第26話「ヤトノカミとの戦い、緒戦」

 闇の中から身長三十メートル程度の蛇頭の怪物が出現した。その姿こそ先ほどまで修達が切り伏せてきたヤトノカミにそっくりであったが、その大きさや圧力は格段に上であった。


「馬鹿な! こいつの抑えには一個小隊を使ったんだぞ。こんなに早く、しかも無傷で来るなんて……」


 巨大なヤトノカミの姿に驚く大久保であったが、思考と行動は止まらなかった。素早く銃を拾い、ヤトノカミに向かって発砲した。


 狙いをつける暇はほとんどなかったが、的が大きいだけあって全弾命中し、硬そうな鱗を貫いて胴体のあちこちに傷をつけ出血させた。


「なんだ、効くじゃないか。ん?」


 銃で傷をつけることが出来ることを確認し、安堵と何故部下たちが倒すことが出来なかったのだという疑問がわいてくる大久保であったが、その疑問はすぐに解消した。


 傷ついたはずのヤトノカミの体があっという間に治ってしまったのだ。血が体から流れ落ちた後には鱗に傷の痕跡などどこにもなく、さっき負傷させたことなど夢なのではないかと錯覚するほどであった。


「なんだ。知らなかったのか? 眷属どもならともかく大将格にはそんな攻撃など効かないぞ。そんな楽な相手なら苦労などしたりはしないさ」


 ご丁寧にも黒マントが解説してくれた。その口調は冷笑するようでもあり、憐れむようでもあった。


「大久保さん! 多分そいつには銃とかの兵器よりも刀とかそういう武器の方が効くんだ!さっきそいつの手下達と戦って分かった」


 修が自分の戦いから得た経験を基にした推測を口にした。ヤトノカミの眷属も硬そうな鱗を備えていたが、短刀や薙刀により拍子抜けするほど簡単に切り裂くことが出来たのだ。この時の感触は、普段巻き藁を試し切りした時と比べても明らかに柔らか過ぎた。


「正解だ。よくもまあ簡単に当てるもんだ。さすが鬼越さんの血を引き、太刀花さんの教えを受けているだけのことはあるといったところか。で、分かったところでどうするんだ?」


「知れたこと。切り伏せるのよ!」


 千祝が黒マントの言葉を引き取り、薙刀を大上段に構えてヤトノカミに切りかかった。本当なら修も一緒に攻撃したいところだが矢が尽き、持っているのは短刀だけであるため、それは諦めた。代わりに大久保と黒マントの間に入り警戒をした。


「君たちは血の気が多いと言うか、果断と言うべきか、まあそんなところを評価しているのだがな。そんなに警戒しなくてもいいぞ。君たちを殺す気は無い以上こちらから攻撃する気はない。それよりも逃げた方が良いんじゃないか? 霊気を帯びた武器なら奴に勝てると思ったら大間違いだ」


 黒マントの言葉を無視して千祝が更に距離を詰める。その動きは最短距離をたどっており、スピードはあるが読みやすい動きだ。


「一応忠告しておくと、そいつは見かけは鈍そうだがかなり素早いぞ」


 素早さを頼りに芸もなく間合いを詰めて攻撃しようとしても迎え撃たれてしまうということだ。


 ヤトノカミは向かってくる千祝から敵意を感じたのか、腰を落とし、腕が地面に着くような前屈みの迎撃の態勢をとる。そして、その長い腕の届く範囲に千祝が入ろうというタイミングで腕を突き出した。その動きは予備動作もなく、黒マントの言葉通りとてつもなく速かった。巨大であるため少し離れた修達から見ればゆっくりに見えるがそれは見せかけであり、間近の千祝から見れば目にも止まらぬ速さである。


「甘い! は!」


 気合の言葉を口にした千祝の体が一瞬消えたかの様になり、その直後にはヤトノカミの足元に現れ巨大な脛を薙ぎ払った。


「ほう。縮地を見様見真似でそこまで使うとは考えたな」


 そう。千祝は黒マントや道場破りの青山達の流派の技である縮地を使ってヤトノカミの動きに対抗したのだ。黒マントの様に自由自在に動き回れるわけでもなく移動しながら攻撃することもできないが、それでもヤトノカミに攻撃するには十分であった。


