第41話:マッドサイエンティスト女医

 美鈴と話をするため、俺たちは個室へと移動する。

 監視カメラのモニターがいくつもある美鈴の事務室だ。


「コーヒーの砂糖は、相変わらず二個でいいのかね、レンジ?」


「ああ」


 美鈴が入れてくれたコーヒーご馳走になる。

 だが念のために先に臭いを確認しておく。


「おや? 毒なんて入っていないぞ?」


「学生に入れてきただろうが。麻痺性のを」


「キミの毒耐性がどこまで対応可能か、知りたかっただけさ? 悪意はない」


 美鈴は妖艶な笑みで、唇を舐める。


 この女は正真正銘のマッドサイエンティスト。

 自分の知的好奇心と満たすためなら、法すらも簡単に破る異常な女なのだ。


 時間がないから本題に入ることにした。


「さて、話とはなんだ?」


「さっきも言ったが、あの生物……子鬼ゴブリンの肉体が欲しいだよ、アタシは。理由はキミなら分かるだろう?」


 医者でマッドサイエンティストな美鈴は、特に生物学にこだわりがある。

 そのため別世界の生物な子鬼ゴブリンに興味津々なのだ。


子鬼ゴブリンの死体の入手なら、ピョードルでも可能だろう?」


 あのロシア人は元軍人で、腕利きの傭兵部隊に属していた。

 包丁一本でもあれば、子鬼ゴブリンごときには後れを取らない猛者なのだ。


「ピョードルは死体しか確保できなかったのさ。私が欲しいのは“イキが良い検体”なのさ」


 なるほど、そういうことか。

 根っからの軍人なピョートルは戦闘を得意だが、獣の捕獲は専門外。


「狩猟が得意ならキミなら、可能だろう?」


 それに比べて俺は生きたまま確保することは、苦手ではない。

 幼い時からマタギ祖父から、野性の獣の捕獲をレクチャーされてきたのだ。


「生きたままの検体が欲しい、か。俺も死体は解体したが、とくに得る情報は少ないぞ。どうして、そこまで生け捕りにこだわる?」


「そんなのは愚問だよ⁉ アタシは彼らに興味あるのだよ! 子鬼ゴブリンたちはどんなことを考えているのか⁉ どういう本能と思考で行動しているのか⁉」


 美鈴は自分の欲望を爆発させる。


「彼の生殖活動や繁殖は、どうしているのか⁉ どうして人間ばかりを襲うのか⁉ 全てが気になって、夜も眠れないのだよぉお、アタシはぁあ!」


 虚ろな目で絶叫。

 口からヨダレを垂らして、妄想の中で叫んでいく。


 美鈴は黙っていれば、大学でも一二番の美女だった。

 身体もグラビア女優級に豊満。


 だが中身は尋常ではない。

 こうなっては学生時代も誰も近づかなかった、正真章目のマッドサイエンティストなのだ。


「生け捕り……か。分かった」


 だが俺に承諾する。

 何故なら彼女は変人だが、利用価値も高いのだ。


「おぉおおお⁉ 受けてくれると信じていたよ、我が同志よ!」


「ギブ&テイクの関係だ。気にするな」


 生物に関しては天才で、ここには市内でも有数の生物研究設備もある。

 子鬼ゴブリンの研究を進めてもらえば、俺にとってもメリットが大きいのだ。


「それよりも、お前は変わらないな。世界が崩壊した後でも」


 変わらないスタンスの同期生に、心から感心する。


 いや、むしろ世界が崩壊した今の方が、このマッドサイエンティストは生き生きとしていた。


 きっと美鈴にとって、世界の崩壊は吉兆だったのだろう。

 自分の知的好奇心のためになら、コイツは子鬼ゴブリンの巣に喜んで飛び込んでいくだろう。


「アタシはアタシだからね。それよりもキミは、少し変わったね? 雰囲気が……いや、“以前の沖田レンジ”とは、何かが、変わった?」


 ふざけていた美鈴の表情が急に変わる。

 鋭い視線で、俺の中を見透かすように見つめてきた。


「…………」


 あえて俺は何も答えない。


 変人でマッドサイエンティストだが、この女は日本有数の天才の一人。

