第54話「砲兵魂」

 修達がものどもをおびき寄せ、交戦を開始させた時期から少し遡る。


 ダイダラボッチを封印していた地点から離脱する際に単独行動に移った中条は、予定通り野戦特科部隊の陣地に来ていた。


 陣地の中に設定された駐車場にバイクを停めた中条は、部隊の指揮所に急いで向かった。


「おお、中条2尉、また来たな。話は受けているぞ。貴官の示す場所に弾幕を発動させればいいんだろ?」


 中隊長が中条に親し気に話しかけて来る。異界化の範囲から離脱し電波が回復した時に、に連絡してこの部隊に射撃に関して指示をしてもらう様に要請したのだ。目の前の中隊長は、中条の指定する場所に対して、携行している全ての榴弾を一斉に叩きこむように指示されているはずだ。


「では、どこに撃てばいいか大塚2尉に伝えますので、一旦失礼します」


 中条は榴弾砲の射撃にそれほど詳しいわけではないので、旧友の力を借りるためにテントの外に出た。


 外に出た中条はすぐに探している顔に遭遇した。どうやらあちらから待ち構えていたようだ。


「よう大塚。話は中隊長から聞いていると思うが、さっき撃ってた場所から少しずらしたところに弾着させたいから、どう指示すればいいのか助言してほしいんだ」


「中条……それは了解したけど、他に何か頼むことがあるんじゃないか? 中隊長は政府だか外国のお偉いさんに、射撃の展示をするらしいとか言ってたけど、本当にそんなことか?」


 上はそういう理屈をつけて射撃の指示をしたのか、と思いながら中条は大塚の話を聞いた。


「お前が普通とは違う部隊に行ったことは知っている。普通の部隊からいなくなってしまうんだから、全国の同期の中では話題になるからな。今何か起きてるんなら言ってくれ、協力するし、誰にも話はしない」


 中条は考え込んだ。中条は砲兵の運用に詳しい訳ではない。これから外つ者に対して射撃をするのならば、専門家である大塚の協力は正直ありがたい。そして、おそらく大塚は秘密は守るだろう。懸念事項はあるのだが。


「分かった。事情を手短に話すから絶対他の人、上司にも話すんじゃないぞ」


 少し離れた他の隊員がいない場所に移動して、中条は今置かれている状況と企図している作戦について大塚に伝えた。


「ううむ。それなら弾幕の着弾点に適した場所をすぐメモるから、指揮所で射撃諸元の算定をしている奴に渡してくれ」


「俺が渡すのか? お前はどうするんだ?」


「この作戦は、発動のタイミングや観測が重要だ。専門の俺が直接行った方が良い。違うか?」


「確かにそうなんだが、大丈夫だろうか。今言った通り、外つ者の近くでは精神がもたないかもしれないんだぞ」


 これが懸念事項だった。離れて安全なこの場所と違い、外つ者の近くに行くということは発狂する可能性がある。


「ま、大丈夫じゃないの?」


 こともなげに大塚はそう言う。本当に自信があるのか、気を使わせまいとしているのかは分からない。


「お、そうだな。多分大丈夫だ。ダメだったらワリィな」


「ハハハ。こいつめ」


 二人は静かに笑うとお互いの拳をぶつけた。そして、お互いの行動にそれぞれ移った。




 大塚と別れてから、中条は大塚のメモをもとに弾幕発動の準備を整えた。後は大塚の連絡を契機に榴弾砲の一斉射撃を実施することで、外つ者どもに大打撃を与えることが出来るはずだ。


 中条はテントの外で、修達が外つ者達をおびき寄せる予定の弾着地の方を睨め付けていた。特科中隊が榴弾砲を据え付けている陣地は少し高い所にあるため、弾着地付近まで見渡すことが出来る。


 流石に離れているし、間に森があって視界を邪魔しているため、修達の姿を確認することは出来ない。100メートルを超えるダイダラボッチは見えてもおかしくない、というよりは絶対に視界に入ってくるはずなのだが、奴の周囲は異界化しているため、その外からは見ることは出来ない。そのことは逆に安全に遠距離攻撃を行うことが可能であることを保証してくれている。


「はい。了解、弾幕発動ー!」


 テントの中から電話の受け答えが聞こえてくる。どうやら大塚から射撃の要請があったようだ。ということは、今見ている弾着地付近にダイダラボッチがいるはずなのだが、全く見ることが出来ない。


 砲撃の効果がどうだったのかを直接確認することが出来ないのは残念だが、これで終わるという安堵が中条の胸にこみ上げてくる。作戦が発動すれば確実に修達が何とかしてくれるという信頼感がある。


 射撃の号令がこれから出され、5門の155ミリ榴弾砲が火を噴こうとした瞬間、異変が起きた。


「これは……」


 周囲に怪しい気配が立ち込めて来る。これまでの戦いで経験したことがある中条は、それが何かすぐに分かった。外つ者の放つ邪悪な気による異界化である。安全なはずのこの地域まで異界化してしまったのだ。


