第35話 黒井雪穂④

「私はいじめられるようになった。そのいじめの主犯は雪穂ちゃんだった」


 店内のBGMがやけに大きく聞こえる。

 黒井と白雪さんたちが抱える因縁は俺が考えているより遥かに大きく、重いものだった。


 一度、息を吸う。

 そして、「そんなわけがない」、そう言おうとして、口を閉じた。果たして俺はそれを言えるほど黒井のことを理解しているのか。


「……それは、本当なのか?」


 結局、口から出たのはありきたりな確認の言葉だった。

 俺の言葉に白雪さんがコクリと頷く。

 白雪さんはそれから、ミルクティーに視線を落として、おもむろに口を開く。


「信じられないよね。私もね、そうだった」


 「そうだった」

 つまり、白雪さんでさえ、黒井がいじめの主犯だと確信するだけの証拠があった、ということだろう。

 生唾を飲みこみ、白雪さんの次の言葉を待つ。


「私に対するいじめはね、小さな嫌がらせが大半だった。教科書やノートが隠される。下駄箱にゴミや手紙が入れられる。手紙には私への誹謗中傷の言葉と、『陽翔君から離れろ』ってことが必ず書かれていた。雪穂ちゃんも陽翔君も怒ってた。こんなことをする人、絶対に許さないって」


「なら、何で黒井が犯人だって分かったんだよ」


 そこで、白雪さんは顔を上げて俺の目を真っすぐ見つめる。


「もし、隠されたノートや教科書が誰かの鞄から一斉に出てきたらどう思う?」


 どう思うも何も、そんなのそいつが犯人に疑われるに決まっている。


「……まさか」


「そのまさかだよ。雪穂ちゃんの鞄からそれが出てきた。出てきてしまった」


 白雪さんは感情を必死にこらえているのか、声が少し震えていた。

 

「で、でも、誰かが黒井の鞄に入れたとかじゃないのか? それこそ、黒井を貶めるために」


 気付けば、俺は身体を乗り出していた。

 まさか、黒井がそんなことをするはずがない。黒井ではないという確信が得られる証拠を欲していた。


「雪穂ちゃんのポケットから一通の手紙が出てきた」


 そんな俺の淡い期待を打ち砕くように、白雪さんはそう言った。

 いや、そもそもこの話は既に終わっているのだ。俺が今更どうこう言おうが、結論は出ている。


「その手紙は、私の下駄箱に入れられ続けていた手紙と同じ。私への中傷と、『陽翔君の傍からいなくなれ』の言葉が書かれていた。筆跡まで同じだった」


 淡々と白雪さんは告げる。

 俺にも、そして自分にも言い聞かせるように。


「それからはあっという間に話が進んでいった。否定する雪穂ちゃんを糾弾するように、クラスメイトから雪穂ちゃんが私の下駄箱の前で何かしているのを見ただとか、放課後に私の机から教科書を抜き取るところを見たっていう声がどんどん上がった。そして、そのまま雪穂ちゃんが犯人になった」


 下唇を噛み締める。

 確かに、そこまで証拠が揃っていれば黒井を犯人だと断定してしまう。


「陽翔君は怒っていた。誰よりも怒っていた。『何故そんなことをしたんだ』そう言って、雪穂ちゃんに詰め寄っていた。雪穂ちゃんは顔を青ざめて、『違う』って最後まで否定してた。この事件がきっかけで、雪穂ちゃんと私たちの間には大きな亀裂が出来た。雪穂ちゃんはクラスメイトからも白い目で見られて、卒業までの残りの時間を一人で過ごしてた。そして、卒業と同時に雪穂ちゃんは私たちの地元から去っていった。それを知った中学の同級生は、「やっぱり後ろめたいことがあったから、逃げたんだ」そう言っていた」


 白雪さんの話が終わった後、その場には静寂が広がっていた。

 俺自身、何を言えばいいのか分からなかった。


「ショック……だよね。私もそうだった。本当はね、今でも雪穂ちゃんじゃないんじゃないかって思う自分もいるんだ。だって、おかしいよ。雪穂ちゃんが、あの雪穂ちゃんが私をいじめてまで陽翔君から引き離そうなんて……おかしいよ」


