第21話:ハニートラップと夜

 妖艶な女マリアに、俺は捕らわれてしまう。


「ねぇ、いいわよ、レンジ?」


 マリアの誘惑は魅力的で官能的。男性の本能を刺激するもの。

 普通の男だったら……いや、どんな男でも抗うことができない淫魔の誘いだ。


「いや、遠慮しておく」


 だが俺は提案を即座に断る。

 立ち上がり、部屋から立ち去ろうとする。


「えっ……どうして?」


 マリアはかなり驚いていた。

 顔には出さないように平静を装っているが、かなり動揺している。


「私が汚い女だから、したくないの?」


 だがマリアは夜の一流の女。動揺した感情を、すぐに変化。


 自分を卑下し、涙を浮べて懇願してくる。

 普通の男なら同情して、襲いかかってしまいそうな顔だ。


「いや、お前は女としてかなり魅力的だ。俺もご覧の通りの有様だからな」


 俺の性器は見事に反応していた。

 室内の官能アロマとマリアの香水、甘い言葉とテクニックで、既に戦闘態勢に移行していたのだ。


「……それなら、どうして抱かないの?」


「それは今のお前には、嘘があったからだ」


「……えっ、嘘?」


「俺のことを好きだから誘惑している訳ではない。仕事として、俺に抱かれようとしている。裏に依頼人がいるのだろ?」


 先ほど俺がマリアの部屋に入ろうとした時の光景。


 ほとんどの男衆は『おお⁉ マリアとこれからヤルのか⁉ うらやしいな、あの新人め!』みたいなゲスな顔をしていた。


 だがその中で一人だけ、異質な表情の者がいたのだ。

 そいつだけは『馬鹿が、まんまと罠にハマってくれたぞ』と、勝利を確信した笑みを浮べていた。


 微かな反応だったが、用心深い俺は見逃していなかったのだ。


「…………」


 マリアは無反応だが、俺は指摘を続けていく。


「あの男が、お前に依頼したのだろう? 『俺に抱かれて懐柔して、弱みでも見つけてこい』……といったところだろ?」


 これは予想だが、あながち間違ってはいないだろう。


 ホームセンター組の俺に対する感情は、今日一日いただけでだいたい把握していた。


 まだ俺を警戒している者は多い。

 更に俺は高木社長のお気に入りだと、勘違いしている者もいた。


 そんな勘違いして者の一人が、今回のハニートラップを仕掛けてきた依頼人だろう。


「こんなところだろう? だが別に答えたくなくていいぞ。守秘義務は大事だからな」


「……もしも、そうなら、どうするの? 社長に密告するの?」


「いや、そんな面倒なことはしない。どうせ俺は三日間しかここにいない。仕事を終えたら立ち去るだけさ」


 グループ内での勢力争いは、社会人に嫌というほど巻き込まれてきた。

 だから崩壊したこの世界では、俺は自由に生きていきたいのだ。


「そっか……ぜんぶ分かっていた上で、ここに来たのね、レンジは? やっぱり私のことを嫌いになったかしら? 報酬しだいで、誰にでも付く、尻の軽い女だって?」


「いや、個人的にはお前のことは嫌いではない。有意義な話ができる奴だからな」


 マリアは狡猾に立ち回ってきたが、姑息な女ではない。

 しかも素の頭がよく、経験が豊富で色んな会話も可能。話し合い相手としては面白い女だ。


「そっか。それじゃ、また話ならしてくれる?」


「話なら、またしてやる。それじゃ、茶を馳走になったな」


 そう言い残して俺は部屋を立ち去っていく。


 今日のところはマリアから多くの情報を仕入れた。

 あとは立ち去るのが吉なのだ。


 マリアの部屋から、ホームセンターの店内に戻っていく。


 ◇


「ん? もうすぐ就寝時間か?」


 マリアの部屋にいる間で、けっこう時間が経っていたのだろう。

 夕食時は終了し、店内の電気はうす暗くなっていた。

 店内で歩きまわっている人影も少ない。


「日が沈んだから、早めに寝る生活サイクルか、ここも」


 この世界では電気は貴重な存在。

 太陽光発電も日が沈むと発電できない。


 そのためホームセンター組も早くも就寝の準備をしているのだ。


 説明によると夜に起きているのは、交代制の数人の見張りだけ。

 ほとんどの者は自分の寝床で就寝となるのだ。


「さて、俺も寝床に向かうか……ん? 真美、どうした?」


 そんな時、一人の女性、真美と顔を合わせる。

 タイミング的に俺を待ち構えていたのかもしれない。


「あっ、レンジ⁉ は、早かったね? 思ったよりも……」


 やはりマリアの部屋から出てくるのを、真美はずっと待っていた。

 言葉を濁しながら何か言いたそうにしている。


「話をしてきただけだからな」


「は、話をしただけ⁉ ほ、本当に? だって女衆に聞いた話だと、あのマリアさんは……“夜の人”なんでしょう?」


 俺がいない間に、真美も色々と話を聞いていたのだろう。少しだけ疑った顔を向けてくる。


