第32話:別れ(1章最終話)

 日の出前、うす暗い早朝。


「……さて。いくか」


 俺は裏口からホームセンターを出ていく。


 昨夜は一人倉庫で仮眠して、今は裏口から密かに出てきた。


 今朝は深い朝霧が出ているので、誰にも見つからないだろう。


「ホームセンターか……」


 裏口から正面駐車場に向かい、建物にふと視線を向ける。


「最初は、あまり良くない印象を持たれていたな、ここの連中には……」


 部外者である俺は、住人から歓迎されていなかった。

 誰もが警戒し、軽快の視線を向けてきたのだ。


「まぁ、それも仕方がないな。あの時は食糧難だったからな、ここは」


 崩壊した世界では、人間に疑心暗鬼になりやすい。

 特に食料が足りない時、人は負の感情が増大してしまう。

 だから誰もが俺のことを警戒していたのだ。


「だが最近のここは……昨夜はみんな、良い顔をしていたな……」


 ホームセンター組の生活は、ここ数日で一変していた。

 食糧難が解決され、誰もが余裕が出て、自然と笑みを浮かべていたのだ。


「色々あった数日間だが、色々あったな、ここでの生活は……」


 パンチ社長との最初の交渉と、腹の探り合い。


 トラック部隊の連中とのトレーニングと交流。


 生意気な若者の鉄男もいた。


 そんな中でも最大の事件、食料倉庫の襲撃作戦が思い出される。


「大人数での行動は初めてだったが……悪くないものだな」


 作戦では仲間たちを信じて、俺も行動していた。


 他の者たちも、俺を信じて戦ってくれた。


 大事な仲間と家族、女を守るために、仲間同士で背中を守り合い戦ったのだ。


「そして最後は、ホームセンターへの“大返し”作戦か……」


“大返し”は本当にギリギリだった。


 あと少しでも俺たちが遅れていたら、守備隊は全滅していただろう。


 あと、女衆やマリアたちが頑張ってくれたおかげで、一人も死者を出さずに乗り切ったのだ。


「ホームセンター組……ホームか」


 最近は誰もが、ここをホームと呼び始めていた。


 最初の避難所から、今は自分たちの“家”という存在になったのだ。


「帰れる場所……ホームか」


 今思うと俺にとっても、ここは本当に居心地が良い場所だった。


 本音を言うのなら、もっと長く滞在していたい。


「さて……いくか」


 だが俺は立ち去ることを選択した。


 何故なら脅威は、完全に無くなっていないからだ。


 未だに子鬼ゴブリンは街中に溢れかえり、ライフスタイルは壊滅的。


 外部からの救助も一向に姿を見せない、最悪の状況だ。


 だから俺は更に調査を続けて、問題を解決していく必要がある。


 最終的な目的は、自分が快適に、安全に生きていく場所を築くためだ。


「さて、車は……」


 数日前に例のジムニーを、ホームセンターの駐車場に持ってきていた。


 せっかく見つけた良品なので、今後も使っていくつもりだ。


「……ん? あれは?」


 車の前に人影が見える。


 朝霧でよく見えないが数人いた。ゆっくりと近づいていく。


「あんたら……どうして、ここに?」


 いたのはトラック部隊のメンバー。

 専務や鉄男たちが、俺を待ちかまえていたのだ。


「そうか。社長から、聞いたのか?」


「ええ。さっき、叩き起こされて、レンジが去ることを聞きました」


 専務ははにかみながら教えてくれた。

 俺に気がつかれないように、高木社長が密かに動いていたのだ。


「レンジのアニキ! どうしてオレたちに黙って、出てくっすか⁉ ずっとここにいてくださいよ、アニキ!」


 短めの金髪の青年、鉄男が腕を掴んでくる。

 先日の大鬼オーガ・ゴブリン討伐の後、鉄男は何故か俺を“アニキ”と呼び、態度を新ためてきたのだ。


「行かせてあげなさい、鉄男。レンジくんは我々とは違い、強い行動力を持っている。だから彼にしか出来ない大きなことに、“我々の英雄”は挑もうとしているのです」


「そ、それは分かっているっすけど……でもアニキがいなくなると、オレたち寂しくなるっすよ……」


 鉄男は半泣きになっている。

 いつもは強気な男だが、こうした場面には弱いのだろう。


 仕方がないので一言かけてやる。


「俺がいない間は、ここを頼んだぞ、“先輩”。俺をアニキと慕うお前なら、できるだろう、鉄男?」


「――――っ⁉ あ、当たり前っしょ! 俺さまに任せておけっちゅうの、アニキィ!」


 俺の一言で、鉄男は急に元気になる。

 本当に単純で分かり奴だ。


 だがこういう奴の方が、崩壊した世界では大化けする可能性がある。

 本人には言わないが、次に会う時が楽しみだ。


「それにしても社長は困った奴だな。トラック組に知らせるなんて。せっかく静かに去るつもりが、こんなことになって」


「おや? キミらしくありませんね、レンジくん? 見送りに来たのは、“我々”だけじゃありませんよ?」


「なんだと? ちっ……そういうことか」


 ホームセンターの中から人影が出てくる。


 今度はかなりの大人数。

 全部で百人近い大集団だ。


 ……ざわざわ……ざわざわ……


 気がつくとホームセンターの全住人が、俺の前に集まってくる。


「これも社長と女将の仕業か? まったく、あの夫婦は……」


 最後尾でニヤニヤしている二人が見えた。


 おそらく俺が出ていくタイミングを見計らって、全員を叩き起こしたのだろう。

