第39話 下僕

「寝るか」


 時計を見ると、もう夜の0時を回っていた。

 夜更かしは美容の天敵とも言うし、流石にもう寝るべきだろう。


「そうだな」


 黒井の言葉に同意して、俺はゲームとテレビの電源を切る。

 それから寝るために……って、俺はどこで寝るんだ?


「じゃあ、お前はその辺で適当に寝てくれ」


 どこで寝るか悩んでいる俺に、黒井はそれだけ告げてベッドにもぐりこんだ。

 その辺……。

 辺りをぐるりと見回す。

 黒井の家は1DKで、寝室を兼ねた居間とダイニングキッチンがついているかなり良い部屋だ。

 そして、今俺がいる部屋には黒井が寝るベッド以外には床に絨毯が敷いてあるだけで、他に布団があるようには見えない。

 隣のダイニングキッチンに向かうが、そこにも布団は見当たらない。


「黒井」


 ベッドに寝転がり、スマホをいじる黒井を呼ぶ。


「何だよ?」

「いや、布団とかない?」

「なんだよ、布団で寝たいのか?」

「そりゃ、まあ……」


 絨毯の上で眠れないわけではないが、出来ることなら布団で寝たい。

 黒井から返って来たのはため息だった。


「はぁ。しゃーねーな。じゃあ、これ使うか?」


 そう言うと、黒井は自分が寝転がっているベッドを指差した。


「……え?」


 黒井の予想外の言葉に、思わず固まる。


「は、はあ!? な、何考えてんのお前!?」

「いや、お前が布団で寝たいって言ったんじゃん」

「いや、そうだけど! そうだけど、これはお前ダメだろ!」


 思わず声が大きくなる。

 確かに俺は黒井とそれなりに仲が良いと思っている。だが、年頃の男女が同じベッドの上で寝るなんて、そんなの恋人くらいの仲でないと無理だ。


「別に私はいいぞ」

「な!?」

「それともお前は嫌なのか?」


 顔色一つ変えずに黒井が問いかけてくる。その様子を見て、俺は生唾を飲みこんだ。


 お、落ち着け。黒井の真意を探るんだ。

 黒井は俺と同じベッドで寝てもいいと言っている。つまり、黒井にとって俺は同じベッドで寝てもいいくらい大好きな存在である可能性が高い。

 それは黒井が俺と付き合いたいと言っていることとほぼ同義であり、黒井に心惹かれている俺にとっても非常に魅力的な提案……あれ? これ、答え出てるじゃん。


「な、ならお邪魔させていただきます!」

「いや、何で私のベッドに乗ろうとしてんだよ」

「え?」


 緊張しながら黒井が寝るベッドに乗ろうとした時、黒井に止められた。


「いや、だってお前これ使ってもいいって言ったじゃん」

「ああ。だから、これな。この布団。ベッドのマットレスの上に二枚重なってるから一枚使っていいよって言ったんだよ」


 黒井はポンポンと布団を叩きながらそう言った。

 確かに、黒井の言う通り黒井が寝転がるベッドのマットレスの上には敷布団が二枚重ねられていた。

 つまり、最初から黒井はこの布団を使って寝ていいよと言っていただけで、俺と同じベッドで寝ようなんて言う提案はしてなかった……?


「お前もしかして同じ布団で寝ると思ってたのか?」


 急速に恥ずかしくなり、顔が熱くなる。そんな俺を見て、黒井はニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 恥ずかしくて、穴があるなら今すぐ飛び込みたいくらいだった。

 そんな俺の様子を見て、黒井は笑みを深める。

 