「ゲギャーーーー」


 薙刀で切った部位からは血が流れ、悲鳴らしき叫びをあげているためダメージはあるようだ。効果を確信した千祝は更なる攻撃を加えていく。単純にその場で切るのではなく縮地を使い回り込みながらだ。


 しかし、


「だめだ! 効果が薄いぞ! 一旦下がれ!」


 離れて観察していた修が叫んだ。ヤトノカミに与えた薙刀による傷は銃で与えたものと違い、すぐには治らないものの、得物のサイズがあまりにも小さすぎて致命傷には繋がっていない。また、段々と切れ味が鈍っているようにも見える。


 千祝が後退する隙を作るため、修はヤトノカミの顔めがけて短刀を投擲した。短刀ではあまりにも小さすぎるため、たとえ顔に命中してもそれほどダメージにはならないであろうが、陽動としては十分である。


 放たれた短刀に対しヤトノカミの反応は早かった。巨腕を振るい短刀を払い飛ばし修の方を向き威嚇の咆哮を上げた。この咆哮だけで戦意を吹き飛ばされてしまいそうだったが、修は丹田に力を込め逆に気合の声を上げて対抗した。


 修の戦意は失われていない。


 しかし、武の道に入って日の浅い大久保には効果覿面だったようだ、刀を取り落とすと膝をついてしまった。黒マントの言葉の様に、この周囲に満ちた淀んだ空気の中では普通は正気でいられないことが本当だとすると、ここまで戦ってこられたことが褒められるべきことかもしれない。


「大久保さん。この刀、使わせてもらいます」


「ああ。残念ながら私には奴と戦うだけの力は無いようだ」


「修ちゃん。どうする? 普通に戦ってたら絶対に勝てないわ。見てこれ」


 修の援護により下がってきた千祝がそばに来て薙刀を見せた。その刀身にはヤトノカミのものらしき血がべっとりとこびりついていた。切れ味が鈍っていた原因はこれだったのだ。


「持久戦に持ち込むのは無駄ってことか。勝機が少しでもあれば何百何千でも切り刻んでやるんだがな」


「切れ味が落ちる前に、致命傷を与えなければ勝てないってことね」


「無駄だと理解したら、引いた方が良いんじゃないのか?」


 黒マントも会話に入ってくるが修達は無視した。


「一気に致命傷を与えるとなると斬撃ではなく、突きの方が良さそうだ。あれだけでかくても刀身を全部突き刺したらダメージがあるだろう」


「それで駄目だったら何をやっても駄目でしょうね。後はどこを狙うかだけど……」


『目しかない』


 狙うべき部位は目であるという結論に修と千祝は同時に至った。人体であれば急所はもっとたくさんあるのであるが、胴体の急所は内臓の場所があの怪物でも同じなのか確証がない。


 更に、戦闘態勢に入ったヤトノカミは四つん這いに近い前屈みになっているため、顔が前に突き出されており狙いやすい。以上のことは特に口に出したわけではないが、以心伝心で伝わっていた。どの様にして攻撃するのかもである。


「いくぞ!」


「はいな!」


 決意を固めた二人はヤトノカミに向かって行く。


 二人は縦一列の隊形をとった。修が先頭で千祝が後ろだ。


 修は刀を右肩に担ぐように構え、先ほどの千祝と同じ様に縮地で飛び込んだ。一瞬消えたかの様になった後、ヤトノカミの手前に現れる。その位置は修から刀で攻撃するには遠く、ヤトノカミの間合いだった。


「ガアッ!」


 ヤトノカミが叫び、その巨腕がうなりを上げて振り下ろされる。その威力は凄まじく、地面に人が一人入れるぐらいのクレーターを作った。


 そこに修の姿は無い。


 無防備に前に出たように見えたのは誘いであり、十分攻撃をかわせる態勢であったため、余裕を持って後方に飛んだのだ。


「覚悟!」


 地面に拳を叩きつけ、姿勢が低くなったヤトノカミの頭めがけて千祝が飛び込んできた。修の体を踏み台にして通常届かない高さまで跳躍したのだ。


 手にした薙刀を体ごとぶつけるようにして突き出し、その攻撃は薙刀の柄の半ばまでヤトノカミの目に突き刺さった。痛みのためか頭を振り乱してヤトノカミが暴れたため、千祝は薙刀に捕まることが出来ず、地面に落ちていく。


