第43話 会津君を気にする佐々木君

 黒井雪穂は焦っていた。


「なあ、今日って暇か?」

「あー、悪い。今日は部活あるんだよな。まあ、会津君と楽しく過ごせよ」

「いや、だから会津君なんていないって……くそっ」


 既に走り去っている佐々木の背中を見つめて、舌打ちをする。

 あの日、黒井が勇気を振り絞り自分の好きな人の特徴を話した日から、早いもので三日が経過した。

 この三日間、黒井は佐々木の誤解を解くために佐々木に接触を試みていた。だが、学校にいる間は、今の黒井と仲良くしたいという男子や女子に囲まれ、放課後は佐々木に声をかけても部活や友達と遊ぶ予定があると断られていた。


 あからさまに避けられている。

 そして、その原因が佐々木が黒井を会津君という訳の分からない人物に好意を寄せているという勘違いから来ていることも黒井は理解していた。


 今までであれば、佐々木の予定など気にせず、佐々木を脅して無理矢理連れまわした。

 だが、今の黒井は恋する乙女。

 そういった相手の意思を無視した行為を好きな人にするのは、どうしても躊躇いが生じてしまう。


 とはいえ、このままでは佐々木は勘違いしたままだ。現状、佐々木を狙う恋のライバルは存在しない。

 しかし、佐々木の魅力に気付く女がいつ生まれるか分からない。おまけに、佐々木は恋多き男。

 今はまだ佐々木の目は黒井に向いているが、佐々木は切り替えもそれなりに早い。

 黒井を諦めて別の女性に恋する可能性が0とは言い切れない。


「いや、でもこれはな……」


 夜、ベッドの上で黒井は自分が打ち込んだ文章を読み返す。


『最近お前が遊んでくれないから寂しい。責任取って、土日のどっちか付き合え』


 佐々木は単純な男。だからこそ、弱っている姿を見せればあっさりと食いつく。

 だが、こんな文章を送るのは余りにも恥ずかしすぎる。

 悩んだ末、黒井は信頼できる自分の親友である白雪黒亜に相談することにした。


「雪穂ちゃんの本音を伝えたらいいと思うよ」


 スマホからはそんな言葉が聞こえてきた。


「そ、それって私があのバカを好きって伝えろってことか?」

「まあ、それを言えば全て丸く収まると思うよ」


 白雪の言う通り、黒井が佐々木に好きと伝えれば佐々木は泣いて喜びながら告白を受けるだろう。

 だが、黒井雪穂は口調やサバサバした性格とは裏腹に乙女であった。


「で、でもやっぱり佐々木から告白して欲しい……」

「~~~っ!! 雪穂ちゃん、可愛すぎ……」


 照れ臭そうに黒井が呟く。

 その言葉は白雪を悶えさせるに十分すぎる破壊力を持っていた。


「ち、違うからな! これは、私がそうして欲しいとかじゃないぞ! そ、そもそもあのバカは色んな女に告白してるんだからな! だったら、やっぱり私だって告白されるべきというか、あのバカが私のこと好きなら告白しなくちゃいけないだろ!」


 早い話が嫉妬であった。

 宮本朱莉、音羽結衣。黒井が知っているだけでも二人。恐らく、探せばもっといるだろう。

 彼女たちには情熱的な愛の告白をしているのに、自分にされないのは何か嫌だ。

 黒井の胸の中にはそんな思いがあった。

 正確に言えば、黒井は佐々木に告白されている。しかも三回も。だが、その時の黒井は黒井(聖女)であり、今の素の黒井ではない。

 素の黒井を受け入れてくれた佐々木に改めて告白して欲しい。それが黒井の願いだった。


「うんうん。雪穂ちゃんの気持ちはよく分かるよ! でも、正直に言うと結構難しいかも」

「え?」

「話を聞く限り、雪穂ちゃんは佐々木君に三回告白されて全部断ってるんでしょ? 後、照れ隠しで雪穂ちゃんは佐々木君に惚れていないように振舞っちゃってた。最近はそれを改めてるみたいだけど、佐々木君の頭の中には雪穂ちゃんが自分と付き合ってくれるはずがないって考えがあるんじゃないかな?」

