第八話 着替えて異世界人になりきった
翌朝肌寒さを感じブルッと身体が震え、もそもそと布団を頭までかぶろうかと手探りで探すと温かいものに触れた。
その温もりがあまりの気持ち良さ。何だっけこれ?
寝惚けながらその温もりを手元に引き寄せ抱き付いて、もう一眠り。あぁ、気持ち良い〜、ぬくぬく〜、とスリスリしていたら、その温もりがするりと腕からすり抜けてしまった。
逃すまい! と思わず「それ」を鷲掴みにすると、「ギャッ!!」という声が聞こえた。
ん ?何だっけ? ま、いっか。
そのまま「それ」を鷲掴みにしたまま、再び眠りに落ちた……。
『って、おいっ!! また寝るな!! 離せ!!』
せっかくまだ寝てようかと思ったのにうるさいな。何だっけ、この声……、えーっと、ん? 目覚まし? いやいや、こんな変な喋る目覚まし持ってないし。
彼氏? いやいや〜、まあね……、いないよね。
目を瞑りながらフッと笑った。
あー、まだ寝てたい。何か起きたくない。頭が働かないし何か起きることを拒否してる。うん、そう、起きちゃ駄目なのよ!
そうやっていつまでも眠っていると、頬を何やらぐにっと押された。
無視よ無視。これは夢なのよ。まだ夢の中!
そう思っているのに、さらに一層ぐにぐにぐにぐにと頬を押される。眉間に皺を入れようがぐにぐにぐにぐに……。
「だーっ!! 鬱陶しい!!」
ガッと目を見開き頬を押す何かを払い除けた。
『やっと起きたか』
目の前、うん、あまりの目の前に何かの股がある。
そして私の手は何やら尻尾らしきものを握り締めていた。
もふもふ気持ち良い……、と尻尾をにぎにぎ。
『だからいい加減に離せ!!』
股しか見えなかった「それ」をゆっくり見上げると黒猫がいた。
猫……、猫? えーっと? 私って猫飼ってたっけ? いやいや、飼ってない上に……、喋った!?
ガバッと飛び起きた。
えっと、ここはどこだっけ?
辺りを見回し自分の一人暮らしの家ではないことは一目瞭然。えーっと……、徐々に昨日のことを思い出してくる。
黒猫を見詰め、勢い良くベッドから飛び降りると、窓から外を眺めた。
「あぁ……」
日本によく似た街並み、しかし日本であって日本でない。そう、私は異世界に流されて来たんでしたね……。
そう自分に言い聞かせがっくりとした。
『お、おい、どうした?』
振り向くとベッドの上にお座りをした黒猫。
「あぁ、ごめん、何でもない。おはよ、ラズ」
『?』
黒猫のラズ。何でか人語を喋る猫。そういやいたよね。昨日出会って色々買い物してご飯食べて、お風呂に入ったよね。
色々思い出して来た。
ベッドに腰掛け、はぁぁあ、と深い溜め息を吐くとラズがビクッとする。
『どうした?』
「あー、うん、異世界に来てたこと忘れててびっくりしただけ」
アハハ、と笑った。
『あぁ、まあ昨日の今日だしな。混乱するのは仕方ないだろ』
ラズが何か優しい。じーっとラズを見詰めると、ラズがたじろいだ。
『な、なんだよ』
「ん? ううん、別にー」
ラズはしつこく何なんだと聞いてくるが無視をして洗面に向かって顔洗いと歯磨きをした。歯ブラシも歯磨き粉も日本と似たようなものだった。歯磨き粉はちょっと変な味だったけど。
歯磨きしながらぼんやり考える。
昨日絶対帰る方法を見付けてやるって思ったけど、そんなの見付かるのかなぁ。うーん、とりあえずキミカさんに聞いてみるか……でも帰る方法あるならとっくにキミカさんも帰ってるだろうしね……。
そもそも私の存在って向こうでどうなってるんだろ。
会社は!? ヤバい!! 無断欠勤じゃない!! って、それどころじゃないんだけどさ……。クスッと笑った。
確かあの鳥居をくぐったときにカバン落としちゃったのよね。てことは、財布やらスマホで身元確認されて、行方不明事件!? え、報道とかされちゃう!? 私、有名人!? え、ちょっとそんなことなったら家族にも行方不明で連絡行く!? うわ、ヤバいじゃないのよ!!
