第38話 お泊まり

「ぷはーっ! ……美味い」


 俺が渡したコーラを美味しそうに飲む黒井。

 信じられるか?

 こいつ、さっきまで俺の背中に寄りかかって泣いてたんだぜ?


 正直、黒井が泣きだした時はびっくりしたが、今の黒井の笑顔を見る限り黒井自身も何かが吹っ切れたのだろう。


「元気は出たっぽいな」


「まあな」


「それじゃ、話の続きしてもいいか?」


「勿論、と言いたいところなんだけどな、時間が時間だ。それに私もちょっと着替えたいし、場所を変えよう」


 黒井の言う通り、いつの間にかもう直ぐ九時になろうとしていた。

 ベンチから立ち上がる黒井に続いて、俺も立ち上がる。


「場所を変えるって、どこにするんだ?」


「んー、私の家」


 まあ、こんな時間に安心して話すことが出来る場所としては妥当だろう。

 とはいえ、夜に女の子が男を家に誘い込むというのはどうなんだろうか?


「なあ、黒井。もう夜だし、何だったら話の続きは明日とかでもいいぞ?」


「……何だよ。私の家に来るの嫌なのかよ?」


 黒井が不満げに唇を尖らせる。

 それを見て、俺は慌てて手を振った。


「いやいや、そう言うことじゃなくて、もう夜だし……。それに、十時になったら高校生は補導される。話が長くなると俺の帰りに影響するかもだし……」


「泊ればいいじゃねーか」


「……え?」


 余りに平然と言う黒井に、思わず聞き返す。


「だから、泊ればいいじゃねーか。それとも何だよ、私と泊ったら私のことを襲うとでもいうのかよ?」


「いやいや! そんなことはしないけど……」


「なら、いいじゃねーか。ほら、さっさと行くぞ」


「いや、だけどな……」


「ごちゃごちゃ言うな。お前に泣かされたって噂流すぞ」


「お、横暴すぎる……」


 結局、黒井の言葉に押し切られる形で俺は黒井の家に泊まることとなった。

 厄介なのは、黒井の提案を嬉しいと思う自分と、黒井が俺のことを好きになったんじゃないかと勘違いする自分がいることだった。


 泊るならせめて着替えを用意させて欲しい。

 黒井にそう告げたところ、黒井は俺の家に行くと言い出した。流石に家族に突然女の子の家に泊まるとは言えないと思った俺は、来なくていいと言ったのだが、「今は一人になりたくない」と黒井に言われてしまえば断ることなど出来ない。