 そう言う白雪さんの目には涙が浮かび上がっていた。

 「ごめんね」そう言って、白雪さんはハンカチを取り出し、涙を拭く。


「でも、きっと雪穂ちゃんなんだよね。ただ、ちゃんと話をすればよかったなって思うんだ。雪穂ちゃんが犯人だったとしても、何でそんなことしたのかちゃんと聞いておけば良かったなって。……これで私たちの話はお終い」


 それっきり、白雪さんは中学時代の話をしようとはしなかった。

 寧ろ、暗くなった雰囲気を変えようと俺に高校生活について聞いて来た。

 雪穂ちゃんとどうやって知り合ったのか、雪穂ちゃんは元気そうか、雪穂ちゃんは笑顔でいられているか。

 俺がその問いに答えて、黒井の話をするたびに、彼女は「雪穂ちゃんらしいね」と言って、嬉しそうに微笑んだ。そして、時折悲しそうに視線を下げた。



***



「それじゃ、私はもう行くね」


 少しだけ空に浮かぶ雲が色づき始めた頃、駅前で白雪さんが俺に手を振る。


「ああ。あの、今日はありがとう。辛い話だったと思うけど、わざわざ話してくれて……」


「気にしないで。……ねえ、佐々木君は雪穂ちゃんのこと好き?」


「え!? あ、いや、それは……」


 言いよどむ俺の姿を見て、白雪さんはクスッ小さく笑った後、俺に背を向け、空を見上げた。


「私はね、好きだよ」


「中学時代のことがあったのにか?」


「あったとしても、雪穂ちゃんがいたから私の中学最後の一年は楽しい思い出でいっぱいになった。雪穂ちゃんが背中を押してくれたから、私は今、陽翔君の隣で笑えてる」


 そこまで言ったところで、白雪さんは振り返り、こちらに顔を向ける。


「佐々木君。雪穂ちゃんのこと、お願いね」


 それだけ言い残して、白雪さんは駅の中へと姿を消していった。



***



 帰り道、徐々にオレンジ色に変わりゆく街の中を歩きながら考える。

 黒井がいじめをした。

 状況証拠は揃っている。不自然なほどに。

 ただ、黒井が本当にしたとも思えない。少なくとも、俺が知っている黒井雪穂は口は悪いが、誰かを直接傷つけるような人間ではないはずだ。


 ……分からない。何も、分からない。

 俺がもっと察しが良くて、頭もよければ、黒井の気持ちも行動の理由も全て分かるのだろうか。

 いや、仮に分かったところで俺に何が出来るのだろう。もうこの事件は終わっている。

 今更、掘り起こしたところで意味なんてない。きっと黒井だって、この過去を振り返りたいと思っていないはずだ。



 それでいいのか?


 思いだすのは黒井の怯えた表情。顔を青ざめて、今にも泣きだしそうなほど弱弱しい黒井雪穂の姿。


『見るべきはミステリーサークルの出来じゃねーよ』


 アマミホシゾラフグの水槽を見て、黒井はそう言った。

 それは、他でもないあいつ自身が、外側じゃないところを見て欲しかったからじゃないのか。


 俺はバカだから、黒井が何を考えているのか、どんな気持ちで今過ごしているのかが分からない。

 黒井が何で俺を突き放したのかも分からない。


 でも、自分の気持ちくらいは分かる。


 ポケットからスマホを取り出し、黒井にメッセージを送る。

『白雪さんから、黒井の話を聞いた。二人で話がしたい。三日後の花火大会の日、午後六時にバスケをしたあの公園で待っている』

 送信できたことを確認してから、スマホをポケットの中にしまう。


「似合わねーよな」


 ポツリと夕陽を見ながら呟いた。

 黒井雪穂に弱弱しい姿も怯えた表情も似合わない。黒井雪穂は、子供みたいに無邪気に笑っている姿の方が何千何万倍も可愛い。


 そして、俺はそんな無邪気な黒井雪穂の姿に、とっくの前から心惹かれていた。

 

 だから、ちゃんと話をしよう。

 黒井雪穂の思いをちゃんと聞いて、俺が見てきた黒井雪穂のことを信じよう。それだけはバカな俺にも出来るはずだから。


 大きな夕陽が沈んでいく。耳を澄ませば蝉の鳴き声が聞こえる。

 まだ、夏の終わりには早すぎる。

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