第37話 欲しかった言葉

 花火大会当日。

 夕陽が半分以上沈み、薄暗くなってきた街には、中高生からお年寄りまで大勢の人で溢れ返り、人の波が夏祭り会場に向けて出来ていた。


 そんな中、俺は一人で公園のベンチに座っていた。

 公園の前を通る浴衣姿の人たちを横目にスマホを見る。

 三日前に黒井に送ったメッセージ。それに対する返信は来ていない。


「もう六時か」


 スマホの時計は『18:00』を示していた。

 だが、黒井は一向に現れない。


 まあ、当然だ。黒井は俺との縁を断ち切った。

 その相手に誘われたところで来るはずがない。そもそも、俺の連絡先をブロックして、メッセージも受け取れないようにしているかもしれない。


 それでも待つ。

 夜の十時になれば、高校生は補導の対象となる。だから、それまでは待つ。




***



 花火の音が鳴りやみ、辺りが静かになる。

 公園には俺以外誰もいない。結局、花火が打ち終わる八時になっても黒井は来なかった。


 流石にもう来ないか。

 半ば諦め始めた頃、足音が聞こえて来た。


 最初は、夏祭りから帰って来る人たちだと思った。

 だが、その足音の主は公園に入って来て、そして俺の方に近づいてくる。

 そして、徐々にその人の姿が明らかになる。

 普段とは髪型が違い、お団子になっているが、その端麗な顔を忘れるはずなどなかった。


「黒井か?」


「嘘だろ……」


 俺の問いかけに返ってきたのは、答えとも言えない言葉。

 だが、この状況で俺が公園にいることが信じられないと思える人間は、俺が送ったメッセージを受け取った人しかいない。


「黒井、来てくれてありがとう」


 つまり、黒井雪穂その人だ。



***



「……っ!」


「あ、待て!」


 俺がいる。それを確認した途端、黒井は背を向けて走り出す。

 黒井と話す絶好の機会を逃すわけにはいかないと、慌てて黒井を追いかける。

 浴衣を着ているせいか、黒井は走りにくそうにしており、直ぐに黒井に追いついた。


「黒井、待てって!」


 黒井の腕を掴む。

 腕を掴まれた黒井が足を止める。そして、俺の方を睨みつけてきた。


「なんでいるんだよ!」


「黒井と話がしたかったからだ」


 声を荒げる黒井に対して、真っすぐ黒井の目を見てそう言った。

 俺の目に映る黒井がたじろぐ。そして、観念したように大人しくなった。


「……分かった。話すればいいんだろ」


「なら、立ち話もなんだしあそこのベンチに座って待っててくれ」


「お前は?」


「のど渇いたろ。飲み物買ってくる」


 黒井の首筋には汗がにじんでいた。

 息も少し切れている。それに、一人でベンチに座っている間に心の整理もできるだろう。

 黒井を置いて、近くの自動販売機まで歩いて行く。缶のコーラを二つ購入して、少しゆっくりめに黒井のもとへ戻った。


 黒井はベンチの上に礼儀正しくちょこんと座っていた。


「ほい」


 黒井にコーラを渡す。

 黒井は「ありがと」と呟いて、コーラを手元に置いた。


「おいおい。お前、本当に黒井か?」


 俺の知っている黒井なら、「おう。気が利くな」と言って、直ぐにコーラをぐびぐびと飲むはずだ。

 だが、今の黒井は借りてきた猫のようだ。


「ああ。それ以外ないだろ」


 今もそうだ。俺を睨みつけようともしなければ、俺の方に顔も向けない。

 視線を下げ、静かにしていた。


 黒井の様子に違和感を感じつつも、俺の目的を果たすために本題を切り出すことにした。


「話、聞いたぞ」


 黒井は何も答えない。

 だが、何の話を聞いたのかは恐らく理解しているのだろう。


「まあ、驚いたよ。白雪さんが嘘をついているようには思えなかったから、尚更な」


 チラリと黒井に視線を向ける。

 すると、黒井は深く息を吐いてから顔を上げる。


「はっ。それで、お前のしたい話ってそれだけか? それとも、可愛い白雪の味方になるべく、悪者の私でもこらしめにきたのか?」


 言葉の割には黒井の声は弱弱しく、その手はコーラの缶を強く握りしめていた。


「違う」


 強く、はっきりと言い切る。

 黒井の肩が少し跳ねた。


「確かに、俺は直ぐに人に惚れるチョロい男だ。だからってな、黒井に早々に見切りつけて白雪さんの言うこと鵜呑みにするほど、軽薄な男でもねーよ」


 苦虫を噛み潰したような顔で黒井が俯く。

 本当に、調子が狂う。