 黒井を一人で家の前に残すわけに行かず、結局玄関で黒井を待たせることにした。


 黒井の姿を見た両親は口をあんぐりと開けて呆然としていた。

 いろいろと勘繰られたが、黒井がクラスメイト数人で集まってお泊り会をするんだと言ったおかげで何とか納得してもらえた。

 それでも、最後まで疑いの目を向けられていたが。


「あんた、お泊り会があるなら早めに言いなさいよ! あー、もう! せめてこれ持っていきなさい! 一緒に過ごす友達に失礼のないようにね」


 そう言って母親は俺にポテチを二袋渡してきた。うすしお味とのりしお味だった。



***



「じゃあ、シャワー浴びてくるからちょっとのんびりしといてくれ」


 家に着くなり、黒井はそう言ってお風呂場に行った。

 その間、俺はリビングでテレビを点けて心を殺していた。


 これはただの話をするためのお泊り。

 黒井にいやらしい考えはない。

 静まれ。己の中に眠る獣よ、今日だけは目覚めてくれるな。


 暫くしてから、扉が開く音がした。


「ふう。悪い、待たせた」


 そう言って、黒井がドライヤーを持ってやって来る。

 Tシャツに短パン姿という露出が自然と多くなる格好に加え、風呂上がりで頬が少し上気しているところを見ると、自然と心臓が鼓動を早くする。


「あー、ちょっとドライヤーで髪乾かすから、その間シャワー浴びて来いよ」


「は、はあ!?」


 思わず大きな声を上げると、黒井の肩がビクッと跳ねる。


「いや、流石にシャワーくらい浴びろよ。私の家で汚いまま居座られたくないし……」


「お、おう。そうか。そ、そうだよな……」


 黒井が入った後の風呂に行けと言われたようで、無駄に身構えてしまったが、そういうことじゃないらしい。

 いや、そもそも俺が意識しすぎなんだ。

 そう。これはただのお泊り。友人の家に泊まりに行くことを同じ。


「じゃあ、ちょっと借ります」


「何で敬語? まあ、いいけど」


 さっさと行けというように手を振る、黒井に背を向けて着替えを持って風呂場に向かう。

 緊張しつつも、服を脱いで浴室に入りシャワーを出す。


 心を殺すために水温を下げて、冷水を浴びる。

 そして、水の冷たさを感じなくなるまで浴び続ける。暫くすれば、理性の塊と化した俺が生まれた。

 ふう。

 あがるか。


 シャワーの水を止めて、お風呂から上がろうとした時、ある重大な事実に気付いた。


 タオルが……ないっ!!


 仕方ない、黒井を呼ぶか。

 そう思った瞬間、脱衣所に続く扉が開く。


「おい、タオル持ってきたから置いとく……ぞ」


 扉の先にいたのはタオルを持った黒井。その視線の先には穢れなき生まれた姿の俺。

 口を開けて呆然としていた黒井の顔が赤くなったかと思えば、目の前にタオルが投げ込まれた。


「――っ! へ、変態!」


 それだけ言い残して黒井は扉を強く締めた。


 いや、それ多分俺のセリフ……。


 ため息を吐きながら投げつけられたタオルで身体を拭く。

 よくラブコメとかで裸見られて悲鳴を上げる女の子いるけど、本当に驚いた時って声も出ないんだな……。

 しみじみとそう思いながら服を着て、黒井の待つ部屋に向かった。



 黒井は椅子に座って、俺の母さんからのお土産であるポテチの袋を開けていた。

 部屋に入って来た俺にチラリと視線を向ける。さっきの光景を思い出したのか頬をほのかに赤くしていた。


「風呂ありがとな」


「ん」


 短く返事を返すと、黒井は俺から気まずそうに視線を逸らす。

 そして、舌打ちを一つしてから口を開いた。


「……さっきは悪い。変態は言い過ぎだった」


 思わぬ黒井の一言に口をあんぐりと開けて固まる。


 嘘だろ? あの黒井が俺に謝っただと?

 いや、別に黒井が自分の非を認めない奴だとは思っていないが、さっきのは事故みたいなところもある。

 そもそも黒井自身も見たくもない俺の裸を見て気分を害していただろう。そんな中、黒井が自ら謝罪するとは思わなかった。

 

「何だよ、その顔は」


「いや、べつに。ただ、少し意外でな」


「流石に、変態は言い過ぎだと思っただけだ。さ、佐々木は何も悪いことしてないし」


 黒井のその言葉に再び俺は固まった。

 こいつ、今俺のこと佐々木って言ったよな?

 今まで、バカかお前呼びだったのに? 急に佐々木呼び?


「え、黒井やっぱり怒ってる?」


「なんでそうなるんだよ」


「だって急に名字で呼んでくるし、目も合さないし、どこかよそよそしいし」


「……バカって言われたら傷つくかもしれないだろ」


 黒井は恥ずかしそうにしながら、小さな声でそう言った。


「誰が?」


「佐々木」


 え? 何こいつ?

 そういうの気にするタイプだっけ?