 地面激突する前に修は落下地点に先回りして、千祝の体を受け止める。


「もういっちょ!」


 千祝は修の腕の中から地面に降りると今度は自分が踏み台となり、バレーボールのレシーブの様に修の跳躍をサポートした。


 空高く駆け上がった修は、ヤトノカミの無事な方の目に狙いを定め、刀を渾身の力を込めて突き刺した。


 ヤトノカミは頭を振り乱していたが、狙いは違わず鍔まで深く突き刺さった。手ごたえは十分、確実に効果があったと確信する。


「よっしゃー!」


 勝利の雄叫びを上げながら修は地面に着地する。転がって着地の衝撃を殺しながらヤトノカミから距離をとる。そして、ヤトノカミの攻撃が届かないと思われる位置まで下がると油断なく構えた。武道家の心得の残心だ。


「どう……かしら?」


「効いたのは間違いない。これで倒せなきゃ一旦下がるしかないな。まあ目を潰したんだから危険は減っただろう」


「鬼越君。太刀花さん。もうすぐ太刀花先生がこちらに来るはずだ。もういい。一旦下がるんだ」


 修達は油断なく遠巻きに暴れ狂うヤトノカミを見守っていた。気付くと黒マントの姿が消えていたがそれを気にしている余裕は無いため無視する。


「やばいな。全然弱る気配がない。あれだけぶっ刺したんだから、脳にも達しているはずだろ?」


「それは人間基準ならそうなんでしょうけどね。弱点があるのかどうかすらわからないわね」


「首でも刎ねれば行けるか? 手段が思いつかんが」


 修達が倒す手段を模索している間も、ヤトノカミが弱る様子はなかった。目が潰されているため、修達の位置を補足することは出来ないのは救いではある。


「方法が無いんじゃどうしようもない。先生達が来るっていうんならそれまで待とう。黒マントが言っていたことが正しいとすれば昔から戦ってきた武芸者なら何か知っているかもしれないしな」


 待ちの態勢に入った修達であるが、ヤトノカミの様子に変化が見えた。それまで無暗矢鱈に吠えていた叫びを止めた。いや、止めたというよりそれまで放っていた叫びを蓄積しているようにも見える。


 警戒を強めた修達にも予想外の光景が広がった。溜め込んだ咆哮を勢いよく解放すると同時に辺り一面に黒い炎の様なものが放たれたのだ。


「下がれ! ぬあっ!」


 慌てて下がろうとした修達であったが、さすがに広範囲に広がる黒炎までは躱し切れず、巻き込まれて悲鳴を上げる。


 逃げなくては、と敵を背に走ろうとするが、黒炎のダメージなのか激痛と足が鉛の様に重く遅々として進まない。


 もう諦めて地面に突っ伏し、殺されて楽になってしまおうかという考えが頭をよぎる。さっきまで絶望的に巨大な敵に立ち向かっていた勇猛な気持ちが嘘のようだ。


 しかし、すぐ横で自分と同じように必死に逃げようとしている千祝の姿を見ると、また新たに必死に生き延びるべく戦う闘志が湧いてくる。


「一旦、社務所に逃げるぞ。それで裏口から逃げるか、武器を調達するかはまた決めよう。最後まで生きて戦い抜くんだ」


 次の行動と励ましの言葉を口にしたら、もう迷わなかった。弱気な心は消え去り、必死に逃げることだけを考え足を動かす。もし、今ヤトノカミに襲われたら一瞬でやられてしまうことは確実であったが。考えるだけ無駄なことは思考から消し去った。


 不思議なことにヤトノカミが追いかけてくることは無かった。背中の方からヤトノカミの威嚇するような叫び声がするだけであった。

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