第44話 さよなら会津君
秋
家が近く、幼い頃からよく遊んでいた俺たちは近所の人からは姉弟のようだとよく言われていた。
事実、秋姉は俺のことを一人の男としてというよりは弟として見ていた。でも、俺は違った。
俺は、同級生と比較しても群を抜いて綺麗だった秋姉に恋をした。
『秋姉、好きだ! 俺の恋人になってくれ!!』
『うーん、ごめんね。私、もう彼氏いるんだ』
そして、フラれた。
今なら分かるが、多分秋姉にとって俺は恋愛対象では無かったんだろう。
そして、秋姉の家族は秋姉の大学進学を機に引っ越した。それからは俺も秋姉に会う機会がないままおよそ二年が経過した。
その秋姉が俺の目の前にいる。
「うわぁ。大分、身体もがっしりしてきたねー。やっぱり、男の子の成長って早いよねー」
俺の身体を興味深そうにジロジロ見つめながら秋姉がしみじみと呟く。
「佐々木、その人は……?」
秋姉に気を取られているところに、黒井から声をかけられる。
黒井は知らない女性の登場に面食らっている様子だった。
「ああ、悪い。この人は篠原秋って言って、俺の幼馴染のお姉さんだ」
「こんにちは!」
「く、黒井雪穂です」
秋姉の挨拶に黒井も自己紹介してから会釈をする。
どこか秋姉を警戒しているようにも見える黒井とは対照的に、秋姉は黒井の姿を一通り見ると、嬉しそうに俺たちに詰め寄る。
「ねえねえ、二人はどういう関係なの?」
「いや、どうもこうも、普通にクラスメイトで仲の良い友人? だと思う」
「そうなの? 雪穂ちゃん?」
「……そいつが言うならそうなんじゃないですか」
秋姉に問いかけられた黒井はぶすっとした表情でそう言った。
違うのか? でも、他に何かあるか? それこそ、俺が好きな人ですくらいなんだけど。
「いやー、次郎もすっかり青春してるって感じだね!」
黒井の様子を見た秋姉が何故か嬉しそうに俺の肩を肘でつついてくる。
その行動の理由が俺には全く理解できなかった。
「いや、それよりも何で秋姉がここにいるんだよ。大学はどうしたんだ?」
「あれ? もしかしてまだ聞いてないの?」
「何をだよ」
「私、ちょっとした用事で一か月こっちにいることになって、今日から次郎の家に泊まらせてもらう予定なんだよ」
「「は!?」」
秋姉の言葉に何故か俺だけでなく、黒井まで反応する。
何で黒井が? いや、それより秋姉だ。
「と、泊まり!? マジで?」
「まじで。それじゃ、私そろそろ用事あるしもう行くね。次郎はまた後でかな。雪穂ちゃんも邪魔しちゃってごめんね」
秋姉はそう言うと、喫茶店を後にしていった。
「お、おい! あの人と泊まりってどういうことだよ!」
秋姉が出て行った途端、黒井がテーブルに身を乗り出して俺に問い詰める。
俺は黒井に首をブンブンと横に振る。
「俺だって知らねえよ……」
「てか、あんな美人、お前の知り合いにいたのかよ」
「まあ、そうだな。秋姉は俺の人生の中でもトップクラスに可愛い女性だからな」
「……そうかよ」
そう言うと黒井は露骨に表情に不満を表し、窓の外に目を向ける。
あ、ミスった。女の子の前で別の女の子の話はダメって教わったんだ。
そういや、それを俺に最初に言ってきたのも秋姉だったな。
「……おいバカ、お前、さっきの人のこと考えてたろ?」
低い声を出して、黒井が俺を睨みつける。
な、何故俺の考えていることが!? こいつ、エスパーか!?
「お前が分かりやすいんだよ。で、お前とあの人って何も無いのか?」
「どういうことだよ?」
「だから、その、恋愛とかだよ。幼馴染であんな美人なんだろ? だったら、お前が好きだったとかそういうのがありそうだなって思っただけだよ」
黒井はどこかソワソワとした様子でそう問いかける。
凄いな、こいつ。やっぱりエスパーなんじゃね?
