第37話「日常へ」

 修がとっさにはなった一撃は、黒マントに初めてクリーンヒットして吹き飛ばした。それに対して修は、吹き飛ぶことは無かったが、その場に崩れ落ちた。


 黒マントの攻撃は、不完全ながらも命中しており、それに加えてこれまでの戦いのダメージや疲労のため力尽きたのだった。


 吹き飛ばされた黒マントは、胸の痛みを感じながらもすぐにその身を起こした。斬られた胸の辺りを観察すると、マントが少し切られただけであった。


 布津御霊剣ふつのみたまのつるぎがいかに聖なる力を宿し異形の者を切り裂く神剣とは言え、作られたのは太古の昔、作刀技術が発達する前の刀であり、いわゆる日本刀と比べればただのなまくら刀であった。神剣を弱点とする異形の者ではなく、人間を相手にすれば、マントの下に着こんだ鎖帷子でさえ切り裂くことは出来なかったのだ。


 起き上がった黒マントは油断なく相手を観察すると、修は倒れており、修に声援を送った千祝もまた気絶していた。


 兜割りを手に、倒れた修に近づく。もし、手にした鉄塊を修の頭に振り下ろせば今度こそ殺すことが出来るだろう。


 しかし、それをしてしまうのは、何故か躊躇われた。


「どうした。止めを刺さないのか?」


 不意に掛けられた声に、黒マントはその声の方向に振り向いた。


「どうやら見られていたことに気付いていなかったようだな。鞍馬」


 声の主は、吹き矢の薬で眠らせたはずの太刀花則武であった。


「そんな余裕はありませんでした。声をかけられるまでさっぱりです。そして、もうこれ以上やるつもりはありません」


「ほう? それはどうしたことか。まあ、止めるつもりだったがな」


 黒マントの男、鞍馬の声は落ち着いていた。これまでの戦いで、声の端々に見えていた狂気はもう消えていた。


「私は二人に負けました。負けた以上その結果は受け入れなければなりません」


「今、鬼越の倅と俺の娘は倒れて、お前は立っている。勝ったのはお前に見えるが?」


 則武の言うことは正論である。勝利を確たるものにするためには、負傷した体で実力に勝る則武と一戦交える必要があるが、それとこれとは別だ。


「いえ、そういうことではなく。上手く言えませんが、心で負けたというかなんというか……」


「言葉にするのは難しいかもしれんな。大体、論理的な人間ならこんな事件は起こすまい?」


「全くです」


「素直な奴だな。ここは、大学で文学部を卒業した俺が、言葉にしてやろう。そうだな、本気で自分を説得するために命を懸け、しかも敵である自分を疑いもなく信じた真心に打たれた。それに加え、実力で完全に劣っているはずの修が、見事相打ちにして見せたことから武芸の未来も捨てたもんじゃないと思った。そんなところだろう?」


「あまり上手くまとまっていない気もしますが、そんなところでしょう。最後の一撃は実に見事でした。あと、おそらくは勇敢にヤトノカミに立ち向かっていった警官達も心を動かした一因だと思います。死に絶えたはずの抜刀隊の後継者が、たとえ実力はまだ足りなくてもこうして魂は残っていたのだから」


 敵対関係にあったはずの則武と鞍馬、二人の会話はまるで友人の様であった。いや、二人は五年前に道が分かれる前はこの様な関係であったのであり、本来の関係に戻っただけなのだ。


「ところで質問があります」


「何だ?」


 鞍馬が問いかける。則武はついさっきまで敵であった男の言葉に気軽に反応した。


「鬼越さんの息子さんは、最初は自分や娘さんのことしか興味が無い、言わば、心にどこか欠けているところがある状態でした。それが、最後の一撃を放つ前、敵ですら救おうという心を持っていました。まるで昔の鬼越さんの様に。何故急に変わったのでしょう?」


「多分それはあいつの特殊能力のせいだろう。あいつは昔、その身に秘められた力で、布津御霊に宿った古の達人の技でヤトノカミを撃退した。だが、体も心も未熟なために入り込んだ力に耐えきれなかったんだろうな」


「なるほど。体が出来ていなかったから筋肉が損傷したことは調査していましたが、精神にも影響があったとは」


「で、今回は十分成長していたから悪影響は受けなかったし、逆に小さい頃に布津御霊に残してきた心が戻ってきたんだろうさ」


 則武の解説に鞍馬は納得した。また、今回自分がしでかしたことは悪事であったが、一人の将来有望な武芸者に、良い影響を与えられたことだけは良かったと心から思った。


「そういえば、いいのですか?」


「何が?」


「これだけのことをしでかした私に、随分と甘いようですが。言ってみれば私は退魔の任にあたっていた武芸者の裏切り者なのですよ」


「そうだな。しかし、俺だって家族を全員失っていればお前の様になっていただろう。今、俺がこうして昔通り国の連中と仲良くやっていられるのは家族が生き残っているからだ。運が良かっただけだ」