「俺は話をしてきただけだ」


「そうだったんだ……」


「とろこで、どうして待っていた? 何かあったのか?」


「えーと、レンジの寝床の場所を、教えてあげよう、と思ってさ」


「寝床を? ああ、そういうことか」


 このホームセンター内にはお手製の個室、寝床がいくつも設置されていた。


 形はカプセルホテルように天井は低いタイプだが、建築板で完全に区切られた個室があるのだ。


「凄いよね。あんなに立派な個室を、何個も作っちゃうなんて……」


「ああ、そうだな。材料と工具が豊富なホームセンターならではの、職人技の結晶だな」


 寝室は一人用からファミリー用まで、全世帯分はある。

 更に職人たちのこだわりで、室内の防音性も悪くないという。


「でも、どうして、そこまで個室寝室にこだわったのかな? かなり手間がかかるはずなのに?」


「こうした避難所では、寝る時のプライベート・スペースは、かなり重要だからな」


 災害時の日本の避難所は“体育館に段ボールの壁だけ”というスタイルの寝床が多い。


 だが現代人は個室性が低いと、多大なストレスを抱えてしまう。


 特に怖いのは、夜中の“性的な悪戯”に対する恐怖心。

 鍵がかかる個室がないと、女性陣は強姦魔に怯える日々になってしまうのだ。


 そういった意味で、ホームセンター組が個室に力を入れているのは理にかなっていた。


「そっかー。たしかに寝る時だけは、個室と鍵が欲しいかも、私も」


 そんな感心する真美と、薄暗いホームセンター内を移動していく。

 向かう先は寝室区画だ。


 ◇


「あっ、あそこがレンジの寝床よ」


「あれか」


 ホームセンターの中でもかなり端の区画に、俺用の個室はあった。

 資材置き場の奥で、周りには他に個室はない。


 静かで眠りやすい環境。

 悪く言えば、警戒されて隔離された場所だ。


「さて、準備をして寝るか……ん? どうした、真美。戻らないのか?」


 案内の仕事は終わった。

 だが真美はもじもじして立ち去ろうとしない。


「あ、あのさ……えーとさ……」


 何か言いたそうにしている。


「どうした? 何か他に用件でもあるのか?」


「用件とか、そういう訳じゃないんだけど……ん?」


 その時、真美は何か思いついた顔になる。


「――――っ! あ、そうだ! 私、今どうしても“欲しい物”があったの! レンジが持っていた物で、どうしても必要なのよ」


 そして一気に語り出す。

 かなり演技かかった小芝居で、何やら物欲しそうにしている。


 仕方がないから聞いておくか。


「欲しい物は、なんだ?」


「えーと、食べ物……そう、“お菓子”が欲しかったのよ、私は。持っていたよね、お菓子を?」


「ああ、持っている。だが貴重品だぞ」


 この世界で菓子の重要度は、食料にも劣らない。

 栄養度は低いが、貴重な糖分が菓子にはふんだんにある。


 特に女性や子どもにとっては、食料と同レベルの貴重な品なのだ。


「うん。それはもちろん理解しているわ。だから“対価”を払うわ。お金以外で、私ができることを……」


 真美は顔を赤くして、内股をモジモジしはじめる。何かアピールをしている雰囲気だ。


「菓子くらい我慢できないのか?」

「そ、そう、できないの! だって、甘い物は別腹でしょ?」


 今宵の真美はおかしい。

 まるでブレーキが壊れたスポーツカーのように、何かを欲しがっているのだ。


「そういうものなのか? 女はよく分からんな。それなら、これをやる」


 リュックサックから菓子を取り出し、真美に渡す。


「ありがとう。それじゃ……」


「対価は明日からの肉体労働でチャラにしてやる」


「えっ……肉体労働?」


「ああ。明日からホームセンターの女衆の手伝いをしろ。その中で情報も仕入れてこい」


 ホームセンター民に情報は俺にとっても有意義なモノが多い。

 一緒に働く女性同士なら心も許し、真美にも有益な情報を得てくるだろう。


「そういうこと? それなら任せてよ! ん?」


「それじゃお前も早く寝ろ」


「えっ? レンジ? 私のことはまた放置……?」


「知るか」


 そう言い残して俺は寝床の部屋に入っていく。


(さて、俺も明日から、有意義に動かないとな)


 俺は目的がありホームセンターに残っている。

 ここの内部情報も得られたので、明日から早速動くつもりだ。


(ふう。明日も早いから、そろそろ寝るか)


 こうして身体心を休めるために、俺は眠りにつくのであった。


 ――――何やら外で「レンジの鈍感! レンジの朴念仁! レンジのノンデリカシー!」と抗議している真美は、もちろん面倒だから今宵も無視した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る