第33話 黒井雪穂②
「やっぱり雪穂ちゃんだ! 中学の卒業式以来だよね。懐かしいなぁ」
白雪。
黒井がそう呼んだ女性は笑顔でこちらに歩み寄って来る。サラサラとした艶やかな黒髪を揺らしながら歩く姿は優美で品があった。
「こんにちは! 私、白雪黒亜って言います。あなたは、雪穂ちゃんの彼氏さん?」
「あ、いや……その、彼氏とかではないです」
笑顔を向けられて思わずきょどる。
そもそも黒井の聖女モードの笑顔に惚れるくらい俺はチョロい男だ。こんな美少女に微笑みかけられて緊張しないはずがない。
「敬語じゃなくていいよ。同学年なんだから」
天使かと思った。
初対面できょどっている男にここまで優しくしてくれる人がいるのだろうか?
あ、いや、聖女モードの黒井もこんな感じだったわ。
「わ、分かった」
「うん」
すっかり白雪さんの雰囲気にほだされてしまった俺とは対照的に、黒井は警戒心向きだしにしていた。
「……な、何でここにいる? お前一人か?」
「お、おい。黒井、久しぶりの再会なのにその態度は失礼じゃないのか?」
「うるせえ。てめえは黙ってろ」
黒井の言い方に少しだけムッとする。
確かに俺は黒井と白雪さんの関係性を知らない部外者だが、これでも黒井とそれなりの関係性を築いているつもりだったんだけどな。
「何でって、私たちはデートだよ。雪穂ちゃんの幼馴染の陽翔君と一緒にね」
陽翔。その名前が出た途端に黒井の表情が悲痛に歪む。
そして、その場にその陽翔と思しき男の子がやって来た。
「黒亜ちゃん、お待たせ。誰と話してるの?」
その男の子は優しそうな顔つきをした男の子だった。雰囲気はどこにでもいるような男の子なのに、よく見ると顔は整っていた。
「……ぁ。は、陽翔……」
ポツリと黒井が声を漏らす。
その声が聞こえたのか、陽翔という男の子がこちらに視線を向ける。そして、優しそうな顔から一転して、険しい顔つきになり黒井を睨みつけた。
「雪穂ちゃん? 何で、君がここに? まさか、また黒亜ちゃんに何かしようとしていたの?」
「ち、ちが……」
「は、陽翔君! その言い方はいくら何でも……」
睨みつけられて、あからさまに怯える黒井の言葉を白雪さんが遮る。
だが、俺には、まるで黒井が白雪さんに危害を加えるような人間であることを決めつけているような言い方が気になった。
そのことを聞くか迷っていると、白雪が黒井に顔を向け口を開く。
「雪穂ちゃん。私はあの頃のこと、もう気にしてないからね。そ、それじゃあ私たちはもう行くね」
そう言うと白雪さんは陽翔君と黒井の表情を見比べて気まずいと感じたのか、陽翔君の腕を引き、立ち去ろうとする。
「……雪穂ちゃん。僕はまだ君が黒亜ちゃんにしたことを許していないから」
最後に、陽翔君は黒井を睨みつけてそう言った。
「……ぁ」
陽翔君の敵意に満ちた視線をぶつけられた黒井は、結局最後まで何も言い返すことが出来ないまま悲痛な表情を浮かべて視線を下げた。
***
帰り道、俺と黒井の間に会話は殆ど無かった。今までに見たことも無い黒井の寂しげな表情を前にして、俺自身何を話していいのか分からなかった。
そのまま、気付けば黒井が暮らすアパートの近くまで着いた。
「じゃあな」
「ちょっと待ってくれ」
アパートの中に入ろうとする黒井を思い切って呼び止める。
「白雪さんたちと黒井の間に何があったんだ?」
黒井は俺に背を向けていて、その表情は分からない。
放っておくべきなのかもしれない。だが、気になってしまった。
頭から、初めて見る黒井雪穂の青ざめた表情が、悲し気に揺れる瞳が離れなかった。
「……お前には関係ない」
少し震えた声で黒井はそう言った。