いやいや、だからそんなこと心配したところで、向こうの状況分からないんだけどさ。
と、一人で笑ったり青くなったり突っ込んだりしていると、ラズが物凄い不審そうな顔で見ていた。
『だ、大丈夫か、お前……』
「あ、ハハ、うん、大丈夫」
歯磨きを終えて、鏡で顔を見ると髪の毛がぐしゃぐしゃ。昨日タオルで拭いただけで寝ちゃったしなぁ。濡らしたり櫛でといたり、何とか整える。
「ドライヤーが欲しいなぁ」
『何だ? ドライヤーって?』
「濡れた髪の毛を乾かす道具だよ。そういえばこの世界の人って髪の毛自然乾燥なの?」
『髪の毛なぁ、まあ短髪のやつは自然乾燥じゃないか? 長髪のやつは魔術具で乾かしてるみたいだが』
「魔術具!? 魔術具なんかで乾かせるの!?」
思わずラズに詰め寄ると、たじろいだラズが後退った。
『あ、あぁ、熱を発する魔術具があるんだよ』
「へぇぇ!! 凄いね!」
ラズいわく本来は発熱などを冷ますため、熱を吸収する魔術だったらしいが、それを応用して逆に熱を発する魔術が開発されたらしい。それをさらに小さな石に魔術を施し発熱させるのだそうだ。
「それを髪の毛に当てるの?」
『あぁ』
「ふーん、でもそれって中々乾かないんじゃないの?」
小さな発熱する石を当てたくらいじゃ、中々髪の毛は乾かないような……。
『だろうな、使ったことがないから知らん』
「猫だもんね」
『うぐっ、あ、あぁ……』
ラズはグギギッと音でもしそうな動きで顔を背けた。
じーっとラズを見詰めたが、ラズはひたすら目が泳ぎ横を向いたまま。
「まあ良いや、私、髪の毛短いし! それより朝食はどうしたら良いかな?」
『あ、あぁ、近くにパン屋があるぞ』
「パン屋か! 良いね! じゃあパン食べてから昨日のキミカさんのお店に行こう」
そうと決まれば着替えないとね! 昨日買ったあの着物みたいな服着てみよう! ウキウキしてきた!
おもむろに部屋着を脱ぐとラズは「いきなり脱ぐな!」と叫びぐりんと後ろを向いた。
うーん、昨日といい今日といい……、うーん。
モヤモヤと考えながらも着替えるが、これまた四苦八苦。
どうやって着るんだこれ。
着物をまともに着たことがない人間からすると、合わせが分からない……どっちが前だっけ?
「ねぇ、これってどっちを前にして着るの?」
『ん?』
ラズがおもむろに振り向いたが、再び勢い良く顔を逸した。
『お前は!! 馬鹿か!? 馬鹿なのか!?』
「はぁ!? 何よいきなり!! 何で馬鹿なのよ!!」
『前を隠せ!!』
「は?」
前……、うん、確かに下着姿で着物みたいな服はマントみたいに羽織っただけよね。そして合わせが分からず広げて見せた。
猫のくせに下着姿のことを怒ってるのか。
「あのさ、ラズって猫よね?」
『え、あ、あぁ』
顔を背けたままのラズに向かって言った。
「本当に猫なのよね?」
『あ、あぁ……』
「…………」
『…………』
くそぅ、まだ何も言う気はない訳ね。
「それで合わせはどうしたら良いか知ってる?」
『ん、あぁ、えっと、確か右手を差し込めるほうだから、左側を上にかぶせるように、だな』
「へ〜、左を上に」
猫のくせによくそんなこと知ってるね、とはもう言うまい。もう聞くだけ無駄っぽいし。
ラズに言われた通り、左側を上にし、帯代わりにベルトで締める。いわゆるワンピース型になっていて、スカート部分は巻きスカートのようになった。
着物よりも生地は薄くふんわりとしていて、スカート部分もヒラヒラとフレアスカートだ。
「可愛い~!」
くるりと回ってみると、スカートがふんわりと広がる。
その様子をボケっと眺めているラズに声を掛けた。
「ねぇ、どう!? 似合う!?」
『んあ? あ、あー、似合うんじゃないか?』
完全に油断してたな。めっちゃ変な声出てたし。
「女の子の服装を褒められないようじゃ、モテないわよ~?」
ちょっと意地悪く言ってみたら、意外にもショックを受けたような顔をした。
『う、うるさい!! どうせ、俺は……』
あれ、何かしょんぼりしてる? 自分はモテるんだ! って怒るのかと思ったら。
「どうしたの? 何か振られたりでもしたの?」
『いや、そういう訳じゃないんだが……』
「ふんふん、じゃあどうしたの?」
『その……』
「うんうん」
『…………』
ラズは少し考えていたかと思うと急にハッとした。
『何でもない!!』
「惜しい!」
思わず小声で口から出た。もう少しで何か聞けそうだったのに!
『ん!? 何か言ったか!?』
「いいえ~、別に~」
訝しむラズをよそに、着替えた部屋着をベッドに置き、靴も昨日買ったショートブーツに履き替える。
「よし、これで私は完璧なルクナ人!」
腰に手を当て仁王立ち。ラズは苦笑していた。
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