 洞察力が異常に鋭く、昔から霊能力者のように、色んなことを当ててくるのだ。


 今はもしかして【付与魔術】と付随する能力を、何か感じているのかもしれない。


「ふむ。“今は言えない”といった顔……か。相変わらずツレない男だね、キミは。まぁ、いい」


 美鈴は他人にはあまり興味がない。

 だからそれ上の追及はしてこない。


 そういう部分は昔から俺と少し似ている。

 だから学生時代に付き合ったのかもしれない。


「ところで、先ほどの患者は……この姉妹とは、どういう関係だい?」


 美鈴は監視モニターを操作。

 アズサが静かに眠り、詩織が見守る病室が、大きく映し出される。


「客と依頼人。ビジネスの関係だ」


「ビジネスの関係? それにしては随分と気にかけていたね? 以前のキミらしくはない行動だよ、それは?」


 またもや鋭く指摘をしてくる。


「そうか? いや……かもな。この世界で俺も、少しは変わったのかもな」


 平和な時、俺は他人に極力干渉しないで生きてきた。


 だが最近は違う。

 佐々木姉妹と真美、マリア、ホームセンター組の連中。


 自分でも驚くほどお節介をしてきた。

 理由は分からないが、自分の中でも何かが変化していたのだ。


「なるほどね? 人は環境に適応、変化していける生物だからね。変人なキミでも変わったんだろうね?」


「お前には言われたくない。それじゃ仕事に行ってくる」


 おしゃべりの時間は終わり。

 俺は依頼の子鬼ゴブリン狩りに向かうことにした。


 少し離れた区画に、小規模の子鬼ゴブリンの巣があった。

 今の俺なら簡単に捕獲可能できるだろう。


「おおお、頼んだぞ! アタシは解剖部屋で、準備して待っているぞ! 検討を祈る、我が同志よ!」


 こうしてマッドサイエンティスト美鈴の依頼を受け、俺は子鬼ゴブリン捕獲へと向かうのだった。


 ◇


 それから二時間が経つ。


 俺は無事に1体の子鬼ゴブリンを捕獲、降魔医院に帰還する。


「ぉおおおおおお! これが生きた子鬼ゴブリンかぁあ⁉ 素晴らしい! 素晴らし過ぎるぞぉおお!」


 解剖部屋で肢体を拘束された、生きた子鬼ゴブリン

 生きた実物を目にして、美鈴の興奮状態はマックス状態になっていた。


 目を輝かせて、口からはヨダレがこぼれおちている。


『――――っ⁉ ゴ、ゴブブ⁉』


 本能的に恐怖を感じたのだろう。被検体の子鬼ゴブリンは怯えていた。


「いい! いい表情だねぇえ! はっはっは! それは検証を始めようではないかぁああ!」


 見たこともない器具を手にして、美鈴は子鬼ゴブリンに近づいていく。


「ふう。始まったか」


 そんな彼女を見ながら、俺は解剖部屋を後にする。

 助手には白衣のピョードルも付いているので、安全性も大丈夫だろう。


 俺は病院内の待合室へ歩いていく。


「さて。今後は、どうしたものかな?」


 たぶん美鈴の知的好奇心は、あの一体だけは絶対に満たされない。

 間違いなく明日も『レンジ、もっと捕ってきてくれぇえ!』と依頼してくるはず。


「仕方がない。二、三日、ここにいるか」


 美鈴の調査結果は、俺にとってもメリットが大きい。

 だから今回はある程度まで、彼女に協力するつもりだ。


 そのため降魔医院に短期滞在するスケジュールにした。


「真美は……アイツなら大丈夫だろう」


 今、彼女は佐々木邸の二階で待機している。

 だが時間が来たら、自室に戻るように指示してある。


 今の真美にはホームセンター組から分けてもった物資と、サリーバガンもある。

 精神的にも強くなったので、一人でも多少なら生き延びていくだろう。


 だから数日間、放っておくことにした。


「さて、それじゃ……ん?」


 そんな時だった。待合室に人影が近づいてくる。


「詩織……か」


 やってきたのは詩織。

