第20話:娼婦の部屋

 夕食を食べていた俺に、見慣れない女性が近づいた。


「私はマリアっていうの、新人さん」


 マリアと名乗る女は、長い髪の二十代半ばくらい年頃。

 いや、もしかしたらもっと若いかもしれないし、上かもしれない。


 とにかく彼女は避難民の中で異質な存在。

 ハイヒールと露出の多いミニスカート、化粧をしているのだ。


 しかも甘い香水も漂ってきた。


「えっ……えっ……」


 俺の隣に座る真美は、そんなマリアを見て言葉を失っていた。


 何しろ避難民の女性陣は、ほとんど化粧やお洒落をしていない。

 また日々の命の糧を得る仕事をしているため、動きやすい格好をしている。


 そのため同性である真美も、マリアという異質な存在に驚いているのだ。


 ――――そしてマリアの登場に反応があったのは、他の住人も同様だった。


 一番顕著なのは女性陣。


「……ねぇ、あの女……どうして出てきたの?」

「……ご飯の時は、出てこないはずでしょ?」

「……本当に汚らわしい女ね……」


 あからさまな軽蔑と侮蔑の視線を、女性陣は向けている。

 かなり穢れたモノでも見ているかのような反応だ。


 一方で男性陣の反応は逆。


「……おい、マリアだぞ?」

「……どうして、こんな時間に出てきたんだ?」

「……だが、相変わらず、いいケツしてんな、あの女は?」

「……最近はご無沙汰だったから、そろそろ世話になりたいもんだぜ」

「……おいおい。順番は守れよ」


 男性陣からは好色的な視線を向けられている。

 特に独身男性陣はあからさまに性的な話をしていた。


(……やはり、そういうことか)


 住民の反応を見て、マリアの正体に確信をもつ。


 彼女の正体は“娼婦”。

 ホームセンターのコミュニティーの中で、彼女は性的な仕事をしている存在なのだ。


「あら、新人さん、無視かしら? 女性には関心がないの?」


「……俺は沖田レンジ。東地区の市街地から、ここに来た」


 おそらく偽名だろうが、相手は名乗ってきた。

 だから俺も礼儀として名乗り返す。


「東地区の市街地から……」


 妖艶な笑みを浮かべていたマリアは、ピクリと微かに反応する。俺にしか気がつかない、僅かな反応だ。


「レンジね……あら。隣の可愛い子は、ガールフレンド? 奥さんに見えないけど?」


 だがすぐにまた妖艶な笑みに戻り、話題を変えてきた。

 話題の矛先は真美と関係についてだ。


「ガールフレンドでも妻でない。こいつは取引相手で、一緒にいるもの腐れ縁だ」


「むっ……また……そんな……」


 真美は頬を膨らませて、何か抗議をしてくる。

 だが今はマリアとの会話中。

 俺は無視して話をしていく。


「俺に何か用か?」


「『新人の男の人が来た』って噂で聞いたから、ちょっと顔を見にきただけよ」


 妖艶で悪戯っ子のような笑顔で、マリアは俺の顔を覗き込んでくる。

 甘い香水の香りが鼻孔を刺激してきた。


「顔を見たらから、用事は済んだのだろう?」


「そうね。でも、アナタにちょっと興味があるから、もう少し話もしたいかも? よかったわ、私の部屋でお茶でも飲んでいかない?」


 マリアが視線を向けたのは、レースカーテンで装飾された扉の向こう。

 つまりあの謎の部屋の住人は彼女だったのだ。


 そんな時、黙って聞いていた真美が、急に口を開く。


「えーと、マリアさん。横から口をはさむのもなんですが、この沖田レンジとい男は、せっかちで屁理屈ばかりの、利己主義な人なので、“お茶会”とか、そういう自分の利益にならない会には、ぜったいに行かないデリカシーがない人なんですよ! だから諦めた方がいいと思います!」


