第8話「柔道対決①」

 修が中条を半ば騙して茶道部に勧誘した次の週、柔道の授業中のことである。


「なあ修君。この授業を三年間真面目に受けてたら少しは強くなれるんじゃないかな?」


 修は柔道の授業中、中条から話しかけられた。まだ強くなりたいと言っていたのに茶道部に入れられたことを納得しきれていないかもしれない。


「ん? 無理じゃないかな」


 修は前にごろりと回転し、その勢いを活かして立ち上がりながら即答する。


「じゃあ何で授業にあるんだよ?」


 中条も同じく前回り受け身をとりながら反論する。修と違ってその動きはぎこちなく、回るときに体のあちこちをぶつけている。しかも、回転と立ち上がる動作が一体化されていないため立ち上がるのに無駄な力を使っているため授業が始まって二十分くらいの現時点で息が上がってきていた。


「そりゃあ伝統とか健康のためとかだろ」


 八幡学園の入校案内の武道教育についての紹介をそのまま口にする修に再度中条は反論を試みる。


「でも、三年間も授業に集中してやれば結構上達するんじゃないか?」


「宮本武蔵曰く。「千日の修業を鍛とし、万日の修業を錬とす」週一の授業を三年受けたところで百日を超える程度、武道の入り口にも立っていないというわけだ。宮本武蔵が言っているんだから間違いないだろ」


 修も中条の反論に対し、古の剣豪の言葉により論破にかかる。


「宮本武蔵はそんなに強い相手を倒していないから、それほど強くないって説も……」


 中条はなおも食い下がるが、そのトーンは目に見えて弱くなっていた。


「そりゃあ決闘に負けた相手はどんなに強かったとしても世に名の知られる前に消えていくからな。それに倒した相手の中には間違いなく大物がいるぞ」


「佐々木小次郎かい?」


「はずれ。正解は夢想権之助むそうごんのすけ


「どこのどなた様ですか?」


「神道夢想流杖術の開祖だよ。知らないのか?」


 大物として名前を挙げた夢想権之助に中条の反応がないので修はさらに説明を続けた。


「宮本武蔵と闘って敗れた後に、勝つために杖術を編み出した人で、二回目に戦った時は勝ったとも負けたとも引き分けたとも言われてるんだ。で、編み出した杖術は福岡藩に伝わって今では警察官の警杖術として採用されている。武道が衰退している現代でも杖術の流派としては最大規模なんじゃないかな。ところで何の話をしてたんだっけ?」


 一気に武道薀蓄をまくし立てた修は、論破したと確信したところで話が脱線していることに気が付いた。


「柔道の授業で強くなれるかについてだけど、つまりは練習時間が少なすぎるってことだね」


「まぁ結論を言えばそういうことだな。そもそも実戦では思わぬ不覚を取ることがあるから柔道を習得したとしても安心はできないんだぜ」


「聞き捨てならないな」


 結論を出して話を締めようとしていた二人の間に別の人物が紛れ込んできた。


「君は柔道部の……」


「剛田だ」


 話に割り込んできたのはクラスメイトの剛田だった。剛田は柔道部に所属しているため、柔道の授業では指導する側に回っている。修ほどではないが身長があり、全身に筋肉がついていて横幅があるため印象的には修よりも一回り大きく見える。締めている黒帯はまだ新しいが、使い込んだ柔道着や寝技のためにカリフラワー状に変形した耳から相当熟練しているように見える。