 そう言いながら則武は、優しい目で修の方を見た。あの日、娘達の命を守ってくれたのは、当時十歳であった少年なのだ。


「後、倒れている奴らは死んでないからな。死んでない以上やり直せるってことだ。さあ。手当するぞ。手伝え」


 言いながら、則武は倒れている警官達を介抱していく。言った通り、警官達は気絶しているだけの様だ。


「しかし、この者達は死んでませんが、私の手は血に汚れています」


 鞍馬も則武を手伝いながら自分の罪を述べる。五年前に自分を裏切った者達を始末したことを言っているのだ。


「俺だって同じ状況なら殺したと思うが、気にするなと言ってもするんだろうな。まっ、こいつらが気がついたら自首でもしとけ。そんで、裁きの通り罰を受けるんだな」


 則武は気軽な口調で言った。事態を表沙汰に出来ないため、大した罪に出来ないことを予想しているためだ。


 会話をしながらも、二人は介抱を進めていく。一通りの介抱が済んだところで、鞍馬はまだ意識が混濁状態にある大久保の懐から手錠を取り出し、自分の手首にかけた。そして、大久保を促すと逆に引っ張るようにして、則武を背にして立ち去ろうとした。


 その方向には、いつの間にか駆けつけたパトカーや救急車がある。


「それでは、私はこれで失礼します。また、会えるかは分かりませんが」


「ああ」


 短く返答した則武は、少し考えこむ。そして、口を開いた。


「一つ言っておくぞ。流を娘や修に教えているのは、別に戦いの道具に使うためではない。あいつらからの希望ってのもあるが、俺としては単に自分まで伝えられてきた技を誰かに伝えたいってだけだ。多分、武芸者なら皆そんな願望があると思う。だから、できればお前もその技を誰かに伝えられる日がくればいいと思っている。じゃあな」


 鞍馬は少しの間歩みを止めたが、振り返ることなく去っていった。





 修は体が揺さぶられるのと、全身に痛みを感じて目を覚ました。


 目を開けると車の後部座席に座っており、隣には千祝が座っていた。こちらは目を閉じたままであり、どうやら眠っているようだ。


「あれ? ここは?」


「お? 気が付いたか?」


 疑問を呟く修に、運転席から声が掛けられた。声の主は、修の武の師匠であり、千祝の父親である、太刀花則武であった。


「あのー。変なことを言うようですが、ついさっきまで、怪物や、黒マントの達人と戦っていた気がするんですが、心当たりありませんか? それとも夢だったんでしょうか?うっ、いてて……」


 話しながら姿勢を正そうとすると、全身に痛みを感じた。ただのシートベルトですら激痛の発生源だ。


「夢ではないぞ。その痛みが証拠といえるだろうな」


「じゃあ、あの後どうなったんですか?」


「勝ったぞ。おめでとう。でも、まだまだ未熟だから、千祝や警官の弟子達ともまとめて鍛え直しだな。それに、お前たちが出発した後、留守中の家に襲撃があって、鷹次やダイキチが撃退したんだぞ。本来なら鷹次叔父さんに相談すれば、もっと安全確実に解決できたかもしれないな」


「そうですか……」


 修の胸には、複雑な感情が渡来した。勝利したのだし、自分や、なによりも千祝が生き延びているのだから、もっと素直に喜んでもいいはずだった。それでも、何か満たされないものを感じていた。


「それから、鞍馬は自首したぞ。最後のはいい一撃だったってよ。暫定的に奥義『一之太刀』と称することを認めよう」


 則武の言う、鞍馬はあの黒マントの男のことだと、修はなんとなく察し、則武の口調から、鞍馬もまた救われたのだろうと思った。


 落ち着いてくると、修の胸の中に様々な疑問が湧いてくる。あの怪物達の正体、それに対する警察達、自分の父親や則武達の過去の戦い、それに、あのあと神社や那須さん達は無事なのだろうかと。そして、一番気になるのは……


「今、どこに向かってるんですか?」


「学校に決まってるだろ」


 言われてみると、修も千祝も学生服だ。外の風景も見慣れた通学路である。


「ゴールデンウィークは?」


「ちょうど、今日がゴールデンウィーク明けだな。使い切ったところで目覚めるとは、学問熱心で殊勝な奴だな」


 折角の連続休暇を戦いのダメージを回復するのに使い切ってしまったらしい。


 ショックを受ける修であったが、無情にも車は八幡高校の校門前に到着した。


「そんなに嫌そうな顔をするな。学生としての日常を楽しむがいい」


「そうですね。では、いってきます。ほら、千祝、行くぞ!」


 気持ちを切り替えた修は、千祝を背負うと、車の外に出て校門に向かって行った。


 五年前とは違い、今度は自ら進んで非日常の戦いの中へ足を踏み入れてしまったのだ。もう、修と千祝のこれからの人生には修羅の道が待っていることは間違いない。


 だから、今の学生生活を出来る限り謳歌してくれることと、たとえ戦いの日々に陥ったとしても、今の日常を心にしっかりと持ち続けてくれることを則武は願う。


 則武が窓の外を見ると、千祝も意識を取り戻し、修と仲良く並んで歩いている。その平和な姿を見ていると、願いは必ず叶うと信じられるのだった。

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