「いやー、そうかそうか。お前、そんなに私と一緒に寝たかったのかぁ。ごめんな、勘違いさせちゃったみたいでさー」

「っ! ……殺せ!」


 黒井は心底楽しそうに俺を揶揄う。

 羞恥心に耐え切れず、その場で膝をつき顔を手で覆う。

 だが、黒井は俺に対する慈悲を持ち合わせていなかった。


「それにしても、普通はおかしいって気付きそうだけどなぁ? あ、もしかして、私と添い寝できることに興奮しすぎて冷静な判断力を無くしちまったとか?」

「うわああああ!!」


 部屋を飛び出し、隣のダイニングキッチンに駆け込む。

 そして、ダイニングキッチンの床に額を付ける。暗闇と、ひんやりとした床が優しく俺を包み込んでくれた。


「あー、悪い。流石に揶揄いすぎた。ほら、戻ってこいよ。お前の布団準備するから手伝ってくれ」


 苦笑いを浮かべながら黒井がダイニングキッチンの床に額を付ける俺を迎えに来た。

 

「……頼むから忘れてくれ」

「んー、それは出来ないなぁ」

「頼む! この通りだから!!」


 額を床に擦り付け、これ以上ないほど美しい土下座をする。

 黒井が俺を異性として見ていないことなど分かっていたのに、勘違いしてしまう俺が恥ずかしい。


「分かった分かった。なら、私の下僕になりますって言うなら忘れてやるよ」

「黒井様の下僕になります! ならせてください!!」

「お、おう……」


 言わせた張本人が何故か軽く引いていた。引くくらいなら言わせないで欲しい。


「じゃあ、約束だしこの件は忘れてやるよ」

「く、黒井……!」


 黒井の優しい声に、顔を上げる。そこには微笑む黒井の姿があった。

 ふう、良かった。これで安心だ。

 まあ、つい下僕と言ってしまったが、一生下僕をするわけでもない。黒井のことだし、一回くらいコーラとポテチを買いに行ってやれば満足するだろう。

 そう思った時だった。


『黒井様の下僕になります! ならせてください!!』


 背筋が凍り付く。

 震えながら黒井の方に顔を向けると、そこには俺が土下座する映像が映ったスマホを掲げて、口角を吊り上げる黒井がいた。


「お前、一生私の下僕な」

「ちくしょう!!」


 床を下の階に響かない程度に叩く。

 それから、黒井に最初の命令と言われて布団を敷く作業をした。俺を下僕にしたことが嬉しかったのか、黒井は鼻歌を歌いながら布団を敷く俺を見ていた。



***



「それじゃ、おやすみ」

「おう。布団、ありがとな」


 消灯して、俺と黒井はそれぞれ布団に潜る。俺の掛け布団は、黒井がどこからか持ってきてくれた。

 さっさと寝ようと思い、目を閉じる。すると、敷布団から甘い香りが漂ってきた。


 そう言えば、この布団ってさっきまで黒井が寝転がっていたんだっけ?

 その事実に気付いた瞬間に眠気が吹き飛んだ。

 

「なあ、起きてる?」

「ん、起きてるけど」

「……一個だけ聞いてもいいか?」

「……ああ」


 試しに黒井に問いかけると、黒井もまだ起きていた。

 まだ眠れる気になれない俺は、黒井に一つ質問をすることにした。


「黒井はさ、幼馴染のことが好きだったんだよな?」

「何だよ藪から棒に……。まあ、そうだな」

「白雪さんと、その幼馴染の三人でずっと仲良かったんだよな? こうして、仲違いしちまって辛くないのか?」


 それが引っかかっていた。

 この質問をしたところで黒井たちの関係性が元通りになるわけではない。それでも、もし黒井が元の関係に戻りたいと思っているなら――。


「仕方ないだろ。それに、あの二人はもう結ばれて幸せな道を歩いている。今更、そこに私が戻って入ろうなんて思わねーよ。まあ、でも……ちゃんと二人を祝福してやりたかったかもなぁ」


 黒井は俺に背を向けた状態でそう言った。

 その表情は分からないが、声からは諦めと哀愁を感じた。

 

「そっか。ありがとな、答えてくれて」

「おう。さっさと寝るぞ」

「ああ」


 黒井の言葉に返事を返し、寝返りを打つ。

 そして、枕元のスマホを掴む。そして、黒井にバレないように掛け布団の中に潜り込んでから、ある人にメッセージを一通送った。



***



 眩しさを感じて目を開ける。

 レースカーテンがかかっているとはいえ、窓から朝日が差し込んでおり、丁度朝日が俺の寝ているところを照らしていた。

 どうやら、朝日の眩しさで俺は目を覚ましたらしい。

 身体を起こして辺りを見回す。

 ベッドで眠る黒井の姿を見て、昨日のことを思い出した。


 そういや、黒井の家に泊まったんだっけ?