「いやいや、別に気にしてねーよ。それよか、急に名字呼びされる方が違和感感じてしまって、むず痒い。いつも通りにしてくれ」


「なら、そうするけどよ」


 そう言うと、黒井は冷蔵庫の方に行きコーラとコップを二つ持ってきた。

 そして、コーラをコップに注ぎ、片方を俺の前に置き、もう片方を自分の前に置く。

 それから、黒井は椅子に座り真剣な眼差しを向けてきた。


「それで、お前は何が聞きたいんだ?」


「ああ。そうだな。何で黒井が犯人に疑われたかって話は白雪さんからも聞いてる。だから、白雪さんのいじめについて、黒井の口から改めて聞かせて欲しい」


「分かった」


 黒井はそう言うと、当時の状況について黒井の目から見たことを語りだした。


「いじめが始まって、私と陽翔――私の幼馴染が怒ったってことは知ってるか?」


 黒井の言葉に俺は頷く。

 それは白雪さんも言っていたことだ。


「そこで、私はいじめの主犯探しをすることにした。それと同時に白雪のロッカーに入っていた手紙を処分するようにしたんだ。他にも、白雪は気付いてなかったけど、白雪の机に書かれた落書きを消したりしたよ。まあ、いじめの妨害だな。そして、陽翔は白雪のメンタルケアをしてたっぽいな。まあ、それが仇になったわけだけどな」


「仇になった?」


「そう。いじめが始まって数週間後に、私の鞄から白雪の持ち物が出て来たって話は聞いてるよな?」


 黒井の言葉に頷く。それこそが、黒井が犯人扱いされた原因であり、俺も一番気になっていたことだ。


「結論から言えば、私は白雪の持ち物を奪ってない。恐らく、犯人がいじめの妨害をする私を貶めるために、私の見ていないうちに鞄に入れたんだろう。当時の私は、朝早くから登校して、白雪の机やロッカー、下駄箱に何かされてないか確認してたからな、貶めるのは簡単だったろうさ」


 自嘲気味に黒井は言う。

 なるほど。それなら、白雪さんから聞いた黒井のポケットから白雪さんへの悪口が書かれた紙が出てくるというのも納得だ。

 白雪さんの下駄箱から、それを回収した後ポケットに入れたままにしていたのだろう。だが、まだ謎はある。


「でも、おかしくないか?」


「何がだ?」


「だって、黒井は白雪さんのために行動してたわけだろ? なら、何でクラスメイトたちから黒井が怪しい行動をしていたって目撃証言が出てくるんだよ?」


「例えば、殺人があったとして、その殺人現場に血がべったりついたナイフを持った男がいたらどう思う?」


「いや、そんなのどう見てもそいつが犯人……。そういうことか」


「そういうことだ。私が何を思って白雪のロッカーや下駄箱を漁っていたかなんて私以外には分からない。疑わしい行動をしている奴がいた、おまけにその疑わしい奴の鞄から白雪さんの持ち物が出てきた。なら、そいつを疑うのは普通だ。ましてや、当時の私たちは中学生。自分が見たものと周りの意見だけで判断してしまうことは仕方ないことだろうよ」


「……そのまま集団心理で黒井が悪者になってしまったってことか」


「ああ。残念ながら学校は警察とは違う。現場検証やアリバイの確認なんて出来るはずもないし、時間的にも無理だ。それに、当時は受験も近くて先生方としても問題ごとは早々に解決したかったんだと思う。結果、私が犯人として処理された。運が良かったのは、白雪が私を許すと言ったことだな。おかげで大事にはならなかったよ」


 その後に苦笑いを浮かべながら「ま、冤罪だけどな」と黒井は付け加えた。

 黒井の話を聞き、俺は握りこぶしに力を入れる。


「それでいいのかよ?」


「いいも何も、蒸し返しても仕方ないだろ? もうこの事件は終わっているんだから。この事件で白雪と私っていう傷つく人が二人も出たが、それ以外は丸く収まってるんだからな」


 話は終わりだ、そう言わんばかりに黒井は椅子の背もたれに寄りかかりコーラを飲む。

 その顔は少しだけだが寂しげに見えた。


 黒井の言う通りだ。

 もう終わった話、今更蒸し返しても仕方ない。それに、今更どの面下げて黒井は白雪さんと幼馴染に会いにいけるのだろう。

 黒井たちの間に大きすぎる溝が出来ていることは、水族館での一件からもわかるじゃないか。


「ほら、辛気臭い話は終わりだ。ゲームでもしようぜ」


 椅子から立ち上がり、ゲーム機を起動しに行く黒井。

 それから、二人でゲームをしてポテチを食べてのんびり過ごした。

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