第52話 秋姉の隠し事
普段なら「じゃあ、またな」という言葉と笑顔が飛び交う夕方の部室。
だが、今日は無言の空間に舌打ちが飛び交っていた。誰からともなく、一人ずつ時間をずらして部室から出て行く。
そして、最後に残ったのは俺だった。
なぜこんなことに……?
そう思いつつ、鞄を持ち教室を出る。そういえば黒井はもう帰ったのだろうか。
そんなことを思いながら昇降口を出て校門に向かう途中、駐車場の方からこちらに手を振る秋姉を見つけた。
「次郎、こっちこっち!」
手招きをする秋姉の方に駆け寄ると、秋姉は「乗りなよ」と言って車を指差した。
家まで送ってもらえるのかと思い、言われるがままに助手席に乗り込む。
「お疲れ様」
「ああ。秋姉の方こそ、お疲れ」
「本当、疲れちゃったよー。早く返って雪穂ちゃんの美味しいご飯が食べたいねー」
秋姉はそう言いながらエンジンをかけて、車を発進させる。
「そういえば、軽音部はあの後どうだったの? 少しは上達した?」
「いや、それが――」
解散したんだ。そう言おうとして、止める。
仮にも俺たちの解散には秋姉の存在も関わっている。下手に、秋姉に責任を感じて欲しくない。
「――まあまあってところかな」
とりあえず、曖昧な言葉で誤魔化すことにした。
幸いにも秋姉がそれ以上追及することは無かった。
夕陽が差し込む車内から窓の外を眺める。真っすぐ家に向かうと思っていたが、途中で秋姉が海の方へ向かう道に入っていった。
「あれ? 帰らないのか?」
「帰るけど、ちょっと気分転換にドライブに行こうと思ってね」
「黒井は大丈夫なのかよ?」
「それなら大丈夫。雪穂ちゃんにはさっき家の鍵渡しといたから。雪穂ちゃん暫く泊まるって、よかったね」
秋姉がそう言って微笑む。
俺が黒井に惚れていることを理解しているのか、穏やかで温かな目だった。
「まあ、美味い飯が食えるしな」
「また、そんな照れ隠ししてさぁ。まあ、いいけどね。後悔しないようにしなよ。言葉にしなきゃ、分からないことがたくさんあるんだから」
秋姉は困ったように眉を顰めてそう笑った。
その言葉はやけに実感がこもっているような気がした。
「分かってるよ」
そう呟いて、窓の外を眺めた。
「はい、到着っと」
とあるビーチの駐車場に秋姉が車を停める。この街で一番夕陽が綺麗に見えると噂のビーチだ。
平日ということもあり、人の姿は殆ど見えなかったが、チラホラと車が停まっており、カメラを構えている人や学生に見えるカップルの姿があった。
秋姉は海が好きだ。
特に、このビーチには幼いころから自転車に乗って来ていた。俺もよく誘われたものだ。
それも秋姉が年を重ねるごとに減ったのだが、時折、秋姉はここに来ていた。そういう時は大抵、何かがあった時だ。
「次郎、ちょっと歩こうよ」
秋姉の言葉に頷き、俺は外に出た。
波の音が聞こえる浜辺を秋姉の少し後からついて歩く。潮風が秋姉の髪を優しく撫で、秋姉のウェーブがかかった髪がふわりと揺れる。
「綺麗だね」
足をとめ、夕陽を眺める秋姉は眩しそうに眼を細めていた。
スーツ姿にも関わらず、その姿がやけに様になっていて、俺には夕陽よりもよっぽど秋姉の方が綺麗に見えた。
「秋姉の方が綺麗だと思うよ」
そう言うと、秋姉はキョトンとした顔を浮かべて俺の方を見る。ジッと見つめられると、何だか気恥ずかしい。
「いや、あれだよ。女の子を可愛いと思うことがあったら、素直に言えって秋姉が言ってただろ」
そっぽを向き、誤魔化すようにそう言う。
すると、秋姉はクスリと口元に手を当てて笑った。
「ありがと。でも、そこで誤魔化したら台無しだよー。雪穂ちゃん相手の時は誤魔化さずに目を見て言ってあげなよ」
秋姉はそう言って、ウインクを一つする。それから、俺の肩をポンと叩いて「帰ろう」と言った。
