第43話 本堂での説諭
まったくとは言わないまでも普通の他人同士に戻った二人は、女子児童と保母たちが帰ってくるまでの間に様々な雑務を共にこなした。とは言っても、さほどの業務ではないのですぐに終わり、あとは夕食の準備を残すのみ。
17時前には、女子児童と保母を合せて十数名が海水浴場から帰って来た。今日は特に風呂をたく必要がない。食事の準備ができたところで、よつ葉園の子どもたち食事に。後片付けは保母と子どもらでするため、大学生2名は食事が始まると同時に酒食を揃えた本堂に呼ばれた。
若い2人の僧侶は、今日は暇を与えられて外出中である。
「内山君。私がなぜ貴君と陽子さんをこちらに呼んだと思われるか?」
ビールを注ぐ住職に、内山青年が答える。
「女だらけの場所に私がいるのはまずいからですね。それはいい。陽子ちゃんを呼んだのは他でもなく、私と交際していることが何かの拍子で知られることを最大限まで防ぐことを意図された措置であると思料しました」
若干法科の学生のような回答をする青年の母方の伯父は、弁護士である。その影響もあるが、彼自身が法学部の講座をいくつか履修していることも影響している。
「お見立てのとおりである。貴君も私の立場ならそうするであろうな」
頷く青年の湯呑に、住職から一升瓶からの日本酒が注がれる。
「茶は十年・酒は一年と申します。ここで話されても他言はされません。キリスト教で申せば懺悔室のようなもの。貴君の思い、とくと聞かせたまえ」
住職は、やさしくも威厳を鋭く秘めた口ぶりで青年に問いかける。横にいる副住職は横の年長者にして大先輩の言に平然と言うよりむしろ手ぬるささえ感じているが、その向いの女性は住職の懺悔室という言葉に内心ヒヤリとしている。
住職は、少し顔を緩めて彼女の湯呑のほうにも一升瓶から酒を注いだ。
「今回も貴君らは少し年上と思われる女の方の運転される自家用車で送迎して頂いておられたな。ところで、彼女はどのような御方であるか」
彼女と旧知の関係である青年が回答する。
「ケーベン電車の車掌をされています。私の中学の同級生で、中田信子さんです。彼女はK商業で私はS高校でしたのでその後会わないままでしたが、今年のこの行事で茶屋町から電車に乗ったとき、偶然にも彼女が乗務していて、それで再会しました。ノブちゃんに会えてぼく自身舞い上がっていたのかもしれません」
ここで、メガネを光らせるともなく光らせる副住職が問いかけた。
「舞い上がろうが下がろうが、貴君が彼女をノブちゃんと呼ぼうが、そんなことはどうでもよろしい。若いのであるからそういう交際もあろう。無論、貴君が彼女とどのような関係を持とうが、そんなことは論点足り得ぬ。当職が問うのは、貴君がその中田信子さんという方にどんな思いを抱いているかの一点のみである」
本堂の回りは波を打ったように静かである。外ではセミが鳴いているようだが、その音さえも聞こえない。
「信子さんは、中学時代から定義さんに好意を抱いていたと伺いました」
一瞬眼鏡が光ったようにも思えたが、副住職は一段優しい声で一言。
「陽子さん、それは聞き捨てならんですな。あなたにではない。横の青年!」
優しいはずの声が最後の一言だけ、滅多にないほどの勢いで引締められた。それこそ喝! でも食らったかのような状況である。
「はい。確かに私は未成年の頃より信子さんに好意を寄せていました。再会して、その好意は当時以上に増しています。信子さんは今でもぼくに好意を寄せてくれています。去年もおととしも夏に××院さんに行事で伺いましたが、すれ違いで合えなかったことを随分残念がっていました。あの電鉄に彼女が勤めていることは、高校卒業前にたまたま会って聞いていたので、別の車掌さんに彼女のことを尋ねて教えていただきました。その車掌さんは、あなたのことはノブちゃんも覚えているって言ってくれてうれしかったです。今年、ようやく会えたばっかりに・・・」
副住職の目が一瞬光ったかのように思えたが、ここで年長の住職がさらに副住職と青年に酒を注いでやり、少し間を開けて、口を開いた。内容は厳しそうだが、口調は限りなく優しさに溢れている。目の前の青年たちだけでなくその言の葉のひとつひとつが、今を生きる若い人たちすべてに向けられているかのようである。
ようやく会えたばっかりに、貴君が彼女とどういう関係になったか、あるいはそのお隣の陽子さんも含めてどのような状況にあるのか。私には、手に取るようにわかります。伊達に長年人間稼業をやっておるわけではないですぞ。無論私の勘とやらが外れていれば幸いであろうが、先にも述べた小細工と言い、御三方の雰囲気と言い、ただならぬ関係を抱え始めたように思われた。
私は、諸君の現在の関係性についてかれこれ論評はせぬ。そんなことをしてみたところで、諸君は言いなりになるか反発するか、まあ後者でしょうな。世上の親御さんらのような説教ごかしなど申さぬ。坊主稼業の商売手法を、こんなところで使いなどしません。
じゃがなあんたら。
わしはいろいろな人間の業と煩悩、さらにはその裏返しの尊さも、人の言動を通してさんざん見てきました。ただ目の前の経験だけでなく、古今東西の書籍や、はたまた雑誌や新聞を読むことでも、とくと自らの目で見て足で稼いで、そんな調子で人間稼業をして参っておる。
先日もこちらの副住職が陽子さんを通して内山君にきついことを申されたが、さて内山定義君、君はこの先、中田信子さんとこちらの本田陽子さん、このお二人にそれぞれどう向き合われるか。
何もここで答えを申せなどとは申さぬ。また、聞くつもりも一切ない。そんなものを求めたところでその場限りの付け焼刃にもならぬから、返答も無論無用。
ただし、今私が申上げたことに対し如何に貴君が向合って答えを出していくか。それは君にしかできんことである。誰かの助言をと思うであろうが、助言など所詮他人事(ひとごと)に過ぎぬ。
貴君自ら考え、思い、そしてそれをもとに答えを出していくのである。
私としては、貴君がこの後お二人にどう向き合っていくか、静かに見守らせていただきます。ただし、その価値判断は一切申しません。
助言を求められれば、何らかのお答えはしますが。
それから、これは陽子さんもお聞き願いたい。信子さんにどちらかお会いするようであれば、彼女にもお伝えください。いいですか。
学校教育では答えは一つかそこらと決まっておるが、人のつながりの中での答えは決して一つなどということはあり得ない。いくつもあります。そしてそれぞれがある局面では正解であり、ある局面では不正解。そんなものです。
住職が一通り話を終え、自らの湯呑の酒を飲み干した。それに応じて、今度は副住職がいつになく優しい顔で酒瓶を持ち、まずは住職、それから内山青年の湯呑に酒を注いだ。陽子嬢には一言尋ね、その返答に応じて湯呑に半分ほど注いだ。その後自らの湯呑にも酒をなみなみと注ぎ、一言述べた。もう眼鏡は光っていない。
時計の針は、まだ午後7時を少し過ぎた頃。外はまだ明るい。
「さあ、今夜はとことん飲みましょう」
当夜、年長の僧らは二人の「コイバナ」に耳を傾け、大いに楽しく歓談した。
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