 まったくサプライズ好きな悪い夫婦だ。


「だが、どうしてみんな出てきた? 俺みたいな流れ者を、わざわざ見送る必要はないだろうが?」


 ふと疑問を口にしてみる。


 何しろ昨夜はみんな遅くまで宴会をしていた。寝不足で、今もまだ眠いだろう。


 それなのに全員が何故か見送りにきた。

 正直なところ俺には理由が分からなかった。


 そんな問いに住人たちか声が上がる。


「……何を言っていだい、レンジさん⁉ あんたを見送るためだったら、何時だって起きるよ!」


「ああ、そうだぜ! アンタのお蔭で家族が全員助かったぜ! 俺たちにとっては、アンタは英雄で命の恩人だ!」


 この答えには流石の俺も驚いた。


「ボクたちもレンジ兄ちゃん、大好き!」

「また遊びにきてよ、お兄ちゃん!」


 みんな自分の意思で早起きして、俺を見送りにきたのだ。


「レンジ、お前はもう俺たちの仲間だぜ!」

「辛くなったら、いつでも戻ってこいよ、兄弟!」

「このホームで大歓迎してやるぜ!」


 俺のことをホームの仲間として、誰もが認めてくれていたのだ。


 そんな中、一人の女が近づいてくる。


「レンジ……」


 目の前までやって来たのはマリア。

 いつもの娼婦の服ではなく、お淑やかなワンピースを着ている。


「本当は貴方に付いていきたいわ。でも、ここも大事な場所だから、貴方が帰ってくるのをホームで待っているわ」


 マリアは強い顔をしていた。

 覚悟を秘めた女の表情。

 自分の居場所を見つけて、彼女なりに未来を見ているのだ。


「俺は誰も連れていくつもりはない」


「あら、そうなの? でも本人は、着いていく気、満々よ?」


「本人、だと?」


 マリアが意味深なことを口にする。

 いったい誰のことだ?


 そんな時、店内から走ってくる者がいた。


「――――お、お待たせ、レンジぃ!」


 やって来たのは真美。

 大きなリュックサックを背負い、遠出用の服装に着替えている。


「どういうつもりだ? お前はここに残るんだろう?」


 真美はここを気に入っていた。

 食料も豊富で安全な拠点から、真美が離れる理由が、俺は理解できないのだ。


「何を言っているのよ? 私も付いていくに決まっているじゃない!」


「だから、どうしてだ? 俺に付いてきてもメリットはないぞ」


「そ、それは……ほら、アレとよ……ギブ&テイクで、レンジの借りを作ったままにしたくないのよ!」


 真美が何を言っているか、本当に理解できない。


「だから絶対に付いていくんだから!」


 だが『ここはテコでも動かない!』と強い意思があるのは分かる。


「ふう……勝手にしろ」


 仕方がないから、連れて行くことにした。

 それに途中で、コイツのマンションでも置いていけばいいだろう。


「ただいまジムニーちゃん♪ またよろしくね」


 助手席に乗り込んで、真美は何故か上機嫌だ。


「シートベルトを忘れるなよ」


 俺も運転席に乗り込み、エンジンを始動させる。


 ……ブルル――――ン


 アクセル踏んで、ゆっくりと車を前進。

 駐車場の出口へと、徐行で進んでいく。


「……アニキィイ! 絶対にまた来てくださいぃい!」

「レンジ、頑張れよぉ!」


 後ろの見送り組から、大きな声が聞こえてきた。


「レンジお兄ちゃん、またね!」

「真美お姉ちゃんも、また遊ぼうね!」


 男衆と女衆、子供衆、誰もが叫び、手を振ってくる。


 俺は無意識のうちに窓を全開にしていた。


「「「…………!」」」


 そのため声はホームセンターがバックミラーから消えるまで、俺の耳に聞こえるのであった。


「……なんか、しんみりしちゃうね。こういうの」


 助手席の真美は、目を潤ませていた。

 ここ数日間の辛く、楽しい日々を、しんみりと思い出しているのだろう。


「お前だけ、今から送ってもいいぞ?」


「だ、だから、一緒に付いていくって言ってるでしょ! この意地悪! 鈍感! もう……レンジのバカ……」


 泣いたり頬を膨らませたり、本当に感情がコロコロ変わる奴だ。


 まぁ……だから一緒にいて、俺も飽きないのかもしれない。


「ふう……ねぇ、ところでどこに行くの? また一人で調査?」


「ああ、そうだな。気になる場所が何カ所かある。だがその前に少しだけ寄り道を……生存者の家に寄っていく」


 詩織と別れてから、一週間以上経っていた。


 約束の日を過ぎていたから真美を降ろす前に、佐々木家の様子を軽く見ておきたいのだ。

 遅刻した詫びに、食料も多めに渡してやらないとな。


(佐々木姉妹か……)


 あと、ホームセンターのことを詩織に教えてやるつもりだ。


 親がいない姉妹でも、あのコミュニティーなら必ず快く迎え入れてくれる。

 食料が少ない佐々木姉妹にとっては、ホームセンターは最高の避難場所になるはずだ。


「生存者の家、って……えっ⁉ あの辺に私以外の生存者がいたの⁉ どんな人なの⁉」


「行けば分かる」


 こうして真美を連れて佐々木邸に向かうことにした。


 ◇


 ◇


 ◇


 ――――だが、この時の俺は知らなかった。


 ――――俺たちが到着した時、佐々木邸から姉妹の姿が消えていたことを。







 ◇




 第一部【完】

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