第32話 黒井雪穂①

「おー! 黒井、見ろよ! ペンギンだぞ! ペンギン!」


 翼を広げてせっせと岩の上を歩き回るペンギンを見て、バカが興奮したように声を上げる。


「分かってるよ。てか、勝手に肩に触るんじゃねえ」


「あ、悪い。でも、ペンギンが可愛いから仕方ないだろ」


 私が悪態をついたにも関わらず、バカはケロリとした表情で再びペンギンに子供のような無邪気な笑顔を向ける。

 私も、バカの隣でペンギンに目を向けるが、何故か時折バカの顔を見てしまう。

 相変わらず能天気で、何も考えてなさそうな顔だった。


「いやー、堪能した! そろそろ、次の場所行くか?」


 ペンギンたちを見ていたバカが突然こちらに顔を向ける。それを察して、私は慌てて前を向いた。


「あ、ああ。そうだな」


「何だよ。歯切れ悪いな。お前が水族館楽しむために来たんだろ? ちゃんとペンギン見たのかよ」


「み、見たに決まってんだろ! 大体、これでも私は年に四回は水族館に来るくらい水族館が好きなんだよ。いちいちお前に注意されるまでもないっつーの」


 本当はちゃんと見ていなかったことを誤魔化すように早口でまくし立てる。

 学校での私は、人当たりのいい誰にでも愛されるような言葉遣いが出来るのに、素の私はついついこうして当たりが強い口調になってしまう。

 そんな自分が嫌というわけではないが、それでも時折少しだけ不安になる。

 もしかすると、このバカもいずれ私に愛想をつかすのではないかと。


「そっか! なら、次行こうぜ! 次はどんな生き物がいるんだろうなー」


 そんな私の心配を笑い飛ばすかのように、バカは笑顔を浮かべて次の生き物がいる水槽に向けて歩き出す。


 バカはやっぱりバカだったか。

 いや、もしかするとこういうきつめの口調の方があのバカは好きなのかもしれない。

 イルカショーを見た後も、罵声を浴びせられて喜んでいた。だとすると、あのバカとの付き合い方をもう少し見直した方がいいか?


「おーい。黒井、早く行こうぜ」


 考え事をしていると、バカに呼ばれる。いつの間にか、バカは私よりも随分と先の方にいた。


「今行く」


 私は、考え事を中断し、駆け足でバカの傍に向かった。



***



「いやー満喫したなぁ」


 バカが椅子に座って大きく背伸びをする。

 私とバカは水族館を満喫し終え、浅瀬の生き物たちと触れ合えるコーナーでのんびりくつろいでいた。


「子供みたいにはしゃぎまわってよ。一緒にいる私が恥ずかしくなっちまうくらいだったぞ、お前」


「はあ? 何言ってんだよ。イルカショーに出たかったのに、勇気が出なくてオドオドしてたお子様がよ」


「なっ!? ち、ちげーよ! あれは、あれだよ。私は大人だから他の子供に譲ろうとしてただけだ!」


「何言ってんだ。イルカショー参加してる時、あんなに嬉しそうにしてたくせによ。本当、思わず見惚れ――んんっ!!」


 途中まで言いかけたところでバカが慌てて口を閉じる。だが、バカが言おうとしていたことくらい容易に想像がつく。


「何だよ? お前、私に見惚れてたのか? そういや、イルカショーの後のお前、様子が可笑しかったもんな。何だよ、黒井さんが可愛くて見惚れてたのなら素直にそう言えばいいのによ」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、バカを揶揄う。

 私の言葉にバカは恥ずかしそうに耳を赤くしていた。


 こういう分かりやすいところは、こいつの良いところだな。揶揄い甲斐がある。


「だ、だったら悪いかよ」


「いや、別に悪くねーよ。ま、私は学年一の美少女と噂の黒井さんだからな。お前が私の顔に見惚れるのも仕方ないことだ」


「ち、ちげーよ」


 自信満々に放った私の言葉をバカは否定した。


 違う? 私の顔に見惚れてたんじゃないのか?


「いや、まあ完全に違うわけじゃないけど……。俺は、あれだよ。黒井がイルカと心の底から楽しそうにしているところに見惚れたっていうか、お前の無邪気な笑顔にドキッとしただけだよ。別に、普段のお前見て見惚れるわけじゃないからな! 勘違いするなよ!」


