第50話 噂と昼ご飯
「起きろ! 起きろって!」
「ん……あと一時間」
「交渉下手すぎだろ。あと五分とかにしとけよ」
「じゃあ、あと五分」
「まあ、一時間に比べればマシか……はっ! 危うくバカに騙されるところだった! いいから、起きろ! 折角朝ご飯作ったのに冷めるだろ!」
「朝ごはん!」
朝ごはんという言葉に跳び起きる。
そうだ。俺は黒井の朝ごはんを楽しみにしていたんだった。目をパッチリ開けると、視界にはエプロン姿でおたまを持つ黒井がいた。
「すっげえ、おたま持って人を起こしに来る人って本当にいるんだ……」
「ああ。いざとなったらこれで叩き起こそうと思ってな」
ニコリと微笑む黒井。
可愛い顔してやろうとしてることえげつないな。
「あれ? 秋姉は?」
「篠原さんならもう下でご飯食べてるぞ」
「そっかそっか。あ、そういえば黒井、昨日俺の部屋で寝ただろ?」
俺の言葉に黒井がビクッと肩を震わせる。
「あ、あー、実は寝ぼけててベッド間違えちゃったんだよな。わ、悪かったな」
「いや、まあいいんだけどさ。気を付けろよ? 普通に男と二人きりのときとかにあれしたら、襲われても文句言えないからな」
「ふーん。つまり、お前は二人きりの時に自分のベッドに女が寝てたら襲う狼ってことだな。よーく覚えとくわ」
「いや、違うよ!?」
慌てふためく俺を見て黒井が楽しそうに笑う。
こ、こいつ……朝から人のことを馬鹿にしやがって。まじで襲ってやろうかな……いや、やめとこう。何か返り討ちにあいそうだし。
「ま、とりあえず目が覚めたなら顔洗って朝ごはん食べに来いよ」
「はいよ」
部屋を後にする黒井に返事を返してから、背伸びを一つする。
時計を見ると、時刻は七時だった。
流石に二度寝をする気にもなれず、そのままベッドから降りて顔を洗いに洗面所へ向かうことにした。
顔を洗い、リビングを通ってダイニングに向かう。
キッチンでは黒井が目玉焼きを焼いており、ダイニングテーブルでは秋姉が朝ごはんを食べていた。
部屋に広がる味噌汁の香りが食欲をそそる。
「あ、次郎起きたんだ。おはよう」
「おはよう、秋姉」
秋姉に返事を返し、キッチンに向かう。
「黒井、なにか手伝うことあるか?」
「なら、ご飯と味噌汁を二人分よそってくれ。片方は私のだから少なめで頼む」
「了解」
食器を棚から出して、ご飯と味噌汁をよそっていく。
味噌汁には昨日の油揚げと玉ねぎにくわえ、大根が入っていた。
よそったご飯と味噌汁、箸などを机の上に並べ終わる頃に黒井が目玉焼きを持ってきた。
「よし、それじゃ食べるか」
「おう。ありがとな」
「まあ、私がやりたくてやったことだから気にすんな」
手を合わせ、「いただきます」と言ってから味噌汁に口を付ける。
丁度良い塩加減、優しい味が身体に染み渡る。
「ふぅ……美味い……」
「なら、よかった」
勿論、普段食べている母さんのご飯も美味いが、黒井の料理も負けていない。
そのまま朝ごはんを食べ進めている途中で、秋姉が「ごちそうさまでした」と言って席を立つ。
それから、十分後に歯磨きを終えてスーツ姿になった秋姉がリビングに姿を現した。
「それじゃ、私は先に行くね。二人も遅れないように! あと、雪穂ちゃんは朝に話したことよかったら考えておいてね! それじゃ、いってきまーす!」
「いってらっしゃーい」
笑顔を浮かべてリビングを出る秋姉に軽く手を振る。
秋姉の姿が見えなくなった後、俺は黒井の方に顔を向けた。
「朝に話したことってなんだ?」
「あー、篠原さんがよかったら佐々木の両親が帰ってくるまで泊まっていかないかって言ってくれたんだよ」
「へー……ええ!?」
なんてことない様に黒井は言うが、俺からしたら大イベントだ。
思わず手に持っていた茶碗を落としかけた。
「おい、ちゃんと茶碗は持てって」
「いやいや、そんなこと言ってる場合じゃないだろ? ち、ちなみにお前は何て答えたんだ?」
「んー、家主の許可が出たら考えますって言った」
そう言うと黒井は目玉焼きを口に入れた。
家主というと、俺の両親はいないから俺ってことか? つまり、俺の許可が下りれば黒井はまた俺の家に泊まるかもしれないということか。
「で、どうなんだよ?」
黒井が問いかける。
少し考えたが、俺が断る理由はなかった。
「まあ、別に俺は構わないけどよ。黒井はそれでいいのかよ?」
「んー、別に家で一人でもやることはそこまで無いしな。寧ろ、お前と同じ家で過ごせるならいつでもゲームが出来るってことだろ。なら、暫く泊まるのも悪くねーよ」