 真美は何やら興奮した状態で、口を挟んでくる。

 ペラペラと得意げに俺の悪口を言ってきた。


「お茶会か。招待を受けよう」


 だがそんな彼女を無視して、俺は答える。


「――――っへ⁉ まさか⁉」


 予想が外れ真美は変な声を出す。


 だが俺が構わず立ち上がり移動の準備をする。


「あら、嬉しいわ。それじゃ、行きましょう、レンジ?」


「ああ」


 俺は危険な女、娼婦マリアの後を付いていく。


「えっ……えっ……レンジ……? えっ?」


 一人残された真美は呆然としているのであった。


 ◇


 レースカーテンの扉の向こう側、マリアの部屋にやってきた。


 部屋といってもホームセンターの女子従業員の休憩室を、居住様に改装した個室だ。


(ほほう? これはたいしたものだな)


 だが彼女の部屋は、休憩室だった面影はない。


 部屋の真ん中には大きなダブルベッドが置かれていた。

 赤いベッドシーツで怪しく装飾されていたのだ。


 他にも壁や天井も、赤で統一された装飾が施されていた。

 一言で説明するなら『映画で出てくる娼婦部屋』のような雰囲気だ。


(なるほど。商品でリフォームした、ということか)


 ベッドや装飾品は、ホームセンターから持ってきたのだろう。

 照明も蛍光灯から、薄暗いムーディー・ライトに取り換えられている。


 光が赤く反射して、室内は何とも言えない妖艶な雰囲気だ。


(それにこの香り……アロマも炊いているのか)


 室内には覚えのある香りが漂っていた。

 これは催淫作用のあるアロマオイルで、性的興奮を促す効果がある。

 嗅ぐだけでエッチな気分なる香りだ。


 俺は室内を更に観察していく。


(ん? 部屋の奥にはシャワールームまであるのか)


 このホームセンターで本格的なシャワー個室は、全部で二か所しかない。

 一つ目は男性従業員で、もう一つは女性従業用だ。


 そのため多くの住人は仮設のシャワーを使っていた。

 だがブルーシートで被われた仮設シャワーは、かなりプライバシーは低い。


 そんな状況。

 他の二十人以上いる女性陣を押しのけ、マリアは一人でシャワー個室を独占していたのだ。


(なるほど。マリアは“特別”という訳か)


