それぞれの8月7日
第60話 海からの朝風寺に秋を告ぐ住職の喝ぞ若者射抜ける
明けて8月7日・木曜日。明日8日は立秋。季節上では秋となる。境内のはずれにトンボが何匹か飛び交う。今年の秋が近づいている。
キャンプファイアーの熱狂、そこで披露された若い男女ら。さらに結婚式。仏様の御前での誓いとその後の宴。それらより何より、この20日近くにわたって行われた海水浴の狂騒。今年の夏とともにすべての終るときは、刻一刻迫っている。
朝は7時に起床。本堂で皆一斉にお経をあげて朝食。しばし食休みの後、最後の水遊びへと遠浅の海に向かうことに。
海水浴の前、森川園長は大宮青年を本堂に待機させて離れに行き、子どもたちに訓示した。ちょっと長めの話ではあったが、普段の行事の時以上に子どもたちや職員らは神妙に聞いていた。ここにも神仏の効果テキメン。
××院には写真を現像する設備がある。大宮青年は副住職とともにその現像室に赴いてフィルムを写真へとする作業にいそしんだ。彼は高校時代写真部に所属していたため扱いに慣れている。朝方に撮影した美しき青き浜辺の景色もまた、これまで副住職や若い僧侶らが撮影してきた子どもたちの姿とともに焼付された。
遠浅の海の朝ぼらけを後世に残すよすがは、かくして完成した。
子どもらに訓辞を垂れた森川園長が本堂に戻ってきた。もうしばらく休憩後、老紳士と青年は旧知の国安運転手のタクシーに乗車して岡山に帰る。住職と森川園長がよもやま話をする中、写真と格闘していた副住職と大宮青年が戻ってきた。
自ら撮影して現像し、さらに印画紙に焼付した写真を見せ、彼は言う。
「おじさん、これでシオナスのトーアサのウミは、永遠となったよ。グレンミラーの音楽みたいに」
この言葉、岡山市市表町の映画館で観たグレンミラー物語のラストシーンで語られる言葉から出たもの。老紳士は、今朝しがた撮影された写真をじっと見ている。
「おお、グレンミラー! 哲郎、洋画のセリフのウケウリも、悪くないのう」
破顔一笑の表情とその言葉に、青年はその真意を測りかねている。しかし住職と副住職は、その言葉の真意を即座に理解した。
森川園長が、その真意を語る。
自分の言葉で話せと言われても、自分の言葉のない者が話せるわけもなかろう。本園の子らや職員らがその手合いであるとは言わんけどな。人の言葉でもええ、それを使って人に話し、受け答えする。その繰返しの中からこそ、真の自分自身の言葉が生まれてくるのである。哲郎の今の言葉は、確かにかねての映画の最後にあったセリフじゃ。わしもしかと聞き及んでおる。
正確には字幕の日本語じゃあけどな、わしは(苦笑)。
何、哲郎はあのくらいの英語は字幕なしでも聞けば真意までわかるときたか。翻訳の文字との差までわかるときておいでか。それは失礼。
相手間違うといろいろオオゴトじゃの。ま、そんなことはどうでもええ。
要は、素晴らしい言葉を学んで使ってみて、失敗と成功を繰り返していかぬ限り、自分の言葉も、ひいては自分自身さえも形成されることなど、ない。
わしが哲郎に賢いとかねて申しておるのは、無論地頭が良いこともある。だがそれ以上に、今わしが述べた「実践」が確実にできておることへの評価である。
これまさに、福沢諭吉先生仰せの「実学」である。
住職さん方も、この子を見てそう思われましたかな?
最後は思い切り子ども扱いされたが、年齢差やこれまでの関係性から見ればそれは仕方ない。青年の目は、目前の住職と副住職に。
「森川先生のお言葉、非を打つことはおろか当職から特に追加をするのもおこがましい限りです。強いて一言申上げるなら、先生仰せの実践たるものは、一生を通して継続せねばならんことです。継続は力なり。そう申すでしょうが。それは大宮君だけでない。我々も皆!」
副住職の目は、眼鏡とともに終始光を放っている。その横の住職は眼鏡をかけていない。こちらは一貫してやさしさあふれる目。だが、その目がしばしの間、次期住職の中年僧侶をはるかに凌ぐ輝きと鋭さを見せた。
まこと、森川さんのおっしゃる通り。副住職仰せの言葉もそのとおり。
大宮君の先の言葉、わしも感服したぞよ。それが例え模倣の域を出ぬものであるとしてもである。模倣であれ創造であれ、言葉というものはそのときその場にいる人たちの中においてこそ活きる。世上では生き金と死に金という言葉もあるが、言葉もまた同じ。生きことばと、死にことば。そのふたつが御座います。意味は、生き金と死に金の二つからご賢察願いましょう。
貴君は御両親を通して神仏より受けしその能力をもって、生きことばを作る能力を磨いていかねばなりません。いくら年と経験を重ねようが、死にことばはゼロにはできぬ。じゃが、死に言葉を出す確率を減らし生きことばを出す確率を上げる努力をせねばならぬわな。
確率だけではない。その質を高めることもまた肝要であることは、論など無用。
その鍛錬、ゆめゆめ怠ること、まかりならぬぞ!
大宮哲郎君。貴君にはできる相談でありましょう。ただし、そのための不断の努力は必要となりますからな。普段からのたゆまぬ努力が!
住職の言葉は最初こそ優しかったが、やがて横の副住職さえも震え上がるほどの気迫に満ちた。それでも最後は、いつもの仏の顔に戻っていた。
「大宮君、一言よろしいか。貴君の言葉の何が気に入ったか。端的に申して、君が観たというアメリカ映画の名台詞ともいうべき言葉を上手く換骨奪還し、この場の我々に対し適切な状況下で用いたこと。これに尽きる。森川先生も住職も恐らく同意見であろうと当職は思料いたしますが、お二方、おいかがでしょうか」
副住職の問いかけに、老境の紳士らが答える。
「副住職のお見立ての通り。私から付加することはありません」
仏の顔の住職が、満面の笑みで答える。森川園長も、それに全面同意した。
住職からの雷が落とされて程なく、国安氏の個人タクシーがやってきた。
「住職さん、副住職さん、この度はお世話になりました。今年もまたよつ葉園の子らぁにちいとは喜んでもらえたようで何よりです。それに、唐橋君のほうもまことにええ形にしていただいて、本当に本当に、感謝に堪えません。この度はありがとうございました。よろしければ、来年もまたよろしくお願い申し上げます」
森川園長の言葉に、住職が答える。かの老僧が本院の住職として述べるのは今年が最後と告げられる。その職を継ぐのは、その隣の眼鏡をかけた副住職である。
「近くわたくしが本院の住職の座を伯父より受継ぐこととなりますが、当職といたしましてもよつ葉園さんは大歓迎でございます。来年や再来年からの埋立開始の見込は立っておりませんから、もう数年は大丈夫でしょう。とはいえ、その埋立が決定したあかつき、住職として辛い報告を子どもらにせねばならぬようですな」
少し間をおいて住職が最後に一言。最後の一瞬、その目は最高の輝きと鋭さを遺憾なく披露した。
「私の住職としての実質最後の仕事は、大宮哲郎君への訓戒である。貴君は、生涯通して今生に「生きことば」を一つでも多く創出すべく、たゆまず鍛錬されたい。ゆめゆめ怠ることなかれ!以上」
青年はしっかり頷き、いつになく元気な声で返答した。
新旧住職に送られ、森川園長は大宮青年とともに××院を後にした。
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