第36話 私の好きな人(黒井視点)

 好きな人がいた。

 物心の付いたころから一緒にいた私の幼馴染、夏木陽翔はるとだ。

 最初の出会いが何だったかはもう思いだせない。だが、私が幼馴染の陽翔の傍にいようと決めたきっかけは今でも鮮明に思いだせる。

 ある日、幼稚園で陽翔は泣いていた。

 大切なものをいじわるな男友達に奪われたか何だかだった気がする。当時の私は幼稚園内でも力が強い方で血気盛んだった。

 だから、幼馴染のよしみで泣いている陽翔を泣き止ますために大切なものを取り返してあげた。


『ん! 取り返してきてやったから、もう泣くなよ』


『あ、ありがとう。雪穂ちゃん』


『まったく。陽翔には私がついてねーとダメだな。まあ、私は超絶可愛い雪穂ちゃんだからな、陽翔のお世話くらいしてやるよ』


『うん!』


 私に向ける陽翔の尊敬の眼差しと無邪気な笑顔が好きだった。

 だから、小学校でも中学校でも陽翔に頼られる存在としてふるまい続けた。やがて、泣き虫な少年だった陽翔は成長し、気付けば私の身長よりも背が高くなっていた。


『む……。私を見下ろすなんて、陽翔の癖に生意気だ!』


『ははは。でも、僕がここまで成長できたのは雪穂ちゃんのおかげだよ』


 いつもと同じ二人で歩く帰り道。そこで見せた陽翔の笑顔に私の心臓はトクンと高鳴った。

 その時は気のせいだと思っていた。

 だけど、すっかり男らしくなった陽翔の姿に私は徐々に心惹かれ始めていた。


 陽翔はイケメンだった。

 中学二年生になる頃には、周りの女子たちからもそれなりに人気が出始めていた。

 告白も何度かされたと聞いたが、全て断ったと陽翔は言っていた。


 それを聞いて、私は陽翔も私のことが好きなんじゃないかと思っていた。

 事実、陽翔は私といつも登下校を供にしていたし、私が休日に遊びに誘うとほぼ必ず付いてきてくれていた。

 互いの部屋を行き来する仲だった。何なら、恋人を通り越して家族の仲といってもいいくらいだった。


 仕方のない奴め。陽翔が告白してくるというなら、私だって付き合ってやらんこともない。


 そんなことを考えて、調子に乗っていた。

 だが、それは勘違いだった。それに気づいたのは中学三年生になってからだった。


『白雪黒亜です。よろしくお願いします』


 中学三年生の始業式の日、私たちのクラスにとてつもない美少女転校生がやって来た。

 この私でさえ唸るほどの美少女だった。

 だが、その美少女に声をかける勇者は中々現れなかった。その転校生が美少女過ぎたせいか男子たちも女子も恐れ多いと言った様子で一歩引いていた。


 そんな中、私はその転校生が女子トイレでため息をついているところを目撃した。


『……上手くやっていけるかなぁ』


 弱弱しい声だった。

 

