第三十話 落ちてきそうなほどの星だった

 中央広場と同じくらいの広さはあるだろうか、端のほうが遠く霞むくらいの平地が広がっていた。

 一面真っ白な平地の中に大きめの小屋が一棟建っているほかは何もない。小屋の近くまで来るとソリを止め、皆荷物を下ろして行く。


「凄い、何もない。真っ白」


 呆然としているとクラハさんが笑った。


「ハハ、確かに何もないよね」

「氷はどこに?」


 切り出す氷はどこなのかしら? 見た限りどこにも氷らしきものはない。


「あぁ、後で見せるよ。とりあえず荷物を小屋に運ぼうか。今日はこのまま夕食を食べて早めに就寝、そして明日早朝、夜が明ける前に切り出し始めるから」

「はーい」


 夜が明ける前か、起きられるかしら。


 荷物を小屋に運び込むと、小屋の中は入ってすぐの部屋に暖炉、机や椅子があった。ランブルさんが暖炉に火を入れている。

 その部屋から扉を隔てて、二段ベッドが部屋の両脇に四台並ぶ部屋が二部屋。後は洗面とトイレだ。風呂はない。洗面やトイレもタンクで持って来ている水を使うだけで、水道がある訳ではない。だから水は貴重だ。風呂なんて入る余裕はない。まあ、今は汗なんてかいてないしね。


「あー、ヒナタだけ別部屋とか無理だから男どもと一緒になるが良いか?」


 ランブルさんが火を起こし終わるとこちらに来て小声で言った。それはね、仕方ないよね。


「はい、大丈夫です」


 どうせ今の恰好のまま寝るだけだしね。クラハさんが下のベッドに寝てくれるらしいし大丈夫でしょ。

 その様子を見ていたジークが「じゃあ俺も」と声を掛けて来た。


「俺もヒナタの脇を固めてやるよ」

「「え」」


 私とクラハさんが一緒に声を上げた。


「え!? そんな驚くことか!? 知らない人間より俺のほうがマシかな、と……決してやましい気持ちがある訳じゃ!」


 ジークがあわあわしながら釈明していた。


「プッ、ジーク慌て過ぎ! アハハ、ありがとう、うん、ジークとクラハさんが側にいてくれたら安心するよ」


 ホッとしたのかジークは胸をなでおろす様子で少し笑った。


「あー、ハハ、じゃあ俺は隣下で寝るよ」

「ありがとう」


 お互い笑い合った。

 暖炉のおかげで小屋の中が温まってきたからか、ラズがまたリュックから顔を出し猫ダルマになってこちらを睨んでいた。ことには気付かなかったことにしよう……。


「さて、夕食までは少し時間があるから、氷を見に行くかい?」


 クラハさんが荷物を片付け終えるとそう声を掛けた。


「はい!」


 やった! 氷が見られる! 明日見られるんだろうけど、どうせなら今見たいしね!


 クラハさんと共に小屋を出ると、日が沈みかけた雪山はさらに寒さが増していた。盆地のようになっているからか風はあまりないのが救いだが、それでも寒い。

 リュックのラズを猫ダルマのまま抱き締め、少しでも暖を取る。さすがにラズも寒いのだろう、いつもなら抱き締めていると文句を言うくせに、このときばかりは何も言わず沈黙。


 しばらく歩いていると山肌に凍り付いていない水がちょろちょろと流れているのが見えた。


「あれ、見える?」

「水が流れ落ちているやつですか?」

「うん、あの天然水をね、この溜め池に流し込んで氷を作って行くんだ」


 よく見ると足元には雪で埋もれてはいるが、少し一段低くなり畑のように広がる四角い面があった。

 それに気付いてから辺りを見回すと、同じように一段低い畑のようなものが四つ。それぞれ天然水とパイプで繋がれている。


 なるほど、あの水をパイプでこれらの溜め池に入れて凍らせる訳だ。


「明日はこの氷の上の雪をまず全部掃ってから、氷を切り出してソリに積んでいくんだ」

「なるほど」


 この大きさの氷を全部切り出すのは結構な時間がかかりそうだな。うん、今日はしっかり休まないとね。


 小屋に戻るとランブルさんがすでに夕食の準備を整えていた。


「すいません! 手伝いもせずに」

「? なんでヒナタが気にしてるんだ? これは俺の仕事だからな。みんなには明日目一杯働いてもらわなきゃならんし」


 そう言いながらランブルさんが豪快に笑った。確かにそうなのか……、依頼主であるランブルさんが氷の切り出しのために労働者側の食事を用意している訳で……、どうも日本人的発想で、女子は手伝わないといけない気分になっちゃうのよね。