 彼女がホームセンター内で特別な存在。

 この部屋を見ただけで俺には理解できた。


「紅茶、お待たせ。あら? 何か変わったもので見つけた?」


 そんな時、マリアが近づいてくる。奥で紅茶を淹れてきたのだ。


「いや、女らしい部屋だと感心しただけだ。紅茶は有りがたくいただこう」


 この部屋には小さな丸テーブルはあるが、椅子はない。

 状況的にダブルベッドが、ソファー代わりなのだろう。

 俺も腰をかけて紅茶を飲むことにした。


「女らしい? 褒めてくれて、ありがとう、レンジ。それじゃ、乾杯ね?」


 マリアは俺のすぐとなりに座ってきた。

 赤く妖艶なベッドの上に、膝がぶつかるくらいの距離で二人きりだ。


 甘く官能的な香水がアロマと共に、俺の鼻孔を刺激してくる。

 普通の男なら頭の中がツーンとなる、刺激的な臭いだ。


「話とは何だ? 俺に聞きたいことがあるんだろう?」


 だが俺は話を進めていく。

 何故ならもう日は落ちて、無駄な過ごせる時間ではないのだ。


「あら、せっかちさんね、レンジは? せっかく出会えたんだから、ゆっくり話でもしていきましょう?」


 だがマリアは話を流してくる。自分のペースを保とうとしてきた。


「お前が聞きたいのは“街の様子”、東地区の市街地の様子だろ?」


 ……ピクリ


 俺の指摘を受けて、またマリアがピクリと反応する。

 わずかな反応だが俺は見逃してはいない。


「街の様子……? そこまで言うのなら、少しだけなら知りたいかも」


 俺の鋭い指摘に観念したのだろう。

 だがマリアは相変わらず本心は見せずに答えてくる。


「残念ながら生存者はほとんどいない。生き残っていたとしても飢餓状態で、更に子鬼ゴブリンや暴徒の危険も多い」


 簡潔に状況を説明していく。

 マンションや戸建てがどうなっていたか、自分の目で見てきた様子を伝えておく。


「…………そうなの」


 マリアは一瞬だけ眉をひそめ、神妙な顔になる。


 だがすぐにまた“女の顔”を戻る。


「……それじゃ。辛気臭い話はここまで。もっと楽しい話をしましょう? ちなみにレンジは何か聞きたいことはないの?」


「ここではマリアは“どんな存在”だ?」


「どんな存在、って、ずいぶんとストレートに聞いてくるのね?」


「女の扱いは得意ではない。悪意はないから、気にするな」


 女性に気を使って遠まわしに聞くのは、本当に得意ではない。

 俺はストレートに質問をしていく。


「まぁ……私も面倒くさいのは嫌いだから、いいわ。レンジも気がついていると思うけど、私はここで男たちに“身体を売って”生活しているわ」


「春を売る……娼婦……そういったところか?」


「ええ、まさにそうよ。男たちがくれた物の価値に合わせて、色んなコースで男を楽しませているわ」


 そうストレートに言い放つマリアは、特に恥じらい後ろめたさもない。淡々と自分の仕事内容を説明していく。


「食料や水、化粧品や香水、女性服、下着、煙草、酒……そんなとところか」


 この部屋の棚とハンガーには、色んな嗜好品が陳列されていた。

 どれも崩壊した世界は貴重な品ばかりだ。


「ええ、そうよ。欲しい物をお願いしたら、みんな頑張って調達してくれるのよ。面白いでしょ?」


 このホームセンター内には化粧品や女性衣類、酒、煙草類は置いていない。


 つまり客が持ってきた対価品。

 近隣のドラッグストアや洋服店に、男たちは危険を冒して調達にいっていた。


 彼女のご機嫌をとるため、マリアと性行為をするため、命をかけて貢いでいたのだ。


「あら、もしかして軽蔑している、私のこと? 身体を売って、男たちを操る魔性の女だって?」


「いや、べつに。こうした崩壊した世界では、身体を売ることも、立派な職業だからな」


 “娼婦”は人類史上最古の職業といわれる。

 古代世界でも「神聖娼婦」として聖職と捉えられた文化もあった。


 また戦乱の時代では、国軍は兵士の強姦事件や性病を防止のために、国費で売春婦を多数雇い入れた歴史もある。


 そのため人々が不安定な生活の中で、娼婦は大事な仕事の一つ。


 だから俺はまるで偏見はない。


「あら? 嘘でもそう言ってもらえると、少し嬉しいわ。でも、あの真美ちゃんって子からは、軽蔑の目で見られたけど?」


 人生経験が豊富なマリアは、洞察力も鋭いのだろう。

 女性陣からの軽蔑の視線に、彼女もすでに気が付いていたのだ。


「アイツは性的な人生経験が少ないんだろう。あまり気にするな」


「そうなの? 磨けば“極上の夜の女”になりそうな予感がしたんだけどね、あの子は?」


 マリアの予感はあながち間違っていない。


 たしかに真美は男受けをする容姿と身体をしている。


 そんなことを思いながら、俺は質問を続けていく。


「マリアはここでの生活はどうだ? 浮いているように見えたが」


 女性陣との関係は、どうなっているのか? 話のついでに聞いておく。


「私は遅れて避難してきた部外者だから、ここでは浮きまくりかもよ。特に奥さまたちからは、親の敵のような扱いも受けているわ」


「親の敵のような扱い? 妻帯者の男も相手しているのか?」


「ちゃんと対価さえ払ってもらえたら、誰だって相手をするわ。もちろん私から誘惑したことはないわ」


 マリアの客には子どもがいる男もいるという。

 ホームセンター組の男衆の半分近くが、“彼女を一度は経験している”らしい。


「それも含めて高木社長は、すべて許可しているのか?」


「ええ。高木社長は客じゃないけど、私のことは黙認してくれているわ。この部屋も優先的に割り当ててくれたわ。まぁ、半分以上は隔離みたいな感じだろうけど」


(なるほど。あの社長もなかなか食えない男だな)