 妹のアズサは安定して、ようやく落ちつた顔をしている。


「ん? その恰好はどうした?」


 だが詩織は前と違う格好をしていた。


 フリフリのスカートの洋服……メイド服を着ていたのだ。


「ええ……と。実は妹の治療の対価として、美鈴先生と話をして、ここでしばらく働くことになりました」


「なるほど。労働で返す、ということか」


 美鈴は俺と同じく、金や人情では動かない。


 今回アイツは詩織にメイド服を着せて、自分の世話をさせることにしたのだろう。


「あ、あんまり、マジマジと見ないで欲しいです。このデザイン的に……」


 詩織はかなり恥ずかしそうにしている。

 何しろここの制服、メイド服はかなりきわどいデザイン。


 胸がコルセットで大きく強調される上着。

 屈めば下着が見せるほど短いミニスカート。

 白いニーハイソックスで、かなりエロス度が高いのだ。


(たしかに美鈴の好きそうな、官能的な服だな)


 もしもコスプレやメイド服が好きな暴徒がいたら、間違いなく興奮状態になる格好だ。

 それほど魅力を、今のメイド服の詩織は有していた。


「馬子にも衣裳、だな」


 だが俺はそんな趣味はない。適当にお世辞で褒めておく。


「べ、別に沖田さんに褒めて欲しくて、コレを着たわけじゃありませんから……」


「そうだな。それじゃ仕事は頑張れよ。俺もしばらくはここにいる」


 詩織の働く期間と、俺がいる期間は同じくらい。

 あの変人女医の気分と仕事具合次第なのだ。


「あ、あの沖田さん……」


 そんな時、詩織が神妙な顔になる。

 何か言いたそうにしている。


「ここまで連れてきた“対価”についてか?」


「は、はい……」


 詩織は神妙な顔になる。

 ドラッグストアの駐車場で、彼女は“種の保存”……つまり“何でもする”と言ったからだ。


「今すぐ払う必要はない」


「えっ……?」


「妹が元気になって、この街で安全なコミュニティーを見つけてからだからだ」


 人間が長期間生きていくためには、必ず男女のコミュニティーが必要となる。

 現段階ではまだなのだ。


「はい……分かりました」


 詩織はホッとした顔になる。

 まだ意識が戻らない妹のことが、今でも心配なのだろう。


「だが数ヶ月後……いや数週間後には、必ず対価は貰う。それまで女として、中身も少しは成長しておけ」


「そ、そんなことまで、沖田さんに言われたくないです! もう……本当に沖田さんは最悪で、デリカシーが無くて、変態です!」


 俺にからかわれたと思ったのだろう。詩織は顔を真っ赤にして怒ってきた。

 だが前よりは何故か少しだけ、嫌悪感は減っている。


「その元気でちゃんと働けよ、メイド」


「もう!」という詩織の抗議を背中で聞きながら、俺は待合室を後にする。


 何故なら今、どうしても向かいたい場所が、俺にはあったからだ。


 周囲を警戒しながら、病院内を移動していく。


「さて……誰もいないな」


 やってきたのは監視カメラのモニターがいくつもある部屋、美鈴の事務室。

 降魔医院の中でも通信機器も揃った場所だ。


「無線機と衛星電話は……これか」


 ここに来た目的は、通信設備で確かめたいことがあったから。


 今なら美鈴とピョードルは解剖部屋で忙しいから、じっくりと確認ができるのだ。


「この出力と機能なら、外部とも連絡が可能なはずだ」


 シェルター式の降魔医院の無線機と衛星電話は強力。県外とも通信が可能な出力があるのだ。

 つまり他県の生存者や、県内の自衛隊とも連絡が取れる可能性が大きいのだ。


「さて、この街は……いや、この国は、どうっているんだ?」


 こうして俺は街の外がどうなっているか、一人で確かめることにした。

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