 スマホを見ると、朝の七時半だった。

 夏休み中だし、このまま寝続けることも出来る。だが、二度寝する気分になれなかったため、起きることにした。

 布団をまとめて、絨毯の上に腰かける。スマホの充電をしながら、すやすやと気持ちよさそうに寝る黒井の寝顔を見る。


 こうして改めて見ると、まつ毛も長いし肌もきめ細やかで綺麗だ。白雪さんも可愛いが、やっぱり黒井も負けていない。

 というか、白雪さんと黒井に好かれていた陽翔という男は何なんだろうか? ラブコメの主人公なのだろうか。


「ぅん……」


 そうこうしていると、黒井が目を覚ます。

 目をこすりながら身体を起こした黒井は、キョロキョロと周りを見渡した後に俺を見つめる。


「よ。おはよう」

「……ん。おはよう」


 そう言ってから、スマホの画面で時間を確認する黒井。そして、再び布団に潜る。

 二度寝か?

 そう思っていると、突然黒井がガバッと勢いよく起き上る。


「何でいるんだ!?」


 そして、俺を見てそう叫んだ。

 おいおい。一晩寝て、記憶を無くしたのか?


「いや、昨日黒井が泊まっていけいけって言ったじゃん」

「ああ~。そういや、そうだったな」


 昨日のことを思いだしたのだろう。黒井はそう言ってから、落ち着きを取り戻していた。


「朝ごはん、食べるか?」


 黒井は俺の方を見て、そう問いかけてきた。


「あるのか?」

「お前が食べたいって言うなら準備する」

「じゃあ、食べたい」

「ちっ。お前も手伝えよ」


 黒井はめんどくさそうに舌打ちを一つした後、そう言い残して部屋を出て行った。



***



 

 黒井と一緒に朝ごはんを作ること数分、テーブルの上にはご飯と味噌汁、サラダにベーコンエッグという美味しそうな朝ごはんが並んでいた。


「黒井、料理出来たんだな」

「まあ、流石に一年以上一人暮らししてると慣れるからな」


 黒井から箸を受け取り、手を合わせる。

 そして、味噌汁が入っているお椀に口を付ける。味噌と野菜、出汁のうまみが口いっぱいに広がる。


「うま……」

「そりゃ、どーも」


 俺の感想を聞いた黒井は小さく笑うと、朝ごはんを食べ始めた。

 朝からクラスメイトの美少女が作った料理を口にする。こんな幸せは他にない。

 そう思いながら朝食を食べた。



***



 朝食が終わった後、皿洗いをしてから自分の荷物をまとめ始める。


「帰るのか?」

「おう。ちょっと予定が出来てな」

「予定って?」

「いや、ちょっと人に会ってくるだけだ」

「あ、そ」


 黒井はつまらなさそうに呟くと、リモコンを操作してテレビを見始めた。

 朝ごはんを終えたとはいえ、まだ時刻は朝の九時過ぎ。テレビもそこまで面白そうなものはやっておらず、黒井も直ぐにテレビを消した。


「誰と会うんだ?」

「そりゃ、知り合いだよ」

「だから、誰だよ。私の知ってるやつ?」

「べ、別に黒井には関係ないだろ」


 若干声が上ずった。俺の様子を不審に思っているのか、黒井はじーっと俺の方をベッドに寝転がりながら見つめていた。


「どこで会うんだよ?」

「男か? 女か?」


 時々投げかけられる黒井の質問に対する返答を誤魔化している内に、荷物の整理は出来た。

 これ以上、追及される前にさっさと帰ってしまおう。


「それじゃ、黒井またな!」

「……おう」


 最後まで俺に疑いの眼差しを向けてきていた黒井に手を振り、家に帰る。

 家に帰ったら帰ったで、今度は両親から色々と聞かれて面倒だった。

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