 入学当初の自己紹介で、柔道の中学生の県大会で優勝したと言っていたのを二人は朧気ながらに覚えていた。


「無駄口たたいて悪かったな。これからは真面目に受け身をとるよ」


「そうじゃねえよ。お前の言い方だとまるで柔道が実戦に弱いみたいじゃないか」


 修のした謝罪は的外れのものだった。剛田は自分が誇りを持っている柔道をけなされたものだと思っているようだ。


「いや、そうじゃなくて、試合と実戦はまた別物だということを言っていたんだ」


「試合で強くなれば実戦でも強くなる。少なくとも型稽古ばかりの古流なんかよりもずっと実戦的だ!」


 微妙に会話がかみ合っていない。修は釈明したものの剛田を怒らせてしまい、剛田の怒鳴り声で道場中の生徒の視線が修達に向けられた。


「こらこら。二人とも落ち着きなさい。ほかの生徒が怯えているじゃないか」


 注目を集めてしまった二人の間に柔道教師の里見が入ってきた。太刀花道場の門下生であり、修と同門である。柔道部の顧問でもあるので、修とも剛田とも顔見知りだ。


「先生、これが落ち着いていられますか。柔道がけなされているんですよ」


「俺の方は最初から落ち着いていますよ。大体、他の奴らだって半分は面白半分で見ていますって。そんな大したことじゃありませんよ」


 修と剛田の反応が正反対のように、周りの反応も体格の良い二人が争い始めたので警戒している者たちと面白い見世物が始まったと楽しげなものたちで二分している。前者は主に高校入学組、後者は中学入学組だ。


「鬼越~! 新入りにでかい顔させんな!いつもみたいにやっちまえ!」


「いよっ! 影の番長!」


 修に対して野次とも応援ともつかない調子で声をかけてくるのは中学入学組である。


 片や高校入学組は知り合ってから日が浅いので結束しているわけではないし、進学校に入学してくる比較的大人しい性格の者が主体であるため突然始まったバトル展開に戸惑っているものがほとんどだ。


「二人ともどうだろう。こういうことは話してても解決しないし、遺恨を残さないためにも試合をしてみたらどうだ? なんか盛り上がってるからな」


 修は里見が教師という立場でありながら完全に楽しんでいると感じ、また、周囲の雰囲気からも戦いを避けるのは無理だろうと判断した。


「分かりましたよ。立ち会いますよ。で、ルールはどうするんですか? 俺は剣術が本業ですけど、まさか、木刀は使っちゃダメでしょ? 柔道の技だけでやるんですか? それでも一向に構いませんけど」


「なんでもいいからはじめようぜ」


 戦い方をシミュレーションしながらやる気のなさそうに提案する修に対し、剛田は早く戦いたくて気が猛っているのが言葉に伝わっている。


 道場の中央あたりに進み、闘志と自信を漲らせた二人は開始の合図を待ちながら向かい合った。


 柔道の授業中なので柔道で戦うのが道理であるということになり、里見が審判を務めることになった。


 試合開始の合図が出る。


「はじめ! 待てぃ!」


 勝負開始の合図を出たはいいが、即中止の合図を出すはめになった。


「鬼越。お前、もしかして当身をいれようとしていないか?」


「いけませんか? 以前道場で披露してくれた柔道型に当身がありましたよね?」


 ぬけぬけと答える修の右拳は、郷田の顔面の寸前で止められていた。もし止めなければ鼻と口の間にある急所、「人中」をとらえていたことだろう。


「駄目だ。どう考えても安全性に欠ける。というかルール違反だ」


「柔道ルールとは明言されていなかったのに……あ、防具をつけるのはどうですか? たしか空手部がスーパーセーフを持ってますよ」


「防具をつけて当身ありってそれは柔道じゃなくて日本拳法だろうが。ルールは普通の柔道。テレビで見るような普通のやつだ。いいな」


「承知。当身も飛び関節もやりませんよ。不利になりますがいいですよ」


 修と里見は、そんなやり取りをしてルールを決めてしまった。


「あの……先生? お知り合いなんですか?」


 まるでふざけているように話している二人に割り込んで剛田がおずおずと尋ねる。


「ん? ああ。鬼越が通っている道場は剣術の道場なんだが柔術もやっていてな。俺も色々勉強させてもらいに行っているのさ」


 里見の言葉を聞きながら剛田は心の中で警戒を強めていった。勝てると思って喧嘩を売ったのだ。


 修がある程度の投げ技を習得しているのは受け身を見て分かっていた。しかし、古流の柔術や合気道が演武で見せるような、単なる型稽古位のものだろうと高をくくっていたのだった。


 だが、今しがたくらいそうになったパンチは一撃でKOされそうな代物だったし、柔道の高段者である里見が稽古に行くような道場で学んでいるとすると、実践的な技を習得している可能性が高い。


「じゃあ始めようか。まっとうな柔道の試合をね」


「お。おう」


 二人は申し合わせると向かい合い、お互いに礼をすると里見先生の合図で試合を開始した。

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