二つのお披露目 ~新婚夫婦と四番サード長嶋

第54話 朝からみんなで大掃除。そして、黙とう。

 翌8月6日・水曜日。朝は少し遅めに7時30分に起床となった。

 朝食の準備をする青年と一部の保母を除き、この寺に宿泊した参加者全員が本堂に集められた。今日結婚式を挙げる唐橋夫妻と磯貝青年は本堂で、他の参加者はいつものように離れで寝た。昨日の参加者には、自宅に戻った人や別の場所で泊った人もいるが、前者はともかく後者についてはいろいろと差し障りもあろうから、そこは詳しく述べないでおこう。


 午前8時の本堂。集められた参加者の前には、住職と副住職が立っている。

「それでは只今より、住職が約10分間お経を唱えられます。皆さん、どうぞお手を合せて。読める方はともに読経を、読めない方は黙ってお手を合せるだけでも結構。それでは住職、お願いいたします」

 副住職の案内を受けた住職は参加者に一礼し、仏様の前に座った。副住職はどういうわけか、懐中時計を手に持っている。国鉄職員が業務で使用しているもものと同型のもののようである。毎日、テレビもしくは寺宝の電話を使って病迄合わせているのだが、これは彼が若い頃に今でいう国鉄、言うなら当時の鉄道省に勤めていた頃からの習慣であるという。その伝手もあって、彼は手巻き式で秒針が長身と単身とは別にその下につけられている、いわゆる中2針の時計を愛用している。年の頃は50歳半ば。老住職と親子ほどの年齢差があるが、昨年国鉄を定年退職し、実家である寺を継ぐべく昨年の春よりこの寺の副住職として赴任しているのである。


 読経の時間が始まった。昨日の瀬戸の夕焼けは今朝の快晴を呼び寄せている。海からの南風が本堂の中に入ってくる。今時のエアコンの効いた部屋よりもむしろ心地よいくらいだろう。本堂に入ってきた南風は、寺の木や焚かれる線香の香りを加えつつも独特の芳香を並み居る者にあまねく与えている。

 住職の読経は、いつもなら20分程度続くのだが、今日は10分程度で終わる。副住職は時計を左手に持ちつつも、右手には太鼓のバチを持っている。眼鏡の奥が一瞬光った。副住職は、すかさずそのバチを太鼓にあてた。それを聞いた住職はそそくさとまとめるように読経を終え、最後に仏様に一礼した。


「皆さん。今日は何の日かご存知ですね」

 列席者の前で、住職は静かに語り始めた。今から13年前のこの日の午前8時15分、広島に原子爆弾が投下されたことを。

「副住職、今、何分になりましたか?」

「8時13分です」

「その時を待ちましょう。8時15分、副住職が太鼓を鳴らされます。それから黙とうを捧げ、もう一度太鼓を鳴らされたら黙とうを終ります。よろしいですね」

 さすがにここは小学校に入りたての子らのように、はい! と元気よく挨拶する場ではない。分別盛りの中高生たちと少し彼らより年長の大人の付添者らは、黙って住職の意に答えた。静けさと緊張感が本堂全体を覆いつくしている。

 副住職の眼鏡から滅多にないまばゆい閃光が走ったかのように見えたと同時に、袈裟の先の右腕から太鼓へとバチが勢いよく向かった。光を追うかのように、太鼓から繰出す音が本堂を超えて境内の外へと勢いよく飛び出していく。光と音の速度差かくありなん。太鼓の音は光に追いつくことはない。だが、眼鏡の光よりも確実に、その音はこの広い本堂に響き渡った。


「8時15分になりました。黙とう」


 副住職の声で、参列者は一斉に目を閉じた。次の太鼓が鳴るまで、約1分少々。

 本堂の周囲から聞こえるのは、セミの声と静かな風の音(ね)のみ。セミに黙とうを要求するのは筋違いというもの。人間の業に、誰もが静かに思いを馳せる。

 再び太鼓が鳴った。その音の鳴り止む中、副住職が静かに黙とう終了を宣言。

「それでは皆さん、離れに戻って朝餉(あさげ)といたしましょう。少し休んで、9時から本堂の大掃除を行います。追って本日の打合せがございますゆえ、唐橋さんご夫妻はこちらに御残り下さい」

 少年少女らとその付添の若い人たちは、一斉に離れへと戻っていった。


 朝食を終えて食休みも終えた、朝9時。若い僧侶らが離れにやってきた。

「それでは、お昼ごはんまで本堂の大掃除と本日の準備をお手伝いください。どうぞよろしくお願いします」

 約20人近くの中高生男女の一団は、若い僧侶の指示に従い、掃除を始めた。一部の男子児童は昨日のキャンプファイアーの残りの片づけと境内の掃除に回る。約1時間少々も掃除すれば、ひたすら広い本堂も境内もきれいになった。

 10時も幾分過ぎた。まずは休憩。浅野青年が皆に麦茶をふるまう。吹き付ける微風と麦茶の冷たさが身に心地よい。そんな時間をしばし過ごす。

「それでは、本日の挙式の支度をはじめましょう」

 しばしの休憩を終え、今度は今日の準備。座布団を並べ、そのあとの宴のための名が机を並べて机の上をぞうきんで拭く。さらには長机に白い布を敷き、あとは酒肴と弁当を置けばよいだけの状態に。一部の男子児童は炊事場に行き、業者から仕入れた業務用の氷を用いてビールやジュースを冷やす。来賓者はそういないが、親族などだけでもそれなりの人数がこの地にやって来ることになっている。


 なお、その宴席にはよつ葉園の児童たちは参加せず、最初の手伝いだけ終えると同じ時間帯に離れで食事をとることになっている。16時過ぎには宴の準備も終わるので、彼らはその後17時前より夕食を食べながらテレビを見て過ごすことになる。今日のプロ野球は広島市民球場の広島対巨人戦。その中継がちょうど17時に開始される。普段はテレビを見ながら食事をすることなどないが、今日は特別の日であることもあって、本堂と離れのそれぞれのテレビがここから100キロ少々離れた広島からの電波を受信し、彼らに娯楽を与えてくれるのである。

 程なく準備もできた。12時まであと30分ほどある。少し早いが食事に。中高生児童と奉仕活動の青年に加え付添の保母らは、若い僧侶の声掛けに従って離れに戻った。昼食には、そうめんとおにぎりの他、軽くおかずが置かれている。お茶はもちろん、冷たい麦茶。暑く食欲のないときでも、これなら食欲も進もうもの。しかも食べ盛りの人たちだから、どんどん食べる。

 程よく食べて少し休んで、13時少し前に。奉仕活動で来ている内山定義青年と本田陽子嬢が男女それぞれに声をかけ、海へと向かうことに。結婚式は15時より約40分ほど行われ、それからお披露目。16時までには戻るよう言われている。それから宴の準備をし、その手伝いが終ったら彼らは基本的にお役御免となってこの離れに戻り、夕食の仕出し弁当にありつけるという次第である。


 今日も、昼の3時間ほどだが泳ぎに行けることに。こうすることで、離れで風呂を焚く必要がない。風呂は本堂にもあるが、多くの客が出入りする離れほど大きな場所ではない。海水浴場のシャワーがあれば、風呂を沸かす手間と経費が節約できるわけである。しかもそのシャワーの利用も、海水浴場側の好意で無料としてもらえているのだから、なおのことである。

 内山青年と陽子嬢の二人の誘導により、総勢二十数人の団体は××院から塩生の海水浴場へと向かう。遠浅の海は、今日もより一層の夏の輝きを増している。

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