて来ることはないし、ろくに話も聞かずに分かった口は一切聞いてこない。ぼくらが年上ということもあるからか、そこはちゃんと抑えて気を利かせて敬意も払ってくれる。その代わり彼曰くのあの法律学でよく使われるとかいう「具体的妥当性」ってところに話が及んでしまうが最後、ねちねちビシビシとこちらの弱いところを突いてくるからなぁ、かなわんわ。園長ならご本人曰く年の功とやらであの青年くらい何とでもなるらしいけど、年齢差の少ないぼくなんかでは太刀打ちできんよ」
「大宮君の一家皆さん優秀な人らじゃけえな。ご本人も先日まで司法試験の勉強に忙しかったみたいだし、お兄さんがお医者さんで、お父さんと2人だけとはいえあの病院の副院長じゃない。そのお兄さんの同級生には検察官になった人とか××省に行った人がおられて、分野こそあちこちだけど、皆さん優秀な方じゃあからね。私もそんな人らに見染めてもらいたい気もしたけど、やっぱり勘弁じゃわ。どうせ馬鹿ネエチャン扱で相手にもされまあ。そんな人らと一緒になるくらいなら、シュウ君と仲良くやっていく方がええわぁ」
「ぼくが岡大法科くらい入って今頃法律家になっとったら、初奈ちゃんは玉の輿も玉の輿じゃろう。だけど、そういうところ行けば、もっと可愛いおねえさんに会う機会も激増ってことかな。二股サンマタ愛人4人も夢じゃない。三木武吉先生の5人を超えて6人! かわいいお姉さんのよりどりみどりのこの世の天国よ」
こういう話になると、お互い相手の急所もしくはそれに類する場所に手を伸ばし合うのがこの夫婦の相場。すでにお互いの身体の土地勘はほぼ完全にできているから、無茶をしあうことはない。無論、人前ではそのようなことをやり合ったりはしない。それでも、お互いやらずにはいられないのか、ここでもまた始まった。
「どこかの大臣さんほどの甲斐性もないくせに! もう今から若い女に浮気する気マンマンか、新婚早々この今からぁ。この欲ボケ男!」
「ウソ嘘、わかったからやめて。やめなきゃこっちはもう一声!」
「おまわりさ~ん! この男がぁ~」
「はいなんですかぁ~、ケイサツで~す!」
「キャー! ニセものぉ~!」
適当なところまではお互い調子に乗るが、そこはもう昔からの仲。適当なところで止める。やり過ぎて喧嘩になることはまずないのがこの新婚夫婦のいいところといえばそのとおり。お互い幼馴染で初恋ともなれば、お互いの家も身体も勝手知ったる他人の家のようなものである。
結婚前からのいつものように少しキャッキャとじゃれ合った後、新郎が新婦に真面目に話を始める。
「そうそう、森川先生が第5班の帰りにぼくらと同行する際に、ひょっと上手くいくとひとつ隠し玉を用意できるかもしれんと言うとった。いつもの電車にもう1両昔のガソリンカーを改造した車両をつないでね、一般客とは別にそっちの車両にぼくらの団体を乗せるらしいわ。初菜ちゃん、その話聞いた?」
「聞いてないわぁ。多分当日近くまで伏せることになっとるかもしれん。それ」
「自社の社員のそれも当事者にまで、伏せるつもりかなぁ」
「さすがにそれはない。一応、私もシュウ君も帰りの道中は職場の母体も業種も違うけど、お互い仕事の一環じゃからなぁ」
「ということは、関係各所その他で今まだ検討段階で、目下細部にいたるまで詰めとる途中、ってことか」
「そうじゃないかな。決定段階にならんと周りにはうかうか言えんじゃろ」
「だけど、結婚式の後はあのお寺に泊るでしょ、さすがにぼくら・・・」
「仏様の前で手ェダシチャ不味いでしょーが。出す気満々の色男サン」
「出させる気満々のい*乱おねえさんに言われてもねぇ~」
「誰が**らん女よ、このド***男!」
彼らはその後、いかにも新婚夫婦らしいことに各々の肉体と二度と帰らぬ時間を費して日曜日の残り時間を過ごした。とはいえ、しばらくの間は独身の恋人同士のように両者間に最後の垣根を作っておくことにしているため、これでいくつかのゴミが発生した。この日の二人の間では、そのゴムに残された中の何かが垣根を破って相手のもとに行くことはなかったようである。
後にこの夫婦には子どもが3人生まれているが、最初の子ができたのはそれから3年ほど後のことである。
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