 転校初日。新天地でうまく出来るか、と不安になるのは普通のことだ。

 鏡に映る転校生の顔が幼い頃に見た陽翔の不安げで泣きそうな時の顔に重なった。


『白雪……だっけ? 私は黒井雪穂。よろしくな』


 だから、声をかけた。


 私が声をかけたことで、クラスでも白雪に声をかける人は増えた。私は陽翔を紹介した。そこからは陽翔経由で男子もどんどん白雪に声をかけていった。

 気付けば、白雪はクラス一の人気者になっていた。

 白雪は柔らかで綺麗な笑顔を浮かべる女の子だった。

 言葉遣いも丁寧で、心優しい女の子だった。人の悪口なんてものは一切言わない。

 誰であろうと笑顔で接する。そこに打算などが感じられない清廉潔白という言葉がよく似合う。そんな素敵な女の子だった。


 口が悪くて気が強く、思ったことをズバズバ言う私とはそりが合わないかと思ったが、そんなことは無かった。

 寧ろ、これまでに出会ってきた人たちの中で一番気が合った。


 白雪の家が私と陽翔の帰り道にあるということを知り、登下校を一緒にするようになり、休日も三人で遊びに行くことが増えた。

 その時には、私は白雪のことを黒亜と、白雪も私のことを雪穂ちゃんと呼ぶようになっていた。


 そんなふうに過ごしていたある夏の日の帰り道。

 その日も三人で遊んだ後だった。

 黒亜と別れた後、陽翔が唐突に口を開いた。


『白雪さんって、可愛いよね』


『何だよやぶから棒に。惚れたか?』


 冗談のつもりだった。


『なっ。い、いや、そんなんじゃないよ』


 陽翔は分かりやすい男だった。

 陽翔の顔を赤く染めるものが夕陽ではないことは、どこからどう見ても明らかだった。


 この時、私はようやく理解した。

 ずっと私は勘違いしていたと。


『ふーん。陽翔ってああいう女が好きなんだな』


『だから、違うってば!』


 だからといって、諦められるわけがない。

 陽翔の好きな人が黒亜のような女だというなら、私だってそうなってやろうじゃないか。


 こうして、私は自分の本性を隠して取り繕うようにした。


『陽翔君。おはようございます』


『……え? 雪穂ちゃん、熱でもあるの?』


『ねえ――あ、ありませんよ。何を言っているんですか? 変な陽翔君』


『いや、一番変なのは雪穂ちゃんだと思う』


『変じゃねえよ! ……あ。おほほ。これは失礼しました。変じゃありませんよ』


『え、ええ……』


 最初の内こそ慣れなかったが、一か月も経てば慣れてくる。

 ただ、黒亜には変わった理由を見破られてしまった。おまけに黒亜は私に協力すると言い出した。

 何も分かっていない黒亜に呆れたが、純粋に私の力になろうとしてくれることは嬉しかった。


 そして、学園祭が来た。


 そこで私は黒亜に発破をかけた。

 私に遠慮するな。陽翔が好きなら、その気持ちを押し殺す必要はない。と。

 この時、確かに私たち二人は親友と呼べる仲になっていた。

 

 この選択に後悔はない。

 もし、あの時に戻ったとしても私はもう一度同じことをする。

 それだけは、今でも断言できる。


 そして、秋が終わり冬が来た。


 白雪はいじめられ、私は犯人として糾弾された。


『何で、何でこんなことをしたんだ!』


『ち、違う! 違うんだ!』


 淡い期待を抱いていた。

 陽翔なら、私を信じてくれるんじゃないか。陽翔なら、きっと私の話を聞いてくれる。


『信じていたのに……。僕は、絶対に雪穂ちゃんを許さない』


 だけど、彼の好きな人は私じゃなかった。

 私の大好きな人は、私ではなく黒亜を選んだ。


 彼の尊敬の眼差しが心地よかった。美少女だからとか、そういうのではない、無邪気な瞳で見られることがたまらなく嬉しかった。

 口が悪くて、男子だろうと平気で喧嘩するようながさつな私をありのまま受け入れてくれる彼が、大好きだった。


 私は今でも思い出す。

 彼が最後に私に向けた、失望と怒りにあふれた目を。



***



 ピロン。


 スマホの通知音が鳴り響く。

 身体を起こし、スマホを見る。

 スマホの画面にはバカからのメッセージが映っていた。画面をタップし、メッセージの全文を見る。


『白雪さんから、黒井の話を聞いた。二人で話がしたい。三日後の花火大会の日、午後六時にバスケをしたあの公園で待っている』


 スマホの電源を切り、机の上に置く。

 