「そ、そりゃ、確かに関係ないかもしれないけど、何か力になれるかもしれないだろ?」
「ない」
「で、でも一人で抱え込むよりかはましだろ!」
「ない!!」
はっきりと俺を拒絶する叫びだった。
「……もう二度と私に関わるな。次にここに来たら、お前にセクハラされたってクラスの奴らに言いふらす」
そう言い残して、黒井はアパートの中に姿を消した。
ポツリ、と水滴が頬に当たった。
「雨……?」
空を見上げると、また顔に雫が落ちてくる。
やがて、少しづつ落ちてくる雫が数を増していく。
黒井のいる部屋に顔を上げる。部屋に灯りはついていない。
「……訳分かんねえよ」
俺の呟きは強まる雨音に飲み込まれていった。
***
黒井に拒絶をされた日から一週間が経過した。
あの日、家に帰ってから黒井にメールを送った。だが、黒井から来た返信は『もうメールも送って来るな』というものだった。
今日も何もする気になれず、ボーッとベッドに寝転がる。夏休みの初めの頃はあれほど楽しかったアプリゲームも全然楽しくない。
気付けば、漠然と黒井のことを考えていた。
訳が分からない。
何故、急に突き放すようなことをしてくるのだろうか?
関係があるとするなら、やはり水族館で出会った白雪さんたちのことだろう。だけど、あの出会いが俺を突き放すこととどうして繋がる?
何も分からない。
こういう時、黒井にバカだと言われるくらい低能な自分の頭が恨めしい。
結局、今日も何も出来ないまま午前中が終わってしまった。
今日、両親は用事があるということで家には俺しかいない。昼ご飯を食べるために、重い身体を起こす。その時だった。
ピロン。
スマホの通知音が鳴る。黒井からの連絡かもしれないと思い、慌ててスマホを手に取る。
メッセージの送り主は予想外の人物からだった。
***
メッセージを受け取った後、俺は昼ご飯を食べてから出かける準備を整え、駅前に向かった。
少し緊張しながら、駅前で待つこと数分。俺を呼び出した人物がやって来た。
つり目に明るい髪。夏休み前に比べて少しだけ短くなった明るい茶髪。思えば、こうしてちゃんと向かい合うのはあの屋上での告白以来だった。
「お待たせ。急に呼び出して悪いね」
デニムパンツとTシャツ姿の宮本朱莉は、そう言って微笑んだ。
宮本朱莉。
俺の親友である秀山優斗の彼女にして、俺が高校二年生の期末試験の時に告白した相手である。
結果は言うまでもないだろう。
思えば、あの時からだった。黒井雪穂との関係性が始まったのは。
そう考えると、黒井雪穂との関係性が終わった今、また宮本さんと出会うことになるということに奇妙な繋がりを感じてしまう。
「急だったのに、わざわざ来てくれてありがとね」
宮本さんと駅前で合流した後、俺たちは街で一番大きなショッピングセンターに来ていた。
「いや、いいよ。暇だったし。それで、優斗にプレゼント買うんだっけ?」
俺の言葉に宮本さんが静かに頷く。
宮本さんが俺を呼び出した理由。それは、もう直ぐ誕生日の秀山にプレゼントを買うためだった。
宮本さんは幼いころから幼馴染の秀山一筋で、過去に付き合った相手は勿論のこと、仲のいい男もいないらしい。
そのため、優斗にどんなプレゼントをあげればよいか男性側の意見を聞こうにも聞く相手が見つからなかったようだ。
そこで白羽の矢が当たったのが、優斗の親友であり、比較的仲の良い俺だった。
「うん。やっぱり最初に渡すプレゼントだし、優斗には絶対に喜んでほしいからさ」
「優斗のこと、本当に好きなんだな」
「う、うん」
照れながらも宮本さんは頷いた。
優斗め。分かってはいたが、宮本さんと仲良くなってるみたいじゃないか。
羨ましい。羨ましすぎる!