「うっ……」


 思い当たる節があるのか、黒井は言葉を詰まらせる。

 現に白雪の予想は当たっていた。

 佐々木の頭の中には、「黒井は自分を友達と思っている。勘違いしてはならない」という考えがあった。

 おまけに、黒井に粘着質と言われたのが予想以上に効いており、三回もフラれたのに諦めないのは良くないんじゃないかという考えさえあった。


「じゃ、じゃあやっぱり私が素直になるべきなのか……?」

「それが出来れば一番だけど、出来るの?」

「……がんばる」

「うん! せめて誤解は解けるようにしないとね!」

「ああ。相談のってくれてありがとな」

「全然いいよ~。それより、今度お泊り会しない? 雪穂ちゃんの肌が他の男に穢されちゃう前にぺろぺ――」


 白雪が話している途中で黒井は通話を切った。

 中学時代から仲が良かった黒井だけが知ることだが、白雪黒亜は変態だ。一見、まともに見える素敵な人にも隠したい秘密はあるということだろう。


 白雪との通話を終えた後、黒井は改めて佐々木に送るメッセージを打ち直す。


『大事な話がある。土日のどっちかで二人で会えないか?』


 無難だが断りにくい内容だ。これなら大丈夫だろうと思い、メッセージを送信する。

 暫くして、返信が返って来た。


『じゃあ、日曜で。それより会津君はいいのか?』


 しつこい。

 いつまで会津君を引っ張るのだろうか。それだから粘着質と言われるのだ。


 そう思いながら黒井は返信のメッセージを送る。


『その会津君に関する話だ。駅前に十三時な』

『分かった』


 佐々木からのメッセージを確認してから、スマホをスリープモードにする。そして、クローゼットに目を向ける。


「そういや、あのバカってどういう服が好きなんだろうな……。それも日曜に聞くか」


 誤解を解いて、二人で服を買いに行く。

 楽しい日曜になりそうだ。


 そう思いながら、黒井はウキウキで日曜に着ていく服を選び始めた。



*****



 黒井雪穂が会津君という男が好きだと発覚してから初めての日曜日。俺は駅前に来ていた。

 時刻は十二時四十五分。待ち合わせの時間が十三時ということを考えると少々早い気もするが、まあ問題はないだろう。

 それにしても、黒井の大事な話とは何だろうか。ここ最近は学園祭のライブに向けて部活が忙しくなったり、両親に買い物をお願いされたりと忙しくて、黒井と遊ぶことも減っていた。

