第五十九話 ジークとラズ その一

 街へ馬車が到着し役所の前で止まると御者さんが扉を開けた。

 泣き腫らした顔に気付いた御者さんはギョッとした顔になったが、なるべく顔を隠し触れないでくださいオーラを出し、そのままお辞儀をし別れた。

 心配そうな顔で「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた御者さんの優しさに癒される。


 あーあ、なにやってるんだろうな。


 お城に行って、ラズの正体を知って、さらにはラズの好きな人を知って……。

 自分の気持ちを自覚して、自分で別れを選んだ。それなのに泣き腫らす、とか。馬鹿みたい。

 なにやってんのよ。

 ラズの好きな人を知ってから自分の気持ちに気付いたところで遅いじゃない。


 だから私はやっぱり日本に帰りたい。ここにいても辛い……、日本に帰ったからと言ってこの気持ちが楽になる訳じゃないだろうけど……、ここにいたらどうしてもラズを思い出す……。


「今日から一人かぁ……」


 口に出すとなおさら辛くなった。


 足取り重く、部屋へトボトボと帰った。


「ただいま……」


 異世界での自分の家。誰が迎えてくれる訳でもない。シンとした部屋がなんだか広く感じる。


「ラズがいないとこんなに静かなんだな……」


 荷物を片付ける訳でもなく椅子に座り、ボーっと窓を眺めていた。外の中央広場からは子供の声や多くの人々の声が響き渡っていた。


 今はその賑やかさが有り難い。


 ボーっとしている間にいつの間にやらテーブルに突っ伏して眠ってしまっていたようで、お腹が空いて目が覚めた。


 どんなときでもお腹は空くのよね、とクスッと笑った。うん、お腹が空くなら大丈夫! 私は大丈夫! 自分を慰めるようにそう気合いを入れ立ち上がる。


「さて、さすがに作る気にはなれないから、どこかに食べに行くかな」


 すっかり日も暮れ出し辺りは薄暗くなってきていた。

 中央広場の噴水も色とりどりに輝き出す。


 ラズと一緒に見たなぁ。そう思い出すだけでウルッとしてしまう。中央広場の噴水も、露店も、役所までの道のりも、あのカフェも、あの店も、ラズと行った。


 街から離れていた期間は一週間もないのに、とても懐かしい気分になってしまう。そして懐かしいと同時に寂しくなる。


 ラズがいない。


 それがこんなにも寂しいなんて。あぁ、私はラズがいないと駄目なんだなぁ。

 あまりの自分の情けなさに苦笑した。



「ヒナタ?」


 噴水の側でぼんやりとしていると後ろから声を掛けられ振り向いた。


 そこにはジークがいた。


「ジーク……」

「どうしたんだ? 今から晩飯か? なら一緒に行こう」


 ジークが笑顔で近付いて来た。


「ん? どうしたんだ? なんか目が腫れてないか?」


 しまった。泣き腫らした目がまだ治まってなかった。

 心配そうな顔で顔を覗き込むジーク。

 あぁ、あんまり突っ込まないで……、突っ込まれるとどうしても思い出してしまう。


「本当にどうしたんだ? ん? そういえばラズは?」


 ジークは足元をキョロキョロと見回しながら言った。


「ラズは……」


 ラズの名前を口に出すと、いないという現実を一気に認識した気がした。


「ラ、ラズは……ラズは……うぅ」


「え、おい! どうした!?」


 また涙が零れてしまった。あぁ、駄目だ。ジークが困っている。

 必死に止めようとしても、涙はボロボロと落ちて行く。あぁ、どうしよう。


「ど、どうしたんだ、ヒナタ、何があったんだ?」


 ジークはオロオロしながらも、そっと頭を撫でてくれた。それが嬉しくてさらに涙が溢れてしまう。

 もう止まらなかった。


 ジークに肩を抱かれ、顔を抑えていた手をそっと握られた。


「ヒナタ、言いたくないなら無理には聞かないが、辛かったら何でも言ってくれ、俺はヒナタを……」


 すぐ横にあったジークの顔を見上げようと、顔を上に向けた瞬間……、腕を掴まれ引っ張られた。さらにジークも後ろに思い切り引っ張られ、私とジークは離れた。


「「!?」」


 ジークも私も何が起こったのか分からず、引かれた腕を見た。

 暗闇の中、噴水の灯りだけしか近くになく、黒い何かが素早く動いた、としか分からない。それはジークに詰め寄ると襲い掛かった。


「!!」


 驚いてジークに駆け寄ろうとした瞬間、ジークはその黒い何かを掴むと、勢い良く投げ飛ばした。まさに柔道の一本背負い!