背伸びをしながら駐車場に向けて歩き出す秋姉の後ろをついて歩き出す。
だが、秋姉の足が突然止まった。
「村野……」
「え……? し、篠原さん?」
秋姉の目の前には少し細身の眼鏡をかけた男性がいた。
背中は少し曲がっていて、お世辞にもかっこいいとは言えない、そんな男性が。
秋姉は足を止めて、ほんの少し村野という男と見つめ合っていたが、直ぐに視線を村野から外し歩き始める。
「ま、待って!」
だが、秋姉が村野の横を通ろうとした時、村野が秋姉の腕を掴んだ。
「放して!」
「うわっ」
秋姉が村野の腕を振り払う。そして、秋姉はそのまま村野を置いて歩き始めた。
その場に取り残されたのは、なにが起きているのか全く理解できていない俺と、悲しそうに秋姉の名前を呟く村野という男性。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
あの秋姉が誰かに冷たくしていることが信じられず、つい村野という男性に声をかけてしまった。
「君は……?」
突然声をかけられたことに、ビクッと肩を震わせつつ訝しむように村野は俺を見てきた。
「俺は、秋姉の幼馴染で弟分みたいなもんです。秋姉となにかあったんですか?」
「そ、そうなんだ。いや、なにもないよ。ただ、僕が彼女を傷つけてしまっただけなんだ。その、よかったら篠原さんに伝えておいてくれないかな、本当にごめんって」
「わ、分かりました」
二人の間に何があったのか。本当はそれも聞きたかったが、村野という男性の悲痛な表情を見てしまっては、それ以上追及することは出来なかった。
車の中に戻ると、来たときとは打って変わって秋姉の表情に笑顔は無かった。
なにか俺に言ってくるかと思ったが、何も言わずに秋姉は車を出す。車内は重苦しい雰囲気で口を開きにくかった。
だが、俺には村野からの伝言がある。それだけは伝えておくべきだろうと思い、俺は口を開いた。
「さっきの村野さんって人が秋姉に、本当にごめんって言ってたよ」
「それだけ?」
「う、うん」
「そっか」
夕陽が沈み、車内がどんどん暗くなっていく中で分かりにくかったが、秋姉の表情はどこか寂しそうなだった。
「村野さんって、秋姉の知り合い?」
「まあね。大学が一緒なんだよ」
そこで秋姉が口を閉じる。普段なら、聞かれてないことにも積極的に自分から離す秋姉が口を閉じたことで、これ以上聞くなと秋姉が言っているような気がした。
結局、家に着くまで俺と秋姉の間に会話は無かった。
「ただいまー! 雪穂ちゃん、今日のご飯はなにー?」
家に着くや否や、秋姉は車内での様子が嘘だったかのように明るい声でリビングに飛び込んでいった。
そのことに唖然としつつ、リビングの方から流れてくるいい匂いにつられて、俺も早足でリビングに足を踏み入れる。
リビングと繋がっているダイニングキッチンの方では、秋姉に後ろから抱きしめられて鬱陶しそうに顔をしかめる黒井の姿があった。
「ちょっと、揚げ物してるんですから離れてください」
「ええー! いいじゃん! 雪穂ちゃんのすべすべの肌で疲れ果てた私の心を癒してよー」
二人の様子を見て、俺は少しだけ安心した。
それから、俺に気付いた黒井が俺の方に目を向ける。
「あ、帰って来たのか。もう直ぐご飯出来るから、少し待っててくれ。後、できたら、篠原さんを引き剥がしてくれ」
「悪いが諦めてくれ」
「まじか……」
肩を落とす黒井には申し訳ないが、秋姉の元気を取り戻すために我慢してもらうことにした。
秋姉とあの村野という男の間に何があったのか、俺には分からない。でも、秋姉には元気でいて欲しいと思ったから。
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