 いや、会津君が好きな黒井と俺が二人きりで遊ぶのも良くないかもしれないけど……。


 何はともあれ、今日は久しぶりに黒井と過ごす日だ。

 黒井の好きな人が会津君という人物だということは残念だが、それでもやっぱり黒井と過ごせる時間は俺にとって楽しいものだ。


 そんなことを考えていると、誰かに肩を叩かれる。


「よ!」


 振り向くいた先には黒井雪穂の姿があった。

 半袖のワンピースに髪をおろした姿は随分と様になっていて、まだまだ残暑の残る季節にはピッタリの格好だった。


「な、何だよ、そんなにジロジロ見て」

「いや、やっぱり黒井って綺麗だよな」

「お、おう……ありがと」


 「お、何だ? 惚れたか?」くらいの返事が来るかと思っていたが、意外にも黒井は照れ臭そうに自分の髪を撫でながら視線を逸らした。


「まあ、お前もそこそこいいじゃん」


 更に、黒井は俺の格好を見てそう呟いた。

 いや、これ以前黒井にファッション童貞ってバカにされた時と同じ格好なんだけど……。


「それじゃ、ちょっと話がしたいし、その辺の喫茶店に行くか」


 どこか緊張しているようにも見える黒井の様子に違和感を感じつつ、俺と黒井はすっかり行きつけとなった喫茶店へと向かった。



***



「こちら、パンケーキになります。ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」


 店員さんにお礼を伝え、パンケーキに目を向ける。

 ホイップクリームが乗せられていて、その上にはイチゴのソースがかけられている。

 非常に美味しそうだ。


「……お前、そんなキャラだっけ?」


 パンケーキを頬張ろうというところで、ミルクティーを飲む黒井に声をかけられる。


「いや、普段は頼まないけど、ずっと気になってたんだよ。喫茶店のパンケーキって美味しいのかなって」

「そうか」


 黒井との会話もそこそこに、パンケーキにナイフを入れて、フォークで一切れ取って口に入れる。

 フワフワとした生地の食感と、ホイップクリームの甘み、イチゴソースの酸味が口いっぱいに広がる。


「うまっ! なにこれ……市販の粉で作るホットケーキと全然違うな」

「そりゃそうだろ」


 俺の言葉に黒井がため息をつく。


 まあ、確かにそれもそうか。

 そう思いつつ、パンケーキをパクパクと食べ進める。

 いや、本当に美味い。手が止まらないくらいだ。


 美味い美味いと食べ進めていると、前から視線を感じた。顔を上げると、黒井が興味深そうにこっちをジッと見つめていた。


 おっと、俺としたことが気がきかなかったな。


「ほい」


 パンケーキを一切れフォークでとり、黒井の口の前に差し出す。


「え? な、何だよこれ」

「あれ? 食べたくなったんじゃないのか? いらないなら俺が食うけど」

「いや、待て! 食べる。食べるから、そこから動くなよ」

「お、おう」


 やけに緊張した面持ちで黒井が口の前に差し出されたパンケーキを睨みつける。

 そして、深呼吸を一つする。

 そんなに肩ひじ張らなくてもいいんじゃないか? とは言いにくい雰囲気だった。


「よし。それじゃ、食べるぞ」

「おう」


 何だか黒井のせいで俺まで緊張してきた。

 くっ! 緊張のせいかフォークを持つ手が震えちまう!


「バカ! そんなに動かすな! 食いにくいだろ!」

「わ、分かってるよ! だけど、黒井が変に緊張してるから俺まで緊張してきたんだよ!」

「は、はあ!? お前にあーんされるからって、緊張なんてしてねーし!」


 黒井の一言で、俺は目を見開く。


 あ、あーんだと!? はっ! 確かに、今の状況はあーん以外の何物でもない!

 ま、待て……このフォークはさっきまで俺が使っていたもの……。おいおい、俺はとんでもないことに気付いちまったのかもしれない。


「く、黒井……落ち着いて、家でバラエティ番組を見ながらポテチを食べるくらいの気持ちで聞いてくれ」

「何だよ……?」

「これって、俗にいう間接キスになるのか……?」


 俺の一言に黒井の顔が耳まで赤くなる。

 だが、黒井はそれでもパンケーキを食べようという姿勢を崩さない。


「は、はあ? なに? お前たかが間接キスでビビってんの? こ、子供すぎるわー」

「いや、そういうお前の顔真っ赤じゃん。めちゃくちゃ意識してるじゃん」

「ち、違うし……」


 気まずそうにプイッと視線を逸らす黒井。

 可愛い。


 いや、そんなことを気にしている場合じゃない。そもそも、黒井には会津君という好きな人がいるんだ。

 それなのに、黒井に対して俺があーんをするのは良くない。もし仮に会津君がこの状況を見ていたらおかしな勘違いをしてしまう可能性だってある。


「なあ、黒井。やっぱり店員さん呼んで、もう一本フォーク持ってきてもらおうぜ。ほら、お前には会津君もいるわけだし、こういうのを好きでもない男とするのはよくないって」


 黒井の為を思い、そう提案する。

 だが、会津君という言葉が出た途端、黒井の顔からスッと赤色が引いて行き、黒井は呆れたようにため息をついた。


「……おいバカ」

「え、なに?」

「てめえのその腐った耳の穴かっぽじってよく聞け」

「急に辛辣!?」


 黒井は咳ばらいを一つしてから、真っすぐ俺を見つめる。そして、ゆっくりと口を開いた。


「いいか。私は会津君なんて――「あれ? 次郎?」


 黒井の言葉がその場に突然現れた、一人の女性に遮られる。

 声のする方に顔を向ける。


「やっぱり次郎だ! 久しぶりー! 元気してた?」


 ウェーブのかかった暗めの茶色の髪が揺れる。

 その明るい声の主は、俺がよく知る人だった。


「あ、あきねえ……」


 そこにいたのは、俺の幼馴染にして初恋の相手の篠原秋しのはら あきだった。

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