「馬鹿な、こんな広域で異界化するなんて聞いたことが無いぞ……あれは!」


 信じられないといった表情の中条は、更なる異変を目にする。弾着地の近くに100メートル近い巨人、ダイダラボッチがいるのがはっきりと見えたのだ。


 ダイダラボッチの目ははっきりと中条達のいる陣地の方を見ている。


「まさか、こちらに気が付いて気を放ち、異界化の範囲を広げたのか? そうだ、射撃は?」


 中条は砲撃をするはずだった、各砲の方に目を移す。


 そこには、惨劇が広がっていた。


 悲鳴をあげる者、気絶する者、糞尿を漏らす者、何が可笑しいのか笑い続ける者、弾の入っていない小銃でダイダラボッチに向かって引き金を引き続ける者、誰一人として正気のものはいない。


 もちろん、計画通りの射撃など始まらない。


「まずい、何とかしないと。そうだ、中隊長! 何か指示を!」


 射撃の要請があったということは、修達が外つ者と接触したということだ。作戦通りの射撃がなければそれを頼りにしていた修達の身が危ない。部隊の隊長なら正気を失った隊員達をどうにかできるのではと思って、指揮所の方を振り返る。そこには、魂の抜けたような表情の中隊長が立ち尽くしていた。とても指揮のできる状態ではない。


「だめかよ。誰か無事な奴はいないのか!」


 中隊長に何とかしてもらうことをあきらめた中条は、榴弾砲の方に走っていった。そこには、正気の者が見当たらず、狂気に囲まれた中条は呑まれそうになってしまった。しかし、気を奮い立たせて打開策を探す。


 先ずは自分で撃つことは出来ないのかと、榴弾砲を見てみる。普通科出身の中条は、迫撃砲というもっと射程の短い火器の使い方は分かるが、種類が違い過ぎて榴弾砲の使い方は分からない。見た事のある映画では紐を引っ張って大砲の射撃をしていたが、目の前の榴弾砲、FHエフエッチ70ナナマルにはそのような紐はついていなかった。


 インターネットで検索すれば、射撃の動画がアップロードされているかもしれないが、異界化しているこの場所ではそれは適わない。


 自分で撃つことをあきらめた中条は、周囲の発狂した隊員を正気に戻すことを試みた。その辺の隊員に声をかけたり、頬を叩いたり、水をかけてみたりしたが、正気に戻る者は誰もいなかった。


「誰か! 誰か撃ってくれる奴はいないのかよ!」


 絶望に囚われそうになりながら、思わず叫びを上げてしまった。


「あのー。もう射撃していいんですか?」


 中条に場違いにのんびりとした声が掛けられる。その方向を見ると、広場に並べられた5門の榴弾砲、その中でも真ん中に位置している大砲の方から一人の隊員がこちらを見ている。


「いえ、射撃開始の予告が聞こえてきて、今にも号令が出るかと待っていたんですが出ませんし、皆様子がおかしいんでどうしたものかな、と。撃っていいんですかね?」


 中条はこの人物を見て驚いた。確か昼に誤射してしまった砲の担当者だったからだ。大塚はこの人物をとろいところがあると評していたので、この隊員にはあまり期待していなかったのだ。しかし、愚直なところがあるとも言っていた。


「おお。撃て! こっちに伝わっていないだけで、中隊長の許可は下りているぞ。すぐにでも撃ってくれ!」


「そうですか。発射!」


 155ミリの榴弾が発射され、天地を揺るがす砲声が辺りを木霊する。耳栓をしていなかった中条は急いで耳を塞ぐ。特科職種の隊員には耳が悪いものが多いと聞くが、この轟音を四六時中聞いていたのでは無理もないだろう。


 この轟音は天地を揺るがしただけでなく、周囲の隊員の心も響かせた。ついさっきまで狂気に囚われていた隊員たちは意味不明な行動を止め、砲弾を放ったばかりの榴弾砲に視線が集まる。その眼には正気が戻っていた。


「貴様ら、平塚3曹がやってくれたぞ! どうした、後に続け! あそこに見えてる良く分からんデカブツに砲弾を食らわせてやれ!」


「「はい!」」


 いつのまにかこちらに来ていた中隊長の放つ檄に対し、隊員達は威勢の良い返事を返す。怪物の放つ邪悪な気に心を侵食された者達はもういない。1発の砲弾が勇気を取り戻させたのだ。


 古来より砲兵は「戦場の女神」とも呼ばれてきたが、まさにその通りであると思い知らされた。大砲はその音だけで敵の士気をくじき味方を鼓舞する。おそらくダイダラボッチと直接対峙している修達もこの射撃に励まされることだろう。中条は修達の健闘を祈るのだった。

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