 石畳に思い切り叩きつけられたそれはドーン!! と音を上げ、地面で動かなくなった。


「ジーク!!」

「ヒナタ、大丈夫か!?」

「う、うん」


「い、いってぇ……くそっ!!」


 その黒い何かから何やら聞き覚えのある声が……。目を凝らして見てみると……。


「ラ、ラズ!!」


 人間の姿をしたラズが上半身を起こし、地面に座り込んでいた。


「ラズ!?」


 あ、しまった!! 思い切りラズって叫んじゃった……、ど、どうしよう……、ジークは知らないのに……。


「お前!! ヒナタに何してたんだよ!!」

「はっ!?」


 ラズは勢い良く立ち上がるとジークの胸ぐらを掴んで詰め寄った。


「ヒナタを何泣かしてんだよ!!」


「「え……」」


 ジークも私も唖然とした。


 いや、まあ確かに泣いていたのは事実だ。事実だけど、ジークに泣かされた訳じゃないし……。


「ちょ、ちょっとラズ! 違う! ジークに泣かされた訳じゃない!! ジークは慰めてくれてただけ!!」


 ラズとジークの間に割り込み、ジークを背にしラズと対面した。


 ラズだ。本当にラズだ。


「あー、なんか色々誤解もあるし、さらにはこの男がラズとか意味分からんし……説明してくれよ」


「本当か!? 本当にジークに泣かされたんじゃないのか!?」

「ち、違うったら!」


 どっちかって言うと、あんただよ! と突っ込みたかった……。そこはグッと我慢。


「そもそもラズ、何でここに……」


 何のために私があんな辛い思いをして、別れを言ったと思ってんのよ! 何でこんなあっさり会いに来たのよ、私の涙返せ!

 ふつふつと怒りが込み上げる。


「お、俺はその……ヒナタに……」


「いや、だからちょっと説明を……」


 ジークが頭を押さえながら聞く。


「あ、ごめん、そ、その……この人は……」


「俺はラズだ」


 ラズはふんぞり返りながら答える。何でそんな偉そうなのよ……。


「いや、まあラズは分かったけど、だから何で? ラズって猫の名前だったんじゃ……」


 仕方がないので大まかな説明をジークにする。好きな人どうこうは言わずに、ちょっとした魔術実験で猫になってしまった、とかなんとか。


「はあ……、てことは、今までヒナタの側にいた猫のラズは本当は人間の男ってことか」


「そういうことだ、だから俺がヒナタの側にいるからお前はいなくて良いぞ」


「いやいやいや、勝手に決めるなよ」


「何が勝手だ、俺が最初からずっと側にいたんだよ」


「だからなんだ、ヒナタはお前のこと、ずっと猫だと思ってたんだろ?」


「う、ま、まあそうだが……」


「しかも今、俺に負けたよな?」


「うぐっ」


 な、なんだかよく分からない言い争いにラズが負けた感じ? なんなのこれ……。


 物凄く悔しそうな顔のラズだけど、そもそも何でここに……。


「ラズ、なんで来たの? 手紙読んだんでしょ?」


「あ、いや、その、読んだ! 読んだからこそ来たんだよ!」


「なんで?」


「な、なんでって……」


「私がどんな思いであの手紙を書いたと……」


 ラズはエルフィーネ様と幸せになって欲しいから、別れを告げたのに! 何戻って来てくれちゃってんのよ!


「いや、だって、俺はお前の側に……あんな簡単な手紙だけで俺の前からいなくなるなよ!」


「もう良いよ、だってラズにはすることがあるでしょう? 私のためにラズが犠牲にならなくて良いよ」


「いや、だから違う!」


「なにが?」


「お、俺はお前の側に…………、その、約束したし!!」


「だからもう良いってば」


「ち、違うんだよ!!」


「?」


 何が違うって言うのよ。側にいて欲しいとは言ったけど、それはもう良いって言ってるのに。ラズの人生を犠牲にしてまで側にいてもらうのは嫌だ。


「お、俺がお前の側にいたいからだ!!」


「…………」


 側にいたい……、約束をしたからには私を守ってくれようとしているのか……。律儀だな、ラズ。もう良いのに……。


「あー、まあなんだ、晩飯でも行くか?」


 私とラズのやり取りに収拾がつかないと判断したのか、ジークが話に割り込んだ。


「何でお前と行くんだよ!」


「俺が最初にヒナタを誘ったから。お前が後から来ただけだろ」


「ぐぬぬ」


「はぁぁあ」


 めちゃくちゃ深い溜め息が出てしまった。ラズがビクッとする。


「ラズ……」


「な、なんだよ」


「ありがと」


「!!」


 ラズが自分を後回しにしてまで側にいてくれるというなら、それに甘えてみようか。日本に帰るまでは……。


 やたらニコニコになったラズが若干意味分からないけど……、まあ良いか……。別れが少し伸びただけ……。私はもう今回のことで覚悟は出来たし、いつ別れてももうきっと大丈夫。


「ジーク、ご飯行こう」


「え、おい! 何でジークと!」


 ジークと二人で歩き出すと、慌てて続くラズだった。

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