第49話 昼下がりの洋食店にて

「シゲちゃんもずっとお寺で奉仕活動だったよね。なんでまた?」


 食後の珈琲を飲みながら、若い男女が席を向合せて談笑している。彼らが入店したのは昼食時を少し遅めにずらした時間帯。すでに昼食客は減っている。あとは何人かティータイムの客がいる程度。いつもは休憩時間をとるが、今日は日曜日のため通し営業。夕方まででもその気になればゆっくりできる。

 ここは、倉敷市中心部の洋食店・自由食堂。浅野少年が中学卒業後すぐに修業を始めた店である。


 今日彼は、岡山から1歳年上の女性を招いている。向いの席にいるのは、大山美香という19歳になったばかりの女性。保母見習としてよつ葉園に勤務している。下津井電鉄に勤務して現在車掌をしている大山洋子嬢の父親の弟の娘。高校を出て実務を経験しながら資格取得を目指している。実は明日から、彼女も××院への遠足の第5班に同行することになっている。

 なぜ浅野青年と彼女が出会ったかというと、やはり1年前のこの行事。彼が海水浴の付添に行っているとき、たまたま従姉である洋子嬢と一緒に海水浴に来ていた時に何かの拍子で小学生の男子児童の一人が美香嬢にぶつかってしまい、そこで浅野青年が洋子・美香の姉妹に声をかけたことがきっかけ。その後すぐに連絡先を交換し、彼女らと会うようになった。実は彼女がよつ葉園に保母助手として就職したのも、彼から従姉の洋子嬢をとおして話が進んだからということもある。

 彼自身、小6の頃から中3までの4年間、くすのき学園という岡山市の西外れの地にある養護施設に過ごした経験を持っているのだが、入所児童時の経験からまったくもっていい印象を持っていないかえら。よつ葉園のほうが待遇も環境も良いと聞いていたこともあり、そちらにしなよと彼が彼女の背中を押したのだ。従姉の洋子嬢がよつ葉園とは夏の行事で接点があるため、それも含めて彼の経験からくるアドバイスも踏まえ、彼女はこの春からよつ葉園で仕事をしている。


 ご存じの通り、オレが養護施設出身者だからってこと。マスターからあの世界にまず何か恩返しできることはないかって話になってね、それで一昨年からその期間ずっと奉仕活動に駆り出されることになったわけ。引率の子らが悪気はないけど美香ちゃんぶつかって、たまたま変なところにあたったのが悪かった。個人的にはそこにあたりたいことこの上ないけどね。洋子さんがとりなしてくれたから何の騒ぎにもならずに済んでよかった。幸い知っている団体だったから余計にな。

 でもさぁ、すぐに連絡先なんか交換するかぁとは、ね、オレもちょっとは反省していまっせ、はい。おかげで自由食堂のお客さんも増えたし、ま、いっか。


 久々の休みに、彼は彼女を倉敷に呼ぶとともに明日以降の打合せも兼ねていろいろ話しているところ。明日以降というのは、直近の行事の打合せもあるが、実は彼らの将来のこともある。浅野青年は20歳を目途に自分の店を出そうと修行に励んでいるのだが、マスターが彼に何にも増して求めているのは料理の腕や味云々以前のこと。別に彼がその点に問題や欠陥を持っているわけではない。むしろそうではないからこそ、そこを重視し厳しく鍛えているのである。

 料理の技やら何やらが云々というだけなら、そんな奉仕活動などやらせるほどのことはない。ここでひたすら修行と称して働かせておけばよい。それで不足なら、ときに知人の店の手伝いに行かせてやればよかろう。

 だが、そんなレベルを超えた何かを持っているからこそ、マスターはこの時期必ず彼をこの奉仕活動に参加させているのである。中学を出てこの店に来た1年目こそさせなかったが、昨年に続き今年もさせているのはそのためである。


「シゲちゃんって、中学生の頃ホテルの洋食のコックになりたかったンだっけ」

 彼は中学卒業前に就職先に岡山市内のホテルの洋食のコック見習に応募した。しかし、面接先の料理長に代わりに紹介されたのが、この自由食堂という洋食店。

 その料理長は何故、彼をこの店に紹介したのか。

 実のところこの料理長、マスターと同じホテルで修行していた。同い年で昔から仲が良いこともある。目の前の青年の経歴と人となりを見て、これはホテルの一流料理人になるよりもある程度の規模の洋食店でつぶしが効く方向に行かせた方が彼を活かせるのではないかという判断が働いたから。そこで旧知のマスターに相談して、彼を一人前にしてやってくれということになった。早いところ養護施設から救ってやりたいという判断もそこには働いていた。おかげで彼は中学を最後の数か月転校することになったが、その代わり養護施設を「退所」できた次第。中学時代も学校が終った後の夕方や土日は店の手伝いに入った。住む場所もマスターは用意してくれた。かの料理長の実家が経営している市内のアパートの一室を。少し年上の従業員とともに居住させてもらえることになり、今に至っている。同居していた先輩は結婚を機に別の居宅を構えたため、現在彼はそのアパートに一人で住んでいる。何となればそこで結婚後も住んで構わないとも言われている。


「うん。だけど、あのホテルの料理長さんがここのマスターと仲良くて、折角やるなら早いところ自立できるようにこういう店で修行したほうがいいって言われて、それで倉敷に来たのよ。おかげであの世にもおぞましいナントカ学園から脱出出来て清々したよ。あそこだけは誰に土下座されても二度と行きたくないわ」

 彼の激情を止めるすべを、1歳だけ年上の彼女には持ち得ない。

「そこまで嫌っているなら仕方ない。美香もシゲ君のその部分に異議を立てる権利も資格もない。だけど、マスターがなぜあの奉仕活動にシゲ君をしつこいくらいに参加させているかが、なんとなくわかった」

「なぜって?」

「シゲ君のいうナントカ学園がどんなひどいところだったかは何度も聞いた。あの学園を怒りの対象からただただ外すなんて、無理よね。できもしない要求なんかするつもりはない。でも美香、これだけはシゲ君に言いたいの」

「何? まさかいつか、洋子姉が言っていたこと?」

「そう。洋子ちゃんが言っていた通り。怒りが消えないのも仕方ない。だけど、その怒りの感情に流されては駄目。損する必要のないことにまで悪影響を与えてしまうから。その怒りの感情がシゲ君の未来に影を与えてしまわないように。そのためにマスターはシゲ君に奉仕活動をさせているのよ。夏以外にも、何度かよつ葉園に奉仕活動として料理を作りに行ったこと、あったでしょ」

「うん。去年も行った。確かクリスマスのとき」

「今年はね、美香が園長先生に頼んでシゲ君に絶対来てもらうようにする。もし意地でも来ないなんて言ったら、別れよっかなぁ~」

「そんなこと言わんといてぇな。美香ちゃんに会えるンなら、喜んで毎日でも行ったるわい!」

「へぇ~、毎日でも行って、毎日でもやりまくってやるなんて言いたいの?」

「何言うとるねん。半人前に毛の生えた程度のオレにそんなことできるわけもするヒマもなかろうがな。無茶言わんといてぇな」


 2人の若者は、将来のことについて夕方近くまで話し込んでいた。この日彼らは特にどこかにこもることなく別れた。

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