まるで子供のような理由で、俺の家に泊まることを許容する黒井。
一応、俺は年頃の男だ。そんな相手の家に泊まることに躊躇いが無いことはどうかと思うが、秋姉もいるし問題ないという判断なんだろう。
もしくは俺が男として見られていないか。
後者だったら泣くな。
「ごちそうさま。それじゃ、私は先に準備するからお前も遅くならないうちに学校行く準備整えろよ」
「お、おう」
******
その日、学校へ行くとクラスはいつもより少しざわついていた。
まあ、その原因は俺と黒井にあるのだが。
「次郎、最近黒井さんと仲良いよね」
俺の席に優斗がやって来る。
「まあ、そうだな」
「うん。今日なんて一緒に登校してきたんでしょ? 噂になってるよ。二人は付き合ってるんじゃないかって」
「まじで?」
俺の言葉に優斗が頷く。
黒井は新学期が始まってから暫く話題の人だが、まさか俺との噂まであがっているとは……。
「誰が言いだしたか分からないけど、その噂はでたらめだ。付き合うどころか男として見られてない可能性もある」
「そうなの?」
「そうだよ。黒井にとっては俺なんて下僕みたいなもんだろ」
「そ、そうなのかな? 僕から見たら、普通に黒井さんは次郎のこと好意的に見てるように見えるけど……」
秀山が首を傾げる。
だが、こいつは宮本さんの気持ちに中々気付かなかった鈍感男だ。親友とはいえ、その意見は参考にするべきではないだろう。
そうこうしている内に先生が来て、朝のHRが始まった。
******
昼休み、昼ご飯を購買で購入するべく財布を持って席を立つ。そして、教室の外に出ると、弁当箱を二つ持った黒井がいた。
「どこ行くんだよ」
「え? いや、昼飯買いに行こうと思って……」
「なら、その必要は無いぞ。朝、渡し忘れたけどお前の分の弁当も作っといたからな」
黒井はそう言うと手に持った片方の弁当を俺に差し出してきた。
「おお! まじか。ありがとな! てことは、もしかして秋姉にも私の渡したのか?」
「おう。朝のうちにな。それより、一緒に食おうぜ」
そう言うと、黒井は中庭に向けて歩き出す。
その背を俺は追いかけようと一歩踏み出す。その時、後ろからコソコソと話声が聞こえた。
振り返ると、慌てて顔を逸らす女子たちが数人いた。
そういや、俺と黒井が付き合ってるって噂が流れてるのか。一応、訂正した方がいいか?
「何してんだよ。早く来いよ」
「あ、今行く」
少し迷ったが、あの女子たちが俺と黒井の噂話をしていると決まったわけでもないし、放っておくことにした。
「いやー、まじで美味い」
「それならよかった」
中庭のベンチに座り、黒井のお弁当を食べる。
まだまだ日差しは強く、日なただとかなり暑いが、幸いベンチは木陰の中にある。
時折吹く風も相まって、丁度いい涼しさだ。
「そういえば、俺と黒井が付き合ってるって噂が流れてるらしいぞ」
「らしいな」
何気なく黒井に噂話のことを打ち明けたのだが、意外にも黒井は淡白な反応を示した。
「いや、らしいなって、噂を否定しなくていいのかよ?」
「別に不都合なことなんてないだろ」
「でも、お前のことを好きな人に申し訳ないだろ」
俺がそう言うと、黒井はジト目で俺を睨みつける。
その目に、思わずたじろいでしまう。
「お前は私が誰かに告白されるところを見てなんか思わないのか?」
不意に黒井はおかしなことを聞いてきた。
確かに、黒井が告白されて誰かと付き合ったら寂しい気持ちにはなるが、それは黒井が決めたことだし仕方のないことだ。
俺がどうこう思おうと黒井に関係ない気がする……。
いや、関係ある時が一つだけある。
「それって、どういうことだ?」
ゴクリ、と生唾を飲みこんでから黒井に聞き返す。
黒井の次の一言を聞き逃さぬように、全神経を耳に集中させる。
そんな俺を見て、黒井はほんの少し口元を緩める。
「その答えは、宿題の答えになっちまうから言えねーな」
空になったお弁当箱を持ち、黒井がベンチから立ち上がる。
「悩めよ、鈍感野郎」
黒井がそう言うと共にそよ風が吹き抜ける。
風に靡く髪を抑えながら、微笑む黒井に目を奪われる。
もし、もしも……俺の勘違いじゃないのなら――。
そんな考えを頭に浮かびあがると同時に午後からの授業の開始五分前を告げるチャイムが鳴り響く。
思考を中断し、慌てて教室へと向かった。
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