「聞かせてくれよ。何があったのか、お前はどういう気持ちなのか」


 俺の言葉に黒井が初めて俺の方に視線を向けた。


「俺はバカだから、何も分からないんだよ。だから、ちゃんと黒井の口から聞かせてくれ」


 黒井に向けてはっきりと告げる。

 黒井は口を開けかけて、閉じる。

 少し遠くから人の話し声が聞こえる。夏祭り帰りの人たちだろう。

 その声が遠ざかって、その場に静寂が訪れる。それから、おもむろに黒井は口を開いた。


「……私は、白雪をいじめていない」


 その声は震えていた。

 そして、それを言ってから黒井は再び口を閉じる。


「そうか」


 自分でも驚くほど優しくて、落ち着いた声が出た。


「疑わないのか……?」


「まあ、疑われても仕方ないかもな。口は悪い、愚痴は言う、俺の扱いは雑」


 思い当たる節があるのか、黒井は気まずそうに視線を逸らす。

 自分でも思うなら直して欲しいけどな。特に俺の扱い。


「でも、悪い奴じゃない。俺の頑張りを応援してくれた。金満先輩のやり方に怒っていた。村田が保健室に連れていかれた時は、黒井は悪くないのにわざわざ村田に謝りにまでいった」


 そうだ。黒井がただ口が悪くて、人の愚痴だけを延々と言う奴だったら、俺はこいつからとっとと距離を置いている。


「そういう奴だから、一緒にいたいと思ったんだ。愚痴に付き合えって言われても、付き合ってきたんだ。半年にも満たない関係性だけどさ、それだけあれば、黒井を信じるには十分すぎるだろ。俺は、黒井を信じるよ」


 結局のところ、俺は黒井雪穂という人間を好きになったのだ。

 だから、黒井を信じる。信じたい。

 疑わない理由なんて、それだけだ。


 唖然としている黒井を見る。

 その目の端からは一筋の雫が零れ落ちた。



***<side 黒井雪穂>***



 たかが半年にも満たない関係で何を言っているんだ。

 それが最初に思ったことだった。


 相変わらずバカだ。

 たかが半年で私を分かった気でいる。

 調子にのった勘違い男がラブコメの主人公が如く、私を慰めた気になっている。


 私の胸中にはバカに対する呆れがあった。

 だけど、そんなものを遥かに超えるほどの喜びが胸の奥からとめどなく溢れ出てくる。

 その思いは涙となり、私の目から零れ落ちる。


「え? く、黒井!? な、何で泣いてんだ!?」


「うるせえ……。あっち向いてろバカ」


 バカに背中を向けさせて、バカの背中に額を当てて縋る。


「く、黒井!?」


 バカが私の名前を呼ぶ。だけど、そんなことはどうでもいい。


「……信じてくれると思ってた。だけど、信じてくれなかった」


 それはこのバカではない誰かに向けた言葉。


「私じゃない……っ。私じゃ、無かったんだ」


 それはあの時、誰にも届かなかった言葉。


「選ばれなくてもいい……っ」


 好きな人がいた。


「付き合えなくても、受け入れる……」


 結ばれたかった。

 でも、結ばれないと分かっていった。


「だから、せめて……お前だけは、幼馴染のお前だけは――」


 いじめがあった。

 犯人扱いされた。誰もが、私の犯人を疑わなかった。

 欲しい言葉は一つだけだった。


 ――信じてよ。


 バカの服の裾を握る。


「俺は、黒井を信じるよ」


 バカがはっきりと力強く言う。


 欲しい言葉をくれたのは、好きな人じゃない。

 長年付き添ってきた人でもない。

 イケメンでもない。

 バカで、惚れやすくて、直ぐに勘違いするチョロい男。


 だけど、嬉しかった。


 好きな人に信じてもらえなくて、未練がましく好きな人のタイプだった仮面を被り続けてきた。

 私が、白雪のような女の子だったら陽翔も信じてくれたんじゃないか、なんて意味のない妄想をして、生きていた。


 でも、そうじゃない。

 ちゃんといるんだ。

 私が私らしく振舞っても信じてくれるバカが、少なくともここに一人。


「バカ……。ありがとう」


「お、おう」


 バカの声は上ずっていた。

 大方、突然女の子が背中に縋って来て緊張しているとかそんなところだろう。

 本当に、格好のつかない男だ。


 だけど、本当の私を受け止めて信じてくれる最高のバカだ。


***<side end>***

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