 ……白雪から話を聞いたか。

 白雪は何と言ったのだろう。あのバカは、その話を聞いて私と何を話すつもりなのだろう。


「そんなの一つしかないか」


 分かっている。

 話さなくても、あのバカのことだ。きっと私を責め立てるだろう。

 金満先輩のやり方を気に入らないと言ったくせに、お前も同じことをしていたのか、と。

 あのバカは私の本性を知っている。それに、白雪は私から見ても信用に足る美少女だ。

 そんな人の話を、あっさりと人に惚れる単純バカが信じないはずがない。

 話したところで意味なんてない。



 でも、もしかしたらあいつは私を信じてくれるかも。



 甘美で魅力的な考えが脳裏をよぎる。

 頭を振って、その考えを直ぐに捨て去る。


 そんなはずがない。幼馴染で私をよく知るはずの陽翔でさえ、そうだったんだ。



 バカと陽翔は違う。



 ああ、そうだ。陽翔の方がよっぽど賢くてイケメンだ。

 だから、あのバカでも無理だ。



 本当は、信じて欲しいんじゃないのか?



 黙れ。

 いい加減にしろ。


 その私にとって都合の良い妄想の結果、何が起きた?

 これ以上、大切なものを失うのが怖い。好きな人に突き放されるのが怖い。


 その期待は間違いだ。

 その考えは勘違いだ。

 さっさと捨てて諦めろ。

 諦めれば、受ける傷は少なくなるんだから。


 甘美な魅力を叩き潰す。

 そもそも、もう遅い。私はあのバカを突き放した。

 もう二度と関わるなと言った。これでいい。これでいいんだ。


「……ポテチでも食うか」


 気を紛らわすために、ポテチとコーラを出す。

 美味い。

 今日もポテチとコーラは最高の組み合わせだ。


 なのに、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような喪失感が無くならない。

 いくらポテチを食べても、コーラを飲んでも、ゲームをしても、大切な何かが、ここには無かった。



***



 花火大会当日、私は浴衣を着て会場にいた。


「雪穂ちゃん! ほら、これりんご飴! こっちはたこ焼き! あと、これはフライドポテトね!」


「バーカ。もっと量考えなさいよ。そんないっぺんに渡したら、黒井さんが荷物持ちになっちゃうでしょうが」


「あ! いっけね!」


 私は誘ってくれたクラスメイト数人と共に、花火大会を回っていた。


「ふふっ。りんご飴だけいただきますね。ありがとうございます」


 りんご飴を手に取り舐める。

 それから、スマホの時計を見る。時刻は夜の七時。

 バカとの約束の時間は過ぎている。


 これであのバカも諦めるだろう。


「黒井さん! こっちこっち!」


 バカのことを頭から消し、クラスメイトたちの下へと私は歩いて行った。



***



 夜空を舞い散る一万を超える花火たち。

 儚くも美しいそれらが打ち終わると、後には静寂が広がっていた。


「うし。帰るかー」


 誰かが言いだして、それに続くように続々とクラスメイトたちが立ち上がり、帰り道へ歩き出す。

 周りを見ると、私たちと同様に多くの見物人が帰り始めていた。


「すいません。私はこっちなので、ここで失礼しますね」


「え? まじで? なら、送っていくよ」


「いえ、大丈夫です。それに、この後知り合いと合う用事もあるので、それでは」


 一人の男子の提案を断り、足早にその場を去る。

 知り合いに会うというのは嘘ではない。


 いや、会うというと嘘になるかもしれない。

 これは確認だ。ちゃんとあのバカは私を諦めたという確認をしに行くだけ。


 そう言い聞かせて、公園に向かう。

 慣れない浴衣で歩くのは大変だったが、十分もすれば公園には着いた。人気も少なく、灯りも殆どない。少し不気味だった。


 呼吸を整えてから公園に足を踏み入れる。


 もし、あのバカがいたらどうしよう。

 

 いや、大丈夫だ。きっとあいつはいない。そもそも、約束の時間からもう二時間たっている。

 来るかも分からない女を二時間も待つほどあいつは馬鹿ではないはずだ。

 

「黒井か?」


 だが、バカはどこまでいってもバカだ。

 それこそ、私の予想なんて遥かに覆すくらい。


「嘘だろ……」


 公園にはTシャツに短パン姿のバカがベンチに座っていた。




*********


バカ:バカだからな! お前の普通には縛られねえぜ!

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