当世退魔抜刀伝

大澤伝兵衛

第1章 ヤトノカミ編

第1話「夢と現実と高校生活」

 鬼越修おにごえしゅうは自分が夢の中にいるのに気が付いた。


 何故現在の状況が夢であると断言できるのかというと、周りの景色が白くぼやけており、立っている地面さえはっきりとしなかったからだ。


 おまけにその両手には自分の身長をはるかに超える刀が握られているが、それにもかかわらず何の苦も無くそれを正眼に構えていた。修の身長は一九〇センチを超えており、それをはるかに超えるこの刀は刀身だけで二メートルを優に超すであろうか。西洋のグレートソードだとてここまで長大ではあるまい。


 片刃の刀身は真直ぐであり普段見慣れた日本刀とは一線を画すものであった。


 修は日本人としては体格の良い方であり、十五年の人生のうちかなりの時間を武術に費やしており膂力にも技術にもそれなりの自信があった。それでもこの直刀をまともに扱うことは、構えることさえ難しいことと思える。


 そんなことを考えているのが一瞬だったのか長い時間だったのかわからない。しかし、突然状況は動き始めた。


 何かが、何か嫌な感じのするものがこの碌に周りの見えない空間にいるのを感じた。嫌な感じのするものといっても漠然としすぎているが、生理的嫌悪、不快感、根源的恐怖、それらを一緒くたにしたような感覚だった。


「切れ」


 何かが修にそう呼びかけた。


「切れ」

 聴覚ではなく心の中に響いてきた。


「切れ」 


 しかし、どうやって正体を見極められないようなものを切ればよいのか。


「切れ」


 修は気付いた。この手の中にある刀を使えば良い。何がいよう起ころうとこの刀さえあれば必ず切り捨てる事が出来る。そう確信すると、先程まで到底使えるとは思っていなかった長大な直刀を、まるで重さが無いように軽々と頭上に振りかぶり、悪の気配の濃密な空間に振り下ろした。


「師匠、お手合わせを願います」


 太刀花則武たちばなのりたけの静かな朝食は、突然響いてきた遠慮のない声によって妨げられた。声の主は分かっている。鬼越修、太刀花家の隣に住む少年であり、則武の経営する古武術道場の弟子でもある。


 鬼越修は今年の春に高校に入学したばかりの十五歳である。修の亡き父に似たのか身長190を超えており、十五歳にしてはかなり背が高い。加えて則武の道場で鍛えられた体には筋肉がかなりついておりがっしりとしている。その巨体の上に乗っかっているのが年齢を反映したまだ幼さの残る顔なので、大人と子供の境目にいるアンバランスさを感じさせる。


 修の死没した両親と太刀花則武は親友であり、元々太刀花家と鬼越家は家族ぐるみの付き合いである。さらに現在の保護者である修の叔父、鷹次は海外出張が多いため、修と鷹次の娘の八重が朝食を太刀花家でとるのはいつものことである。いつもと違うのは、通常早朝自主的に稽古した後に朝食の配膳を手伝っているのに今日は八重しかおらず、そして道着姿に木刀を持って現れた点だ。


「今日は遅かったな。早く席について食べないと遅刻するぞ。千祝ちい、熱いお茶を出してやれ」

 則武は娘の千祝にそう呼びかけた。修はいつもなら五時頃には起きて朝の稽古をしている。それがこんな時間に現れて妙なことを口走っているのだから寝惚けているのに違いない。そう則武は考えた。


 しかし、修は、


「拙者、夢の中にて武の極意を会得し申した。この感覚が消える前に手合わせを願いたい」


 と言ってきた。


「修兄ちゃん、拙者とか何言ってんの。なんか変なマンガでも読んだんじゃね?」


 則武の息子の則真のりざねはそんな煽るようなことを言い、千祝は淹れたお茶を渡そうか困っている。八重は従兄の異常にわれ関せず黙々と箸を動かしている。


 自分の実力を過信し、実際以上の技量をもっていると錯覚する、というのは程度の差はあるものの若者にはよくある事である。自分を過少評価し卑下するよりは健康であるかもしれない。則武にだって覚えがあることだ。それに、修は則武の見立てではかなりの実力を身に着けているのに、自我に乏しい部分がありそれを誇示するようなことがあまりない。ある意味良い傾向であると言える。また、修から感じる気迫は昨日までとは違う何かを感じる。 


 しかし、天狗になった状態のままでいることもまた危険であるため、その鼻は適当なところでへし折ってやらねばない。


「分かった。道場に来なさい。極意とやらを見てやろうじゃないか」




 鬼越修は大きく体を揺さぶられ、鳩尾に痛みを感じて目を覚ました。


 目を開けてみると体は三輪自転車の荷台に押し込まれていた。窮屈な姿勢を何とか変え、後ろを振り向くとその自転車を手で押しながら歩く、隣に住む幼馴染であり同じ高校の同級生でもある太刀花千祝の姿があった。


 千祝は、切りそろえられた長い黒髪や眼鏡をかけた優しげな顔立ちであり。文学少女のような雰囲気を一見漂わせている。しかし、父親の則武に似たのか高校一年生の女の子にしてはかなりの長身であり、適度に筋肉がついて引き締まった体をしているので一見するとバレーボール部かバスケットボール部所属のようにも見える。


