第51話 方向性
放課後になり、鞄をまとめていると黒井が俺の席に近づいて来た。
「帰ろうぜ」
「あー、悪い。今日は部活あるから先帰ってくれ」
「まじかよ……。まあ、それなら仕方ないか」
「それじゃ、俺はいくわ」
黒井に手を振り、教室を出る。
向かうは隣の校舎にある軽音楽部の部室だ。文化祭も近いし、今まで以上に気持ちを入れて練習する必要がある。
「おっ、佐々木来たか」
「待っていましたぞ」
軽音楽部の部室に入ると、既に派手島拓郎と尾田九朗がいた。
二人とも楽器を既に手にしており、やる気は十分といった様子だ。特に、九朗のバンダナの色は赤。
その日の機嫌によってバンダナの色を変える九朗のバンダナが赤ということは、今日は相当に練習への情熱を燃やしているらしい。
「直ぐに準備するわ」
二人に一声かけて、ベースを取り出しチューニングを始める。
「よし、準備できた」
「なら、早速合わせて見るべ」
「御意!」
九朗の合図に合わせて演奏を始めた。
「ふう。いい感じだべ」
「ですな! これなら二週間後の学園祭も問題なしですぞ!」
演奏が終わり、顔を見合わせ笑顔を浮かべる二人。
「なあ、俺大丈夫だったか? どこか改善点があれば教えて欲しいんだけど……」
一週間に一度合わせて練習しているとはいえ、相変わらず二人はどんどん上達している。
二人と比べれば俺が一番下手であることは言うまでもない。
だからこそ、この二人に聞けるときに確認しておきたかった。自分の悪いところを。
「うーん。そうだべ……。ぶっちゃけ、技術的なことは十分及第点だと思うべ。強いて、次郎に更に求めることがあるなら、熱だべ」
「熱?」
俺の言葉に拓郎が頷く。
「演奏っていうのは、ただいい音を鳴らして終わりじゃないべ。演奏する以上、必ずオーディエンスがいる。そのオーディエンスに自分たちの思いを音にのせてぶつける。それが大事だと思うべ」
「ですな。勿論、皆がそうとは言わんでござるが、少なくとも拙者らは秘めたる思いがあって楽器を手に取ったでござるよ」
熱、か。
確かに、歌手のライブに行くと歌手に圧倒されたという話をよく聞く。
要は、熱というのはそういうものを指すのかもしれない。
「ちなみに、二人の持ってるその熱っていうのはなんなんだ?」
「「モテたい」」
即答だった。
「それでいいのかよ?」
「いいに決まってるべ。モテたいって思いも突き詰めれば何よりも大きな原動力になるべ」
拓郎の言葉には頷かざるを得なかった。
事実、拓郎も九朗もその一心で楽器を手に取り、今ではライブハウスに週に何度も通うほど音楽に打ち込んでいる。
そう考えると、確かに二人に比べれば俺が演奏する理由は弱い。というより、ほぼない。
モテたいとは思っていたが、今はそこまで思っていない。強いて言うなら、部活だから続けているという理由が大きい。
「ま、そういうことだから少し考えてみて欲しいべ。どうして楽器を持つのか、なんのためにわざわざステージに立つのかって。俺は、次郎だからこう言ってるんだべ。他の奴ならここまで要求しない。熱っていうのは、誰でも持ち得るものだけど、大きな熱は誰でも起こせるわけじゃないべ。次郎はそれが出来る男だべ」
拓郎の言葉に九朗も頷いていた。
熱、か。
俺がわざわざステージに立ってまで伝えたい思いがあるのだろうか。
「まあ、まだ学園祭までは二週間もありますぞ。今は折角の練習時間、もう少し練習をしましょうぞ!」
「だべ!」
九朗の言葉に俺も同意を示し、再び練習を再開するべく、各自が楽器を構える。
そして、演奏を始めようとした時、部室の扉が突然開いた。
「お邪魔しまーす。わー、懐かしいなぁ」
「あ、秋姉!?」
部室に入ってきたのは秋姉だった。予想外の来訪者に思わず声が大きくなる。
「こら、佐々木君、篠原先生でしょ?」
秋姉はそう言って、メッと可愛らしくほおを膨らませた。
「あ、す、すいません」
秋姉が実習中ということを思い出し、敬語に戻す。そこで俺は思い出した。
そうだ。秋姉は高校時代軽音部に所属していたんだ。すっかり忘れていた。
「じ、次郎……篠原先生と知り合いなのか?」
秋姉の登場でさっきまで固まっていた拓郎が恐る恐るといった様子で口を開く。
更に九郎も拓郎と同じ疑問を抱いているのか、俺の方をじっと見つめて来ていた。
「ああ。俺と秋姉は幼馴染なんだよ。それで、秋姉は軽音部のOGなんだ」
「そうだよー! 練習中に急に来ちゃってごめんね。迷惑だったかな?」
秋姉が少しだけ申し訳なさそうな顔を浮かべると、拓郎と九郎は引きちぎれるんじゃないかという勢いで首を横に振る。
「な、なんの問題もないべっす! む、寧ろ是非とも見ていって欲しいべっす!」
「そうですぞ! ささ! 早速こちらの椅子にお掛けになって候!」
二人ともテンションが上がっているのか、拓郎は口調がおかしなことになっているし、九郎は九郎で古典の文章のような言葉遣いになっていた。
「あはは! 二人とも面白いね。ありがとう。なら、折角だし演奏聞かせてもらおうかな」
秋姉が二人に微笑む。
その瞬間、確かに俺は聞いた。ズキュゥゥゥン!! という二人のハートに矢が刺さる音を。
「二人とも、やるべ」
「ええ。思いをこの一曲に込めましょうぞ」
ファサッと髪をかきあげ、キメ顔で俺を見つめる二人。分かりやすい上になんと単純なんだろうか。
そんな二人の様子を秋姉は苦笑いを浮かべながら楽しそうに見ていた。
「そ、そうだな。とりあえず練習するか」
「練習……? てめえ、ふざけてのか次郎!」
「そうですぞ。拙者らはいつだって全力! 練習を本気で取り組めぬ者が、どうして本番で全力を出せるというのですか!?」
異常な熱血ぶりを見せて俺に詰め寄る二人。
あ、熱い……! 熱すぎる……!