 少しだけ、意外だった。

 このバカは絵に描いたような思春期の男子高校生で、割と直ぐ人に惚れる。高校一年生の頃の私に惚れた時も、「あなたの笑顔に惚れました!」とか言ってきた。

 だが、その時のこいつが惚れた笑顔は完全な作り笑顔だ。だからこそ、こいつは何も分かってないなと思い、告白を断った。


 私とこいつがこうやって関わりを持ってから、こいつの恋愛話を聞く機会が何度かあった。

 そのどれもが全てこいつの見当違いで、こいつは何も分かっていない勘違い男だと改めて認識することになった。

 だが、少なくともこいつが今日見惚れたという私の笑顔は、紛れもなく私の本心からの笑顔だ。

 それを見破ったかどうかは分からないが、そこをちゃんと見ていたところは少し意外だった。

 そして、それを褒められるのは、何というか、少し照れるというか、むず痒い気持ちになる。


「勘違いするわけないだろ。まあ、でも勘違い野郎にしては結構いいところ見てるじゃねーか」


 胸の中に芽生えた変な感情を振り払うように、いつも通り余裕の笑みを浮かべておく。


「そりゃ、どうも」


 私の言葉を聞いたバカはため息を一つついた。

 この様子だと私が少し照れていることはバレていないようだ。そのことにホッと胸を撫でおろした。


 暫くの間、沈黙が続いた。

 別に気まずくなったわけではないが、私は何となくこのバカに聞きたいと思っていたことを聞くことにした。


「今日さ」


「うん?」


「今日、何で来てくれたんだ?」


 そう聞くと、バカは馬鹿を見るような目を私に向けてきた。


「そんなもん、お前が行こうって誘ってくれたからじゃねーか」


 それはそうだ。

 そうなのだが、別にこいつは来なくてもよかったんだ。


「あー……。何ていうかさ、私って口悪いだろ?」


「お、そうだな」


「即答かよ」


「まあ、事実だしな」


 そう言うバカに少しだけイラッとする。


「そういうところだぞ。そういうところが女にモテない要因だからな」


「な!?」


 唖然としているバカを無視して話を続ける。


「まあ、私は口悪いからさ、距離置かれても仕方ないって思うんだよな。ほら、私をあれだけ好きって言ってた金満先輩も私の本性を知った途端、あれだったろ?」


 そう言うと、バカは遠い目をしながら「そんなこともあったなぁ」と呟いた。

 

 私は個人的に金満先輩の反応の方が正常だと思っている。人はやっぱり、薄暗いものを嫌う傾向になる。

 闇に隠れているものは光に晒すべき。それが良くないことであれば、叩くべし。

 本人が闇に隠しているってことは、それが知られたくないことだからだ。

 それを闇の中に隠した方が、自分にも他人にも利益があると思っているからだ。

 だが、この社会は裏を作ることを歓迎しない。


 だからこそ、意外なのだ。

 聖女と言われていた美少女の裏が、それとは遥かにかけ離れたもので、失望して私に嫌悪感を抱くはずのこの男が、何故未だに私に付き合ってくれるのか。


「んー。まあ、そりゃ黒井といるのが楽しいからだろ」


 何でもないようにバカはそう言った。だが、その解答は到底私の納得できるようなものでは無かった。

 ただ、その解答はバカらしいと言えば、バカらしいものであった。


「はあ……。やっぱりバカはバカだな。お前に聞いた私が馬鹿だったわ」


「何でだよ? 楽しいから以外にあるのかよ。あ、じゃあ、あれだ。黒井が可愛いから。やっぱ美少女と同じ空間にいれるってだけで楽しいもんだよな」


「はぁぁぁ……。もう、それ以上バカを晒すのは止めとけ」


「ええ!? そこまで言われるか!?」


 私がため息をついた理由が分からないと言った様子でバカが首を傾げている。


 残念ながらこいつがモテない理由がよく分かった。

 正直なのはいいことだが、女の子に「どうして私と一緒にいてくれるの?」と聞かれた時に、「君が美少女だから」と答えるラブコメ漫画の主人公がどこにいるのだろうか。


 顔がそこまで冴えないんだから、せめて話す言葉や性格はイケメンであれよ。


「そういえば、俺も一つお前に聞きたいことがあったんだよな」


 バカにジト目を向けていると、バカがポンと手を叩いた。


「何だよ? 私の好みの男とかか?」


「まあ、それも興味はあるが別だ」


 冗談っぽく言ったつもりだったが、思いのほかバカの表情は真剣だった。


「じゃあ、何だよ?」


「何で黒井はそっちの素の方を隠そうとしているんだ?」


 私が黙っていると、バカが続けて喋り出す。


「何か意外だったんだよな。お前の素の方って、割とさっぱりしてるイメージだからさ。わざわざ周りの人にいい顔して、人に好かれるようとする必要あるのかなと思ってさ」


 やっぱり、今日のこいつはよく見えている。

 バカらしくないそいつの姿に内心で舌打ちをする。だが、すぐに思い直す。

 それに気付いても、賢い奴は気を遣って聞いてこない。

 そこで素直に聞いてくるところがバカがバカたる所以だろうと。

 

「…………ま、私も普通の高校生ってことだよ。その辺の人と変わらない。ただ、人に好かれたかった。それ以上でも、それ以下でもねーよ」


 嘘はついていない。


 私の言葉にバカは一先ず納得したようだった。


 そう、人に好かれたかった。それだけ。私も横にいるこのバカと何も変わらない。

 過去に思いを馳せ、目を閉じる。

 終わった過去を掘り起こしても何もいいことなどない。


 窓の外に目を向けると、雲行きが怪しくなってきていた。


 そういえば、夜から雨が降るという予報だった。生憎、傘も持ってきていないし、そろそろ帰ることにしよう。


「おい。雨も降りそうだし、そろそろ帰ろう――」


「あれ? もしかして、雪穂ちゃん?」


 バカに声をかけ、帰ろうとした時、不意に背後から誰かに名前を呼ばれる。

 聞いた人を癒す、穏やかで透き通るような声。忘れたくても忘れられない声だった。


 まさか、そんなはずがない。

 だって、この日は地元の人は来ないはず……。


 周りの音が小さくなっていく。それと供に心臓の鼓動が早くなり、その音がどんどん大きくなっていく。

 恐る恐るゆっくりと振り向く。

 嫌な予感というものは本当によく当たる。


「……し、白雪……」


 私が視線を向けた先、そこには、お手本のような綺麗な笑顔を浮かべる、忘れたくても一生忘れることの出来ない女がいた。


「やっぱり! 中学の卒業式以来だよね! 久しぶり、雪穂ちゃん!」


 そして、その女がいるということは、私が振り払い、逃げ切ったはずの過去が、もう直ぐそこまで迫って来ているということに他ならなかった。

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