「あれっ。俺、なんで自転車で運搬されてんの?」


「今朝、お父様に勝負を挑んで返り討ちにあって目を覚まさなかったからでしょうが。覚えてないの?」


 千祝が呆れたような声で答えてくる。目が覚めたばかりで意識がはっきりしないが言われてみるとそんな気がする。鳩尾に感じる鈍痛も千祝の証言を保証してくれている。


「ああ。そうか。そういえばそうだったっけ」


 口に出して言ってみると意識がはっきりしてくる。そう、立ち会ったは良いが打ちかかった瞬間、一撃でやられてしまったのだ。


「大体なんで勝てるとか思いこんでたの? 口調もなんかおかしかったし。後、目が覚めたなら降りなさい」


「それはだな。一刀流の開祖の伊藤一刀斎っているじゃん? ある日目が覚めたら剣を究めてしまったことに気付いて、師匠の鐘巻自斎も倒してしまったという逸話があるんだ。俺もそうなんじゃないかと思って挑んでみたんだ。後、手を貸してくれ。ケツが籠にはまってとれん」


 訝しげに尋ねる千祝に修はそう答えながら体をばたつかせる。千祝が通学に使っている自転車は後ろに籠がついているタイプの三輪自転車だ。下校時に食品等を大量に買い込むため大きな籠のこのタイプのものを使っている。普通のママチャリの籠に比べて大きいとはいうものの修の巨体を収めるに大分無理をしている。


「一刀流の開祖の話って、うちの道場は新当流の流れを汲んでるというのにいい度胸ね。大体剣豪の事実かどうかも分からない逸話を現実の自分に重ね合わせるとか高校生にもなって恥ずかしくないの? お父様は、「若い時分にはよくあることだ」って怒ってなかったけど、ここまでひどいとは思ってなかったでしょうね。せっかく気迫と構えは良かったって言ってくれてたのに」


 千祝はそうブツクサ言いながら修の手を取って引っ張った。千祝は高校一年生にしては相当大きい部類に属する修とほとんど変わらないほどの身長で、女性としてはかなりの長身である。則武は二メートルを超える巨体なのでその遺伝なのかもしれない。さらに、幼少時から父則武の道場で稽古をしているためその膂力はかなりのものである。そのため籠に窮屈に押し込められていた修の体も簡単に抜けた。


「おお、サンキュー! さすが師匠譲りのパワーだな!」


 修はあまり気にしていないが、則武が褒めるのは珍しいことであり、修の朝の行動は奇行であったとしてもそれなりの評価はされているということだ。


「構えのバランスがおかしかったって、ああやるなら普通の木刀じゃなくて野太刀でも持ってる時にやれって。それに、目付が巨人と戦うような感じだったって言ってた。ほら、学校に着く前に食べちゃいなさい」


 千祝が自転車の前の籠から鞄を取り出し修に渡す。鞄を開けてみるといつも昼食で使っている弁当箱の包み以外にラップに包まれたおにぎりが入っている。朝食の余りを握ったものだ。


「せっかく俺が主人公の剣豪伝説が始まると思ったんだけどな」


「始まった瞬間にやられる主人公が何処にいますか。大体どんな夢を見たらそんな風に思い込めるの?」


「どんなって、まあ夢なんだけどさ。なんかリアリティがあるというか、既視感を感じたというか」


 おにぎりを食べながら夢の内容を千祝に話す。話しながら修は千祝が途中から黙ったまま頷きを返さず、何かを考え込んでいるのに気付いた。


(まさか、頭がおかしくなったと思われてるんじゃ?)


 客観的に考えれば、身長よりも大きい剣を振り回し、それにリアリティを感じたなどというのはおかしくなったと思われても仕方がない。おかしくなったのでなければ厨二病を発症させたかだ。


 修が冗談として話を終わらせるにはどう言ったら良いのか思案し始めていると千祝が口を開いた。


「私も、見たことがあるような気がする」


「えっ?」


 意外な返答に修は驚いた。


「大きな刀で戦う修ちゃんを見たことがある気がする。今まで忘れてたけど」


「そうなのか?でも、俺自身にはそんな記憶はないぞ?」


「五年前」


「!」


「五年前の事故で私達の記憶に曖昧なところがあるわよね?それではっきり覚えてないんじゃないかな?」


 五年前、修は千祝と一緒に土砂崩れの事故にあったと聞いている。聞いているというのは、事故にあった時の記憶が修にも千祝にもなく、千祝の母親がその時に修達をかばって死んだという話を後から聞いたが二人ともその記憶はない。 


 修が意識を取り戻したのは病院のベッドの上で、命は助かったもののかなりの大怪我で長い間入院していた。その時に、軽症で済んだ千祝が看病やリハビリの世話をしており、修はそのことを恩義に感じている。


「なるほど。確かに事故そのものだけじゃなく、他にもはっきりしない記憶があるからな。おっと、やばい、水野だ。んぐんが!」


 話しているうちに学校に近づいてきて生徒の姿が多くなってくる。そして、校門とその近くに立つ生活指導教諭の水野の姿が見えたところで、修はおにぎりを丸呑みにした。


「水野先生。おはようございます」


「んぐ! 先生おはようございます!」


 二人は校門の前までくると水野に朝の挨拶をした。生活指導の水野は剣道部の顧問であり中年ではあるが鍛えられた体をしている。水野は胡乱げな目を修に向けた。


「鬼越。お前今買い食いしてなかったか?校則違反だぞ」


「ははっ。やだなー先生、どこに食べ物があるっていうんですか?それに、もし何かを食べていたとしても買ったんじゃあないと思いますよ」


「ああ、もういいっ。行け!言っておくがあまり学校の品位を汚すようなことはするんじゃないぞ」

「わかりました。ではごきげんよう」


 水野は太刀花道場の門下生でもあり、修と千祝とは旧知の仲である。深く追及されることなく会話を終わらせると二人は水野の追及をかわすと教室へ向かった。


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