第36話「決着(後編)」
思いもよらない展開に焦る修に、更なる衝撃が襲う。兜割りを防ぐことに精一杯になっていた意識の隙間を縫って、武器を持っていない方の左手が修の胸部に添えられ、その瞬間吹っ飛ばされたのだ。
中国拳法の寸勁に似た技であった。
数メートル宙を舞った修は、地面に叩き付けられた後その勢いのまま転がり、勢いを利用して立ち上がり油断なく剣を構えた。体へのダメージはそれほどない。しかし、全く自分の力が通じなかったことに動揺していた。
「そんな……いくら俺の技量が劣っているとはいえ、布津御霊に込められた過去の達人の技を再現すれば対抗できるはず。それともあいつはそれ以上の達人だっていうのか?」
「そういう訳じゃない。俺も一応達人の端くれではあるが、過去に布津御霊を振るってきた
黒マントは修の敗因を勝ち誇るわけでもなく淡々と語った。まだ完全に敗北した訳ではないが、残念ながら修に剣技で勝つ術はないということだ。敵の言葉ではあるがそれは信じることが出来た。
しかし、勝つのが絶望的だからと言って、諦めてしまう訳にはいかない。何か剣術で勝つ以外の方法を見つけ、黒マントを止めなければ今夜と同じような戦いが繰り返されることになる。
「更に言えば、お前と太刀花さんの娘との連係なら勝ち目があったろうよ。じゃあ死ね」
「それでは大人しくやられれば、もうこんな戦いは止めてくれますか?」
「は?」
自分の敗北を認め、大人しく敵の手にかかる。これが修の出した答えだった。
自分一人では勝ち目がない。それでも負けないためには時間を稼ぐなり逃げるなりして、助けが来るのに期待するという手もあった。しかし、相手は格段に格が上であり、得意技は縮地による目にも止まらぬ早業だ。下手に時間稼ぎをしようとした瞬間にやられてしまうだろう。
「馬鹿かお前は。そんなことに関係なしにこちらは勝てるんだぞ」
「それは十分承知しています。しかし、あなたが抱えている苦しみ、それは何なのかは知りませんが、少しでも俺にぶつけることで軽くすることが出来るのならと考えました」
「……」
「そして、その結果戦うことを止めてくれたなら、まだ息のある千祝を救うことに繋がります」
「勝手にしろ。お前の言った通りに無抵抗でやられようが、怖くなって抵抗しようが逃げだそうが知ったこっちゃない。気が向いたらそこらに転がっている奴らに止めを刺すのは止めてやろう。約束はせんがな」
「どうもありがとうございます」
黒マントは兜割りを構え直し、対照的に修は力を抜き両腕をだらんと下げた。長大な布津御霊の切っ先は地面に着いてしまっている。
(これは……こいつ、本当にやられる気だ)
黒マントは内心驚いた。修の無防備な姿は、一見無構えに似ていた。
無構えは構えていない様に見えるものの、あえて構えをとらないことによりどの様な攻撃にも対処できるという構えのことである。これならば修が無防備であると油断して攻撃した黒マントをカウンターで仕留めるということも理論上あり得る。
しかし、実際の修の姿は完全に力が抜けており、足は棒立ち、気も完全に抜けていた。
これでは、後の先をとるようなことは出来はしない。
黒マントはどうするべきか一瞬迷った。
元々、修達を殺すことは目的ではなかった。思惑とは違う考えを修が抱いていた為に怒りを爆発させてしまったが、この怒りは本来別のものに向けられていたものだ。それが、則武に指摘されたように、向けるべき相手などとうにいなくなっていたので、溜まっていたのが暴発してしまったようなものだ。
結局、迷いを振り切って黒マントは襲い掛かる。ヤトノカミが倒されたことにより、空間が元に戻ったため、これまでの様に姿が完全に消えるような縮地ではない。しかし、本気であり、しかも千祝との連携による邪魔の入らない縮地は、修には反応することは困難なものであった。
黒マントの攻撃を受ける直前、修は不思議なほど落ち着いていた。
黒マントが暴れている具体的な理由は分からないが、それがやり場の無い怒りをぶつけているものだとは理解できた。修には、勝つことも説得することも出来ないが、その怒りを受け止める覚悟だけは出来ていた。いや、受け止める覚悟だけでなく、黒マントの心を救いたいとすら思っていた。自分と千祝が最優先で後は家族と友人位にしか興味がなかった自分が、ほとんど知らない相手である黒マントを救いたいと思っている自分に、修は不思議さを感じていた。黒マントの激情にふれてその影響を受けたのかもしれないなどと自分で納得していた。
そして、黒マントはそのやり場の無い怒りをどこかにぶつければ鎮まるだろうことを予想していた。
(出来れば、覚悟を示した時点で収まってくれればよかったんだけどな)
そんなことも少しは期待していたが、さすがにそこまでは高望みしすぎだったようだ。
殺意を感じ取ることは出来るが、襲い掛かるタイミングを読むことは全くできなかった。なので、なすすべもなく打ち据えられ、そのまま冥府に叩き落されるはずであった。そして、それは覚悟の上であった。
「修ちゃん!」
黒マントが襲い掛かったまさにその瞬間、気絶していたはずの千祝から修を呼ぶ声がした。そして、無意識のうちに手にした大剣で目の前を薙ぎ払った。
驚いたのは黒マントだ。なにしろ直前まで攻撃の意思が完全に消失していた者が反撃してきたのだから、予想外であった。
修の攻撃は無意識であったためか、黒マントはその軌道を読むことが出来ず、力みのない理想的な一撃であった。また、不意の反撃に驚いた黒マントは、無理に攻撃を躱そうとしながらの攻撃となったため、本来の必殺の一撃を放つことは出来なかった。
一瞬の交錯の後、黒マントは後ろに吹き飛ばされ、木にぶつかって崩れ落ちた。今までの様に自分から後方に飛んだのではなく、修の一撃がクリーンヒットしたのだ。
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