「まあ、黒井の予想通り俺は秋姉のこと好きだったよ。まあ、フラれたけどな」
「でも、一緒に一つ屋根の下で暮らすわけだし、惚れやすいお前のことだし、また恋に落ちたりするんじゃないのかよ」
何が心配なのか分からないが、どこか不安げな黒井の言葉に俺は首を横に振る。
確かに、俺は秋姉に恋をしていた。
だけど、今の俺には好きな人がいる。仮に、秋姉にもう一度恋をするとしても、今の俺の気持ちにきちんとケリをつけてからになるだろう。
「流石に大丈夫だと思うぞ。そもそも秋姉は彼氏いるって言ってたし」
およそ二年前だけどな。という言葉は言わずに置いた。
「そうか」
ホッと一息つけた後に黒井はミルクティーに口を付ける。
そういえば、秋姉で思いだしたことが一つある。
確か秋姉が中学三年で、俺が小学五年生の頃だ。家に帰ったら何故か秋姉がソファーで寝転がっていて、俺に唐突に話しかけてきた時に言った言葉を。
『バカであるべきだよ』
『え? 急に何言ってんの?』
『気取ったりとかさ、かっこつけたりって必要だけどさ、バカじゃなきゃダメな時もあると思うんだよね。次郎はそういう人になってよ。自分がこれだって決めたら真っすぐそこに突き進めるようなバカな人にさ』
『そういう人が秋姉は好きなの?』
『そりゃ好きだよ。私じゃなくても好きな人は多いんじゃない? 特に、自分のために一生懸命頑張ってくれる人を嫌いになれる人はきっと殆どいないよ』
思えば、あれが俺の人格形成の基礎になっていたと言っても過言ではないのかもしれない。
視線を上げれば黒井の顔が見える。
黒井も、好きだった幼馴染の為に自分の性格を変えるほどの人間だ。それに、会津君が馬鹿にされた時にはあれだけ感情を露わにして怒ってたしな。
黒井も黒井で、どこか真っすぐでバカな部分を持っている。そんな黒井に愛されている男はかなりの幸せ者ではないだろうか。
「な、何だよそんなにジロジロ見てきて」
「いや、会津君が羨ましいなと思ってな」
「あ。そういえば、会津君の話してねーじゃねーか!」
思いだしたかのように黒井が声を上げる。
確かに、秋姉が来る直前に黒井は大事な話があると言っていた気がする。
「ちゃんと耳の穴かっぽじって聞けよ」
「お、おう」
黒井は真剣な表情で俺を見つめると、おもむろに口を開く。
「会津なんて奴はいない。私は会津なんて奴を好きなんて一度も言ってない。全てお前の勘違いだ」
黒井は確かにそう言った。
会津君が、いない?
「いやいや、そんな馬鹿なことあるかよ。だって、球技大会の日にお前が会津君を馬鹿にされたからぶちぎれたって言ってたじゃねえか」
「それは違うんだよ」
「じゃあ、あの時は誰に怒ってたんだよ」
「……別に誰でもいいだろ」
気まずそうに黒井がそっぽを向く。
やっぱり会津君なんじゃないか? だけど、黒井は自分の好きな人が会津君だと揶揄われるのが嫌で会津君の存在を隠そうとしている……とか?
「とにかく! 会津なんて奴はいない! 分かったな!!」
「わ、分かった」
黒井に迫られ頷く。
結局、会津君が本当にいるのかいないのかは分からない。だが、ここまで黒井が言うのだから、少なくとも会津君の存在を忘れて欲しいのだろう。
「さて、それじゃ次の場所行くか」
話が終わると、黒井はそう言った。
「次? まだどっか行くのか?」
「当たり前だろ。こないだお前と水族館に遊びに行ったときは結局、私のせいで中途半端な終わり方になっちゃったからな。あの日の続きってわけじゃないけど、軽くショッピングでもしようぜ」
「了解」
黒井に返事を返し、パンケーキを急いで食べ進めようとしたところで、黒井もパンケーキを食べたがっていたことを思いだした。
「黒井、冷めちゃってんだけどパンケーキ食うか?」
「……そうだな、貰うわ。一切れくれ」
「おう」
黒井にパンケーキを差し出そうとした時、黒井が顔をこちらに寄せて口を開ける。
「あーん」
そして、そう言った。
俺が困惑していると、黒井は頬をほんのりと赤くしながらもう一度、「あーん」と呟いた。
ゴクリ、と生唾を飲みこむ。
据え膳食わぬは男の恥という言葉がある。黒井の考えていることが何かは分からない。ただ俺を揶揄って楽しんでいるだけかもしれないが、それでもここで引くのは勿体ない!
「あ、あーん」
ゆっくりと黒井の口目掛けてパンケーキを差し出す。
そして、黒井はそれを食べた。
黒井が視線をこちらから逸らしたまま口を動かす。
そして、パンケーキを飲みこんだ後にポツリと呟いた。
「……甘酸っぱいな」
「だ、だろ?」
「ああ。一生忘れられない味になりそうだ」
チラリと横目で俺を見ながら黒井は微笑んだ。
その言葉の中に、パンケーキの味以外の感想が含まれているだろうことは何となく察しがついた。
だけど、何故か俺も緊張してしまって、それを黒井に問うことは出来なかった。
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