第五十七話 二人の想い

 ひとしきりデザートの話を聞かせてもらったり、試食をさせてもらったりと、楽しい時間を過ごし、ライラさんや料理長にお礼を言って厨房を後にした。


「このあとは研究所に向かわれますか?」


 厨房を出るとニアナが聞いた。


「あー、と、ごめんね、私、そろそろ街へ帰ろうかと思ってて」

「え!? もうお帰りになるんですか!?」

「うん、せっかくニアナと仲良くなれたのに残念だけど、ほら、仕事も無理矢理休ませてもらってるし」

「あぁ、そうですよね……仕方ないですよね」


 少し寂し気に笑ったニアナ。申し訳ない気にもなるが、早く街へ帰りたいのも本心だ。出来る限り早くここを去りたい、城から離れたい……。


「では猫ちゃんを迎えに行きますか」


 ニアナが研究所に向けて歩き出そうとしたのを、腕を掴み止めた。


「良いの!」

「え?」

「あの子は良いの……、このまま城に」


 あ、駄目だ、泣きそう。


 必死に笑顔を取り繕った。


「な、何でですか!? 猫ちゃん置いていってしまうんですか!?」


 あぁ、どうやって誤魔化そう。必死に考えを巡らす。


「あ、アルティス殿下の猫なの!」

「え?」


 ニアナが理解出来ていない顔だ。そりゃそうか、私が連れて来た猫なのに、いきなりアルティス殿下の猫って!


「えっと、あの、その、あの猫はたまたま拾ったんだけど、どうやらアルティス殿下に飼われていた猫らしいのよ」

「そうなんですか?」


 ニアナは不思議そうな顔。ですよね。でもここは押し切らせて!


「そうなの! だからアルティス殿下にお返ししようと思って」


 あながち嘘でもない。ラズはアルティス殿下の従者だったんだから。


「だから別れを言うのは辛くなりそうだから、このまま会わずに行こうと思ってる」

「そうなのですね……」

「うん」


 部屋に戻るとニアナが荷造りを手伝ってくれ、すぐに準備は整った。


「馬車を手配してきますのでお待ちください」

「ありがとう」


 ニアナを待つ間に手紙を書いた。




 ラズへ……


 私は街へ帰るね。

 ずっと側にいてくれてありがとう。

 ラズはアルティス殿下の元へ帰って、好きな人と幸せになってね。

 さようなら。


  ヒナタ




 色々書きたい、でも書けない。色々と想い乱れ、これ以上は書けなかった。

 ラズへの手紙をアルティス殿下に渡して欲しいとお願いした。ニアナと別れを惜しむ挨拶をし、用意してくれた馬車に乗り城を後にする。




 城が遠ざかって行く。


 行きと同じ道程だが、一人だとこんなにも寂しい。

 ラズがいないとやはり私は駄目だな、と苦笑した。


 以前ラズが家出したときも一人で寂しかった。でもあのときは探しに行けた。望みがあった。


 でも今は……もう会えない……。


 そう思うだけで胸が苦しくなった。涙が溢れた。


「う、うぅ……ラズ……」


 声を殺して泣いた。



 そうか、私はラズが好きなんだ。







 とぼとぼと歩きながら研究所の入口へたどり着いたラズは、中へ入らずボーッとしていた。


 ヒナタは日本へ帰る、その言葉がずっと頭を占めていた。自分が元に戻るためにはヒナタが必要だ。しかしそれは自分の勝手であって、ヒナタには関係のない話だ。


 ヒナタが帰りたいというなら、笑って送り出してやらねばならないだろう、そう自分に言い聞かせてはいるが、心が追い付かない。


 自分のためだけにヒナタを縛り付けたくない。でもヒナタと離れたくない。これはなんだ!? 元に戻るためだけか!? それだけの想いで離れたくないだけか!?


『俺はどうしたいんだ……』


 ラズは考えても分からない自分に苛立ちを感じた。



「あれ? ラズ? どうしたの? 一人かい? ヒナタ殿は?」


 振り向くとアルティスがいた。


『あぁ、ヒナタは厨房に見学だ』

「そっか、で、ラズはどうしたの? なんか凄い哀愁漂った背中だったけど」


 その台詞にラズは若干苛立ちを覚えたが、溜め息を吐くと項垂れた。


『なんでもない』

「なんでもないようには見えないけど? ヒナタ殿のことで悩んでるの?」

『…………』


「このままヒナタ殿は諦めて、猫のままでいるのかい? ヒナタ殿のこと、好きなんだろ?」


 アルティスが言い放った言葉にラズは驚愕の顔をした。


『は!? 俺がヒナタを好き!? そんなわけないだろ!! 違う!!』


 ヒナタを好きなんかじゃない! 違う! たまたま側にいたから情が移っただけだ! そう、そのはずだ……ヒナタを巻き込めない……。



「アルティス殿下、少しよろしいでしょうか」


 背後から声をかけられ振り向くとニアナがいた。


 ニアナ? ヒナタと一緒に行ったはずのニアナがなぜここにいる? ヒナタはどうした?


 そわそわするラズを尻目に、アルティスはニアナから手紙を受け取った。


「ありがとう、下がって良いよ」

「失礼致します」


 ニアナは去り際にチラリとラズを見た。ラズはそれが気になったが、アルティスが渡されていた手紙のほうが気になる。


「ラズ」

『なんだ?』

「ヒナタ殿から君に」

『えっ!?』


 ヒナタから手紙!? なんだ!? どういうことなんだ!? 何で手紙なんか、しかもアルティス経由で。


 アルティスは封筒から手紙を出してやり、ラズの前に置いた。




 ラズへ……


 私は街へ帰るね。

 ずっと側にいてくれてありがとう。

 ラズはアルティス殿下の元へ帰って、好きな人と幸せになってね。

 さようなら。


  ヒナタ




『!!』


『なんだよこれ!! どういう意味だよ!! なんでだよ!!』


『なんで!!』


『…………俺を置いて行くんだよ…………』



「ラズ! ちょっと落ち着いて! どうしたのさ! 何が書いてあったの」


 アルティスはラズを抱き上げ、手紙を見た。


「こ、これ……」


 アルティスは同情するような、憐れむような何とも言えない顔になった。


「ラズ……」


『なんなんだよ、何で俺を置いて行くんだ……』


 ラズの泣き出しそうなほどの狼狽えぶりにアルティスは確信めいたものを感じた。


「ラズ、やっぱり君、ヒナタ殿が好きなんだろ? 諦めて良いの?」


 アルティスは静かに聞いた。


『俺は……』


 ヒナタに置いて行かれた。ずっと側にいるって約束したのに。ヒナタの側にいたかったのに……。


 そう、猫だとか人間だとか関係なく、ヒナタの側にいたかった。

 日本に帰りたい、と聞いたときも側にいられなくなるのが嫌だと思ってしまった。

 ずっと側にいるものだと思っていた。日本に帰って欲しくないと思ってしまった。



 それはエルフィーネには感じたことのない感情だった。



 そうか、俺はヒナタが好きなのか。

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