そうか! これが、熱。モテたいという二人の強い思い!
「悪い……。お前らの言う通りだ。俺も本気を出す!」
「よし、やるべ!」
「御意!」
「おう!」
九郎がドラムスティックで合図を鳴らし、演奏が始まる。だが、その演奏は今までの演奏とはまるで異なるものだった。
リズム隊のドラムは己の存在感を主張するがあまり、リズムキープ出来ておらず、ギターはギターで突然ソロパートかのように不必要な場面で技術を余すことなく披露し出す。
そんな拓郎と九郎の二人の主張し合いに負けじと音をかき鳴らす俺。
演奏とは皆が同じ方向を向き、互いの良さを引き出し合って一つの音を作り上げることとも言える。
確かに俺たちは今同じ方向を向いているのかもしれない。だが、互いの良さを引き出すことなんて欠片も頭にない。ただ、秋姉に己の良さだけを見て欲しい。
そんなあさましい思いが拓郎と九郎の演奏から滲み出ていた。
こ、これが熱……!?
確かに凄い、凄い情熱だが、これでいいのか……?
そして、演奏が終わる。
やりきったという表情で息をきらす拓郎と九郎。その目がほぼ同時に秋姉をさす。
「「どうでした!?」」
「あはは……なんていうか、あんまり上手じゃないね」
秋姉はそう言って苦笑いを浮かべた。
秋姉の言葉に拓郎と九郎が肩を落とし、白目になる。どうやらショックがでかすぎたらしい。
「でも、ギターとドラムの子の熱意は凄かった。あとは、そうだね。ベースの子の想いが伝わってきて、その上で三人が同じ目的を達成することを目指せたら、きっと凄い演奏が出来るよ」
秋姉はそう言うと、ウインクをこちらにしてから部室を後にした。
ベースの子、つまり俺か。やっぱり俺の想いが足りないのか。俺が演奏で伝えたいもの、か。
「うおおお!! 決めた!」
俺が悩んでいると、落ち込んでいた拓郎が目を輝かせて立ち上がる。
「俺は、篠原先生に告白する!! だから、俺が篠原先生に想いを伝えることを俺たち三人の目標にするべ! きっと篠原先生もそれを望んでるべ!!」
拳を天に突き出す拓郎。その目には熱い意志が宿っていた。
「次郎も九郎も協力してくれるよな?」
「嫌ですぞ」
拓郎の言葉に九郎が即答する。九郎は鋭い目つきで拓郎を睨みつけると、拓郎にビシッと人差し指を向ける。
「篠原女史が拓郎殿に思いを伝えられることを望んでいる? つまらない冗談はやめてほしいですぞ」
「な、なんだべ! 急に文句言ってきて!」
「篠原女史が思いを伝えて欲しいと思っている相手は拙者ですぞ! あの目くばせは確かに拙者に向けられていた! ならば、三人の目標は拙者が篠原女史に想いを伝えること一択!!」
声高々に拓郎に向けて宣言する九郎。
だが、そんなことを言われて黙っている拓郎ではない。
「寝言は寝て言うべ! 童貞の勘違いほど悲しいものはないべ!」
「なっ!? それはそっちの方ですぞ!」
喧嘩は同レベルの相手との間でしか起こらないというが、その言葉が嘘ではないということを、実感する。
秋姉に既にフラれている俺はぼーっと二人の言い合いを眺めていたが、突然二人が俺に顔を向けてきた。
「次郎はどう思うべ!」
「そうですぞ! 拙者らの方向性は次郎殿に決めていただきますぞ!」
二人で俺に詰め寄ってくる。その目はぎらついており、下手なことは言えない雰囲気だった。
だが、拓郎と九郎の言っていることに同意はできない。
「二人とも冷静になるべきだ。秋姉のことは置いといて、俺たち三人の音楽の方向性は三人で話し合って決めるべきだ」
「お前は恋をしてないからそんなことが言えるんだべ! 大体、話し合っても、篠原先生と付き合える男は一人だべ! なら、それは俺しかいないべ!」
「そうですぞ! 篠原女史の運命の相手はただ一人! 拙者ですぞ! 興味がないなら次郎殿は引っ込んでいればいいですぞ!」
そして二人は再び言い合いを再開する。
最早、その言い合いを止めることなんて俺には出来なかった。
「もういいべ! お前らとやっていたら俺の熱いビートは篠原先生に伝わらないべ」
「それはこっちのセリフですぞ! 主役が誰かを履き違えている男とはやってられませんぞ!」
「え? ちょっ! お前ら! 落ち着けって!」
このままではバンドが解散すると思い、慌てて二人を引き止める。
「「うるせえ! 真の愛も知らぬにわかめ!!」」
プチ、と俺の中で何かが切れる音がした。
「てめえら! 調子乗んなよ! 揃いも揃って恋愛のれの字も知らねえくせに!」
「な!? 知ってるべ! レンコンの頭文字だべ!」
「そうですぞ! レモンの頭文字ですぞ!」
「レンコン!」
「レモン!」
「恋愛だって言ってんだろうがああああ!!」
こうして、俺たちは方向性の違いにより解散した。
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