第三十五話 ラズがいなくて寂しかった
風呂から出るとラズの姿が消えていた。窓が少し開いていて風が入る。
「ラズ……、そんなにあの事件を気にしているのかな……」
私は十分ラズも助けてくれたと思っているのに。ジークを起こしてくれなければ、あのまま私は襲われていたかもしれない。思い出しゾッとする。怖い……。
「ラズ、どこ行っちゃったのよ」
もうすぐ日が沈みそうだ。夜に一人でラズを探しに出るのも怖い。ラズと一緒なら夜に出歩いても怖くないのに。それに夜一人で出歩いたことを知ったらラズがまた怒りそうよね。そう思うと自然と笑みがこぼれた。
「フフ、ラズがいるだけで安心感があったんだなぁ。いつの間にかラズが側にいるのが当たり前になっちゃった……、ラズがいないと寂しい、どこ行ったのよ」
寂しくなっちゃった。
「まあお腹が空いたら帰って来るかな……」
ラズのことだからご飯は最重要でしょ! きっとお腹が空いたら帰って来るはず! 多分……。
とにかく自分自身もお腹が空いていたため、軽く夕食を作る。ラズにはいつ帰って来ても良いように、おにぎりを作ってテーブルの上に置いておいた。
きっと明日の朝、起きたらいつものようにベッドで丸まっているはず!
そう思いその日は就寝した。
そして翌朝、ラズはいなかった。
「帰って来てない……」
テーブルの上にそのままになったおにぎり。まさか帰って来ないなんて。
「ラズがご飯を食べないなんて信じられない。もしかして何かトラブルでもあったのかしら! 何か帰ることが出来ない何かが起こったのかしら!」
そう思うと居ても立っても居られなくなってしまった。
「よし、探しに行くか!」
テーブルの上のおにぎりをカバンに詰め込み、用意を整え出発する。
朝早いためかまだ中央広場にも大通りにも人がまばらだ。しかしあちこちから朝食の準備をしているのであろう匂いが漂ってくる。
「さて、どこを探したら良いかなぁ。ラズが行きそうな場所とか思い付かないしな……」
そう考えると私はラズのことを何も知らないんだな、と少しばかり寂しくもなる。
いつまで経ってもラズは自分のことを話してはくれない。分かることと言えば食べ物の好みくらいか。
後は何だろう……、全然自分のことを話さない。ちょっとお馬鹿。意外と心配性。しつこい。後は…………、意外と良いやつ。うん、良いやつよ。
私のことをいつも心配してくれていたのよね。口煩いのはまあ目を瞑る!
色々考えながらブツブツと言いつつ歩く姿はちょっと不審者かもしれない、と少し気にしながら、どこを探せば良いのか分からないまま歩いていたら、たどり着いたのはラズと出会った森だった。
「どこにいるか分からないからって、こんな森にはいないよねぇ。しかも出会った場所とかそんなベタな……」
と、半ば苦笑しながらも石畳の場所へ、記憶を頼りに歩いて行くと叫び声が聞こえた。
『はぁぁあ、あーもう! どうすりゃ良いんだ――――!!』
ん? ラズ? え? こんな簡単に見付かる?
いやいやいや、普通さあ、中々見付からずうろうろ探し回って疲れ果て、夕方になってがっくりしながら家に戻るとそこに現れる、とかさ! 普通なんかもっと色々あるよね!? ねぇ!!
