第54話:逃げ出せない要塞

 子鬼ゴブリンの大軍に包囲され、浄水センターは兵糧攻めにあっていた。


「“兵糧攻め”? それは、どういう意味ですか? あの子鬼ゴブリンたちは、何をしているんですか?」


 子鬼ゴブリンの大軍が、どうして人間を襲わないのか?

 戦術に詳しくない詩織は、何が起きているか理解できずにいた。


「“兵糧攻め”はその名の通り、敵の食料を断り、士気と命を奪う戦術だ」


“兵糧攻め”は古今東西の戦場で使われてきた戦術。

 主に籠城している敵陣に対し有効。

 水も含めた食糧の供給を絶つことで、敵の士気と戦闘能力を徐々に奪っていく戦法。

 最終的には降伏を狙う城攻めの戦法だ。


「そ、そんな⁉ でも浄化センターの人たちは、今のところ守って、有利なように見えますが……」


 詩織の指摘も間違ってはいない。


 浄化センターは防犯用に周囲を、高い金属製の塀で囲まれている。

 また塀の周囲も河川で囲まれているため、攻め込むには橋を通るしかない。


 そしてその正面の一本橋は、金属製の防犯ゲートで封鎖中。更にゲートの後ろも車両で、二重のバリケードも設置されていた。


 つまり浄水センターは小島にある堅牢な要塞で、素人が見たら有利に見えるのだ。


「ああ、防衛戦では有利だったんだろうな。だが今は逆に閉じ込められて、どこにも食糧を調達にいけない」


 浄化センターは河川で囲まれているため、橋を使わないと外に出られない。

 だが今は子鬼ゴブリンの大軍に包囲されている。


 つまり避難民はどこにも逃げ出せない危険な状況なのだ。


「――――っ⁉ そ、それじゃ、どうすればいいんですか⁉ あんなにたくさんの子鬼ゴブリンが正面に待ちかまえていたら、中にいる人たちは……リョウマお兄ちゃんは……」


 詩織も飢餓の苦しさは経験している。

 浄化センターが置かれている絶望的な状況を、ようやく理解していたのだ。


「な、なんとかならないんですか、沖田さんなら⁉」


 そして懇願するような視線を、俺に向けてくる。


「少なく見ても三百以上はいる。自殺行為だ」


 浄化センターを包囲している子鬼ゴブリンは、四百匹近くいる。


 これほどの大軍は、ホームセンターの激戦でもいなかった。

 おそらく市内の集団の中でも大規模なのだろう。


(各個撃破ならいけるか? いや、危険すぎるな)


 俺の遠距離攻撃の強化スリングショットと【英知乃投槍アダムス・スロアー】は弾数に限度がある。


 弾のいらない剣鉈けんなたや【分銅鉄鎖アイアン・バイケン】は、あくまでも接近用の武器。

 あの数の子鬼ゴブリン相手に包囲されたら、俺も数で押し潰されてしまう。


 他の火炎瓶や散弾猟銃も、同様に数に制限がある。

 つまり俺一人だけはこの大軍の子鬼ゴブリンを追い払えないのだ。


「そ、そんな……あっ、それなら! 中の人たちは、あの裏の川を泳いで逃げれば⁉」


「いや、それも危険だ。そこは意外と水深があり、流れも早い」


 プールとは違い、素人が深い川を泳ぐのは難しい。

 更に今彼らは兵糧攻めにあって、体力が極端に落ちている。自殺行為に近いのだ。


「そ、そんな…………」


「あと、川を泳いで脱出できても、どこにいく? 子鬼ゴブリンに追撃されて、一瞬で全滅だ」


「そ、そんな……」


 全ての救出策が封じられ、詩織は真っ青になる。

 血縁者が目の前にいるかもしれないのに、自分は手をくわえて見ていることしできない。


 無力な自分に絶望しているのだ。


「とりあえず、もう少しだけ状況を確認して、見つからないように戻るぞ」


 今回の目的は浄水センターの偵察。落ち込んでいる詩織に、冷徹に事実を伝えてやる。


「……いえ、私は戻りません」


 だが詩織は拒否をしてきた。思いつめた表情になっている。


「行くのか、お前は?」


「……はい。私一人でも、リョウマお兄ちゃんの安否を確認してきます」


 詩織はメンタルをリセットしていた。

 これも俺が教えたサバイバル技術の一つ。


 絶望から気持ちを切り替えて、前を向くことを選択。

 浄化センターに向かうことを、自分の意思で選択したのだ。


「……止めないでください、沖田さん」


「勝手にしろ」


 今回は詩織が自分で判断を下したこと。

 だから俺は止めない。

 個人としての決断を尊重する。


「……それでは行ってきます」


 決意を秘めた顔で、詩織は川に向かっていく。

 足もつかない川を、メイド服のまま泳いで渡るつもりなのだ。


 ……ジャ、パーン!