 高木社長がマリアを認めたのは、半分以上は妥協があるのだろう。


 何しろ彼女はホームセンター内で、異質で異分子。

 特に女性陣からは強い反対もあったのだろう。

 できれば排除した方がデメリットは無くなるのだ。


(男衆の癒し係……か)


 だがマリアのメリットも社長は理解していたのだろう。


 何しろ、このホームセンターは戦闘が多く、血気盛んな男たちはストレスが溜まりやすい。

 性欲も暴発しやすい危険な状態下だったのだ。


 だから性の抜き場、ストレスの発散の場として。

 マリアという異分子を高木社長は黙認、保護しているのだ。


 そんなことと推測しながら、さらに質問を続けていく。


「ここでは行動の自由は、あまりないのか?」


 先ほど女性陣から「……ご飯の時は、出てこないはずでしょ?」と、マリアは陰口を叩かれていた。

 つまり何かしらの行動制限を、彼女は受けているはずだ。


「ええ。家族が団らんしている時間には、姿を見せない約束よ。まぁ、私もあんまり店内はウロウロしないけど」


「それでは時間を、持て余さないのか?」


 たとえホームセンターの外には、女一人で歯気軽に出ていけない。


 マリアのような年ごろの女にとっては、この部屋でずっと籠るのは苦痛なはずだ。


「そんなことはないわ。私、本を読むのが好きだし。あと屋上から遠くの景色を眺めるも好きよ」


 ホームセンターには従業員階段を使い、屋上にも昇れた。

 屋上は三階以上に匹敵する高さにあるため、子鬼ゴブリンの脅威は低い。


 だからマリアは安全に誰もいない穴場で、ぼんやり時間を潰しているという。


「あっ。でも、屋上では“商売”はしていないわ。もちろん店内でも。“する”時は、絶対にこの部屋の中だけ……そう社長と約束して、自分でも決めているの」


 軽い雰囲気のマリアだが、何やら強いこだわりもある。

 娼婦としてなのか、女としてなのか、かなり自分に厳しい性格だ。


 そんな話を聞きながら、俺は頭の中で内容をまとめていく。


(崩壊した世界の、この大人数なコミュニティーの中で、マリアという存在……か。実に面白い女だな)


 俺は心の中で感嘆する。


 こうした役割を選択した女性がいるのは、今回は偶然だったのか?


 それとも崩壊した世界では、必然と生まれていく役割なのか?


 娼婦という最古の職種。

 人間の本能とコミュニティー形成について感慨深くなる。


「……なに、難しい顔をしているの? それより、ねぇ……そろそろ“しましょう”?」


 一蹴の隙をつかれた。

 気がつくと俺の下半身に、マリアは手を伸ばしている。


 相手のパーソナルスペースに入り込むのが、職業柄で得意なのだろう。

 俺も感心するほどの見事な技術だ。


「残念ながら俺は茶を飲みにきただけ。客ではない。それにマリアの欲しがる対価を、俺は何も持っていない」


 これは嘘で方便。

 俺の【収納袋】の中には色んな物資が入っている。


 街の調査をしながら調達してきた嗜好品や食料の数々。

 マリアが欲しい物も山ほど貯めこんでいた。


 だが今回はあえて何も無い男のフリをする。


「もちろん対価はいらないわ。これは“仕事”じゃないから」


「どういう意味だ?」


「レンジのことは好み……っていう意味よ?」


 マリアは俺の耳ともに近づき、魅惑的で官能的な言葉で挑発してくる。

 甘く香水で頭がくらくらしてきた。


「レンジだけに特別に、させてあげる……」


 マリアの誘惑は魅力的で、男性の本能を刺激するもの。


 普通の男だったら……いや、どんな男でも抗うことができない淫魔の誘いだ。


(これは……どうしたものか……)


 こうして抗うことができない妖艶な女マリアに、俺は捕らわれてしまうのであった。

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