って、誰に言ってるんだか、って感じだけど、確かに目の前にラズがいた。
草むらからラズの姿を確認し、何やらブツブツと言ってるな、と思ったら急に叫んだのだ。
ま、まあ見付かって良かったよ。あっさり見付かって拍子抜けしたとは言うまい。だってラズだし。単純お馬鹿だし……、いや、これは黙っておこう。
「何を?」
叫んだ内容に対して返事をしてみた。何をどうしたいのだろう。何に悩んでいるのだろう。やはりあの事件のことなのだろうけれど、ラズ自身に聞いてみないと分からない。
ラズは声を掛けると、明らかにビクッとし、ギシギシと音でもしそうなぎこちなさで振り向いた。
『ヒ、ヒナタ……』
「ねぇ、何を悩んでるの? 何で出て行ったの?」
聞きたいことは山程ある……、いや、そんなにないか。でも何で出て行ったのか、何に悩んでいるのか、それくらいは知りたい。
『うっ……』
ラズは固まった。
私は小さく溜め息を吐き、ラズの横に腰を下ろした。そしてカバンからおにぎりを取り出す。
「とりあえずおにぎり食べなよ。お腹空いたでしょ?」
『ヒナタ……』
ラズは少し涙ぐんだように見えた。余程おにぎりが嬉しかったのかしら。
包みをラズの前に置いてやると、ラズはゆっくりと食べ始めた。以前のようにがっつくわけでもなく静かだ。おにぎりに喜んでいるわけではないのかしら。
しばらくラズが食べ終わるまでお互いに無言。静かな森の中。鳥のさえずりや風が木々を揺らす音だけが聞こえる。少し肌寒いがとても清々しく良い気持ち。
食べ終わるとラズは小さな声で『ごちそうさま』と呟いた。そういうところは律儀で可愛いのよね。
「それで出て行った理由は教えてくれないの?」
もう一度聞いてみた。ここを乗り越えなければ、再びラズは私の元へは戻って来ない気がしたから。
ラズは口に出し辛そうで中々言葉にしなかった。それを責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ひたすら待った。何も言わずじっと待った。
時間はたっぷりとあるしのんびり待つかな、と思っていたら、ラズが重い口を開いた。
『お、俺はお前を守れなかったのが悔しかったんだ……』
「へ?」
間抜けな声が出てしまった。
守れなかった? ん? あのときラズのおかげで助かったのに?
「あのときラズのおかげで助かったんじゃない。ジークを起こしに行ってくれたおかげで助かったんだよ」
『そうだけど……、そうなんだけど、そうじゃなくて!』
「?」
そうだけど、そうじゃなくて? んん? 意味が分からない。
『だから! 俺が自分の手でヒナタを守りたかったんだよ!』
「自分の手で……」
『それが出来なかったのが悔しくてだな……、またもし同じようなことがあったとき、また守れないかもと思うとだな……、辛くなって、混乱して、どうしても今は一人で考えたくて……』
な、なんだろう、このむずがゆさ……、こ、こんなこと言われたことないわよ! は、恥ずかしいんだけど! ラズは分かって言ってんのかしら。これ、もし好きな人……、いや、好きでなくとも男性に言われたらメロメロになっちゃうような台詞では! ラズが猫で良かった……、万が一タイプの男性にこんなこと言われたら頭が爆発するかも!
『ヒナタ?』
どう反応して良いか分からずあわあわしていると、私の反応を気にしたのか、ずっと私を見ようともしなかったラズが上目遣いでこちらに振り向いた。
くっ、あざと可愛いじゃないか! これ、とんでもないことを言っている意識はきっとないわね。無意識だわ。
猫相手にドキドキするのも何か変だなと、何とか冷静を保ち深呼吸をする。
「それでラズの中で答えは出たの?」
『う……』
出てないんだな。
「私はラズのおかげで助かったと思ってるのは本当だからね? ラズが自分の手で助けたかったって思ってくれるのも嬉しいけど、私は今回ラズに感謝してる。だから悩んでないで今まで通りでいて欲しい」
『…………』
うーん、駄目か。どうやって言ったら納得してくれるんだろう。
「私はラズに側にいて欲しい」
ラズが再びこちらを向いた。
うん、とにかく私の素直な気持ちよね。
「私はラズといて楽しく異世界を過ごせたし、ラズが一緒にいてくれるのが当たり前みたいになってて、あのときも怖かったけど、ラズを抱き締めて寝たら安心したし……」
そこでふと考えた。もし今ラズがいなくなったら……。
「昨夜、初めて一人で過ごして怖かった。ラズがいないことがこんなに怖いし寂しいんだ、って思ったんだよ。私の側にいてよ。ラズがそれで辛い気持ちになるのは私も辛いけど、私のために側にいてよ」
ラズを抱き上げ、正面から見据えた。
『お、俺はまた守れないかもしれない……』
「でもラズがいないと私は寂しい。私もこれからもっと気を付けるから」
目を合わせじっと見詰める。ラズの綺麗なスカイブルーの瞳。あぁ、本当に綺麗。綺麗なスカイブルーの瞳が揺らいだと思うと、ラズは下を向いた。
『お前がそう望むのなら……』
下を向いたままラズは呟いた。
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