 勢いよく詩織は飛び込んでいく。

 必死で川向うまで泳いでいこうとする。


「――――っ⁉ キャっ⁉」


 だが川の流れは思った以上に早い。

 メイド服を着たままの詩織は、水圧に耐えきれず溺れてしまったのだ。


「……ちっ。だから言っただろうが」


 俺は舌打ちをしながら駆け出す。


「……【分銅鉄鎖アイアン・バイケン】」


 駆けながら【収納袋】から鉄鎖を取り出す。


 片手で鉄鎖を振り回しながら、河川の沿いに生えている樹木に狙いをつけていく。


「はっ!」


 河川の上に伸びていた太い枝に、鉄鎖を投擲。


 枝に絡ませたことを確認して、更に移動速度を上げていく。


「――――はっ!」


 右手で鎖を持ったまま、川に向かって大ジャンプしていく。

 狙うは溺れて流されている詩織の身体だ。


 ……ジャ、パーン!


 左腕で詩織を抱きかかえる。

 ジャングルのターザンが木のツタで、お姫様を助ける要領だ。


「ふう……上手くいったな」


 俺は対岸側の地面に、無事に着地に成功する。

 ずぶ濡れの詩織は左腕で抱えたままだ。


「――――っう。ごほっ! ごほっ!」


 抱きかかえられた詩織は、水を吐き出していく。

 溺れた時に水を飲んでしまったのだろう。


 だが量は多くはないので、その内回復するだろう。


「はぁ……はぁ……ど、どうして助けてくれたんですか……沖田さん?」


 咳込みながら、詩織は見上げながら訊ねてきた。

 俺が助けた理由を理解できずにいるのだ。


「…………そういえばお前の身体は、まだ俺に権利があった。だから、ここで死なれる訳にはいかない」


 そう答えながら、実は助けた理由は自分でも分からない。


 二日前に美鈴に『レンジ、昔と違って、変わったのう?』と指摘されたことが、ふと思い出される。


「そ、そんな、ことで私を助けてくれたんですか……」


 冷酷で利己的な俺が、命を張って自分を助けてくれた。

 詩織も予想していなかったのだろう。目をおどおどさせながら動揺している。


「そうだ。お前に青臭いが抜けてから、ちゃんと奉仕してもらわないと、損益分岐点的に俺が損するからな。だから助けた」


 自分でも理由が分からない。だから適当に説明をしておく。


「――――っ⁉ こ、こんな時にまで、そんなこと……本当に沖田さんは最低です! デリカシーも夢もないです!」


 詩織は厳しい言葉で非難してくる。

 だがその顔には、いつもの軽蔑や嫌悪感はない。


「もう……本当に……沖田さんという人は……最低です……」


 何故か少し照れながら、悪口を連呼してきたのだ。


「その元気なら、もう大丈夫そうだな? それなら、このタオルで身体を拭いて、すぐにこのメイド服と下着に着替えろ」


 詩織の予備のメイド服は、俺が密かに【収納袋】に入れてきた。

 リュックサックから取り出すふりをしながら、ずぶ濡れの彼女に投げ渡す。


「こ、こんなところで着替えを⁉ 着替えは有りがたいですけど……ここでは無理です……」


 詩織は耳まで真っ赤にしながら抗議してくる。


「ん? お前の裸体など、どうして恥ずかしがる?」


 どうして全裸で着替える程度、ここまで詩織が怒っているか? 俺には理解不能だ。


「――――っ⁉ だ、だから、そういう言動だから、デリカシーがないんですよ、沖田さんは⁉ あっちの木陰で着替えてくるので、絶対に見ないでくださいよ!」


「ああ。早くしてこい」


 何故怒っているか不明。だが時間が惜しいので、これ以上の追及しないでおく。


「これから女という生き物は……」


 木陰で着替えている詩織は、仕方がないから無視しておく。


 代わりに浄化センターの建物に視線を向けていく。


「こうして見ると、かなり規模が大きいな、この浄水センターは」


 浄化センターは上水道の浄化プールや、ろ過装置など大規模な装置がある施設。

 平時は一日、約3,000万リットルの水道水を作っていた大規模施設なのだ。


「防犯用の高い鉄柵があるし、今でも水は豊富だろうな」


 対子鬼ゴブリンの避難場所としては悪くない。

 あと、ここは太陽光発電システムや小規模水力発電もあったはず。


 ライフラインと防御力は市内でも高い拠点なのだ。


「だが問題は、また食糧だろうな」


 災害用の備蓄食料などたかが知れている。

 周囲の空き家や商店からかき集めて、今まで生き延びてきたのだろう。


「兵糧攻め、か……中の避難民は……」


 だがこうして完全に包囲されたら、どうなるか?

 籠城者の悲惨な食糧不足が、簡単に目に見えてしまう。


「……お、お待たせしました、沖田さん!」


 そんな事を推測していると、着替えが終わった詩織が駆け寄ってくる。

 真新しいメイド服を着て、表情もかなり明るい。

 濡れたメイド服は、また俺が預かっておく。


「それじゃ、中にいきましょう。リョウマお兄ちゃん、無事だといいな……」


 サバイバル経験が少ない詩織は、浄水センターの中がどうなっているか、想像もできないのだろう。

 能天気に近い表情で、移動を促してくる。


「ああ。いくぞ。だが敷地内に入ったら、俺から離れすぎるな」


「えっ? もしかして子鬼ゴブリンがいるんですか⁉」


「いや。この感じだと、まだ中にはいない」


「それじゃ、どうして……?」


「いけば分かる。いくぞ」


「えっ、はい!」


 こうして不穏な雰囲気に包まれた浄水センターの管理棟に、俺たちは向かっていくのであった。

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