「それに刻んだ野菜を持って来てるしな! ただ煮込んだだけだ!」


 なるほど、調理するにしても道具とかキッチンとかないしね。刻んだ野菜を持って来ていたら、鍋さえあれば野菜スープが出来る。

 大鍋は常にこの小屋に置いているらしく、年季の入った鍋だ。暖炉の上で煮込まれたスープは外ですっかり冷え切った身体には有り難い。


 テーブルに人数分のパンとスープが用意され、全員が席に着くと皆豪快に食べ出した。やはり皆温かいスープが有り難かったらしく、あちこちから喜びの溜め息が漏れていた。


 ラズにもスープをもらい少し冷めてから何とか食べている。猫舌だしね。


「あぁ、生き返る~」


 温かいスープは薄味だが、野菜の旨味がよく出ていた。トマトスープのような色味に少し大き目に切られた野菜たちが熱々でとても美味しい。芋やにんじんらしきもの、トマトのようなかなり酸っぱい赤い野菜や、緑色の何だろう、キュウリのようなウリのような? よく分からない野菜も入っているが、とにかく熱々が美味しかった。


 すっかり身体も温まりほっこりしていると、食べ終わった人は早々に食器を片付け出し、部屋へと入って行く。


「みんなもう寝るんですか? 早いですね」

「まあ明日は早いからね、身体が温まっている間に寝てしまうんだよ。雑談したり、カードゲームしたりしてる奴らもいるけどね」


 アハハ、とクラハさんは笑いながら言った。


「俺も早々に寝ようかと思うけど、ヒナタはどうする?」

「うーん、もう少しだけ起きてます」

「そう、じゃあ俺は先に寝るね。ヒナタも早く寝なよ?」

「はーい」


 そう言うとクラハさんは手をひらひらと振り、部屋へと入って行った。


 私はというと……、ちょっと気になってたのよね~! 夜の星空が! こんな山の中の空、絶対綺麗なはず!


 身体が冷えないようになるべく着込んで、外に出る。


「ラズはどうする? 外に行くけど、一緒に行く?」

『お、俺はいい』


 だよね、めちゃくちゃ寒いもんね。一人で小屋の外に出て、小屋から少しだけ離れる。ラズは扉横にある出窓から外を眺めていた。


 小屋からあまり離れない位置で空を見上げたら、とんでもない星空に言葉が出なかった。


 小屋の灯りがあるから、やはり少し見えづらいのだろうが、それでも今まで見たことのない程の星の数。まさに落ちてきそうな程の星だった。


「綺麗……」


 吸い込まれそうな感覚、落ちてきそうな感覚、不思議な、それでいてとてつもなく綺麗で美しい星空だった。日本にいたときには見たことのない星空。感動しかない。


「おー、綺麗だなぁ」


 突然背後から声がし驚いて振り向くとジークがいた。


「あぁ、すまん、驚かせたか。窓からヒナタが見えたから。この寒空で何やってんのかと思ってな」

「あ、うん、どうしても星空が見たいな~と思ってたから」

「そうなのか。はー、本当に凄い星だな。今までこの依頼で何度かここには来ているが、初めて見たよ」

「そうなの?」

「あぁ、今まで明日の切り出しのことくらいしか頭になかったからなぁ。まさかこんなに綺麗な星空とはな。全く知らなかったよ。ヒナタのおかげで得した気分だ」


 ジークは空を見上げながらアハハと笑った。


「フフ、なら良かった」


 二人でしばらく星空を眺めていると、身体が冷え切って来たからかくしゃみが出た。


「そろそろ戻るか、明日も早いしな」

「うん」


 すっかり冷え切ってしまった身体は小屋に戻ると、雪が解けるかのようにじんわりと身体が緩んで来た。ラズから思い切り睨まれながら、部屋に入り、私はクラハさんが眠るベッドの上に登り、ジークは隣のベッドの下に潜り込んだ。


 ジークと小声で「おやすみ」と言い合い、布団をかぶる。他の皆もほとんど眠っているようだ。

 シンと静まり返る中、あちこちからいびきやら寝息やら聞こえてくる。


 ラズはブツブツ言いながらも布団の上で丸まりもうすでに寝る体制になっていた。私も寒さで体力を消耗したのか、早々に眠りについたため、部屋の扉がそっと開かれた音に気付かなかった。

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