……まあでも、上手くいってるなら良かった。
「幸せそうならよかったよ」
「うん。でも、優斗とも話すけど、佐々木には感謝してるんだ。私も優斗も結局、あと一歩を踏み出せないままでいたから、私たちが付き合えたのは佐々木のおかげだよ」
「……そうか。ところで、優斗に渡すプレゼントは何か目星とか付けてるのか?」
「一応、優斗にそれとなく聞いたんだけど……」
宮本さんの歯切れが悪くなる。
「結構やばいものでも言われたのか?」
「いや、そうじゃないんだけど……その、本はいくらあっても困らないって言われたんだ」
「ああ……」
うん。何か、優斗らしいと言えば優斗らしい。
でも、プレゼントをあげる女心を考えると本は少し躊躇ってしまうだろう。
まあ、優斗ってどこか鈍いところあるからなぁ。
「個人的な意見だけど、優斗はそこまでファッションとか身に付けるものへの頓着が無いから、そういうものを渡すのはありだと思うぞ」
「でも、そういうのって好みが結構分かれるんじゃない?」
「大丈夫だ。あいつは宮本さんのこと大好きだからな。宮本さんが選んだっていえば、喜んで身に付ける」
「そ、そうなんだ」
喜びを隠すことなく「えへへ」と笑う宮本さん。普段、学校ではクールに振舞っているためギャップが凄い。
ぶっちゃけ、めちゃくちゃ可愛い。
可愛いのだが、何故かその笑顔を見て俺の頭に浮かんだのは黒井雪穂の笑顔だった。
「じゃあ、ちょっとそっち系で探してみようかな」
「了解」
二人で高校生でも購入できる程度の品を多く置いているアパレルショップを回っていく。
いろいろと見て回った結果、宮本さんは紺色の長袖シャツを購入することに決めたらしい。
宮本さんがレジに並んでいる間、俺は店の傍にあるベンチに座っていた。
意外と、冷静なもんだな。
ここまでの自分を客観視して、そう思った。
宮本さんのことを好きだった。それは紛れもない事実だ。じゃなきゃ、宮本さんの為にあれだけ嫌いな勉強を頑張ることなんて出来なかった。
だけど、あれだけ好きだった宮本さんとこうして一緒にいるのに割と心は落ち着いている。
宮本さんが優斗と付き合ったからだろうか?
それとも、俺が音羽を最近まで好きだったから?
どちらも正解であり、不正解だろう。
俺が宮本さんと一緒にいるのに、やけに冷静でいられる一番の理由なんて分かりきっている。
ここにいない一人の女を思い、ため息をつく。
それから何となく、辺りを見回す。
その時、見覚えのある艶やかな黒髪が目に入った。
優美で品のある歩き方。見る人を虜にする柔らかな笑み。
気付けば、俺は宮本さんを待っているということも忘れて走り出していた。
あの日、黒井と決別した理由は分からない。
なら、その理由を探るしかない。そのためには知る必要がある。
黒井雪穂のことを。
俺の知らなかった中学時代の黒井雪穂のことを、俺は知りたい。
「白雪さん!」
近くにより、声をかけると白雪さんがこちらに視線を向ける。その隣には、あの日水族館にいた陽翔君の姿もあった。
「あなたは……確か、雪穂ちゃんと一緒にいた人?」
「黒井と二人の間に何があったのか、教えてくれ」
金満先輩は黒井の本来の姿を知って、離れていった。
だけど、俺は黒井が認める粘着質野郎だ。簡単に離れてやるつもりはない。
少なくとも俺の知らない黒井雪穂を知ったうえで、もう一度黒井雪穂と話すまでは。
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