第65話 体育

 体育。

 それは健康的な肉体を培う基礎を養う教科。


 否! それは国の上層部が生み出した単なる理由付け。

 実際は違う。

 体育とは、いかに己のかっこいいところを意中の人にアピールできるのか、という場。


 普段の授業と違い、自由度が高いこの授業において異性がつい気になる異性に視線を送ってしまうということは日常茶飯事。

 その時、ボールに滑ってこけたり、ボールを顔面に受けて涙を流すなどということがあれば恥ずかしくて穴に入りたくなる。


 運動が苦手でも懸命に頑張る姿を見せる。得意な運動でアピールする。

 

 方法はなんでもいい。

 大事なことは、己の全力を尽くす。ただ、それだけ。


 ――自分のライバルがいないのであれば。


「体育があってよかったよ」


 バスケットボールを片手にシュート練習をしている俺の背後から一人の男子が近付いてくる。

 女性かと見紛うほどの綺麗な二の腕に足。細身ながら筋肉が引き締まっていることが見た目からでも十分に分かる。


「雪穂ちゃんの前で、君よりもボクの方が優れていることを証明させてもらうよ」


 自信たっぷりに、不敵な笑みを浮かべながら会津春華はそう言い放った。


「人と優劣をつけることは好きじゃないんだけどな。でも、雪穂を狙っている奴がいるなら、雪穂の彼氏として負けるわけにはいかない」


 真っすぐ会津春華の目を見据える。


 もし、体育の授業中に自分のライバルがいるなら――


「「勝負だ」」


 ――全力を持って、そいつに勝つべし。





「よーし、それじゃ最後に十分のミニゲームするぞー。チーム分けは先週決めた奴な。会津は、Bに入ってくれ。それじゃ、Aチーム対Bチーム始めるぞー」


 先生の掛け声に合わせて、Bチームの面々はゼッケンを見に纏い、体育館のコートに立つ。

 体育館の二階や隣のコートでは試合がなく暇を持て余しているであろう女子たちがコートを見ていた。

 だが、今日はいつもより見学の数が多い。その原因は紛れもなく、俺の目の前にいる会津春華にあるだろう。


「雪穂ちゃんは……見てるみたいだね」


 会津の言う通り、俺の彼女である黒井雪穂もちゃんと試合を見ている。

 ぶんぶんと手を振ってみたら、ぷいっと視線を逸らされた。


 そういえばあんまりバカップルって思われたくないから、人前でそういうのは止めろって言われてたんだった。


「スルーされてるね。本当に付き合ってるの?」

「熱々ですがあ!?」

「ふっ。必死に否定するところが怪しいね。ボクが雪穂ちゃんの彼氏なら、もっと堂々としているよ」


 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる会津。

 

 し、しまった! これは会津の罠……。

 安易な挑発に必死に飛び掛かれば、余裕がないことが丸見えだ。

 これじゃ、まるで俺が会津に雪穂を奪われることを恐れているように見せるに違いない。

 間違ってないけど!


「……落ち着け、佐々木」


 動揺で膝が震えだす俺の肩に一人の男子が落ち着けと言わんばかりにポンと手を置く。


「む、村田」


 そこにいたのはあの球技大会を俺と共に乗り越えた村田だった。


「……会津、お前もだ。……少なくとも、お前の好きな黒井は面倒な駆け引きより正々堂々とした勝負を好むんじゃないか?」

「少し煽っただけさ。それに過剰に反応したのは彼の方だよ」

「……自分の大切なものだから過剰に反応するんだろう。……さっきの反応は、佐々木が黒井雪穂という女を心から愛している証明だと思うがな」


 村田の一言に会津の眉間に皺が寄る。


 か、かっこいい……!

 流石、村田だ! 俺の言いたかったことを全部言ってくれるぜ!


「まあ、そうかもしれないね。だからこそ、ボクは佐々木には負けない」


 最後に会津は俺の方を強く睨みつけてから、自身のポジションに着いた。

 そして、試合開始のホイッスルが鳴り響き、試合が始まる。


 先手は会津だった。


「……佐々木、お前は控えていろ。……お前には恩があるからな。会津くらい、俺が止めてやる」


 頼もしく俺に親指を突き出してから村田が会津の前に立ちはだかる。

 村田は運動が苦手とはいえ、球技大会を乗り越え殻を破った男だ。

 クラス内でも下手ではないが上手くもないくらいの立ち位置にいる。突破することは会津がそこそこバスケが得意でない限りは不可能だ。


「行け! 村田!!」

「……ふっ」


 不敵な笑みを浮かべ、村田が会津のボールを奪おうと動く。

 その瞬間、俺は確かに見た。

 会津の口の端が吊り上がるところを。


「佐々木が雪穂ちゃんを愛している証明、ね。なら、ボクも見せてあげるよ。ボクの雪穂ちゃんへの愛をね!」


 次の瞬間、会津が左右に揺れたかと思えば、村田はその場に腰をついていた。


雪穂ちゃんへの愛グレイトフル・ラブ。ボクの愛の前に屈服しろ」

「なっ……!」


 な、何が起きた……?

 気付けば村田が尻もちをついて、会津を見上げている。

 会津は尻もちをついた村田の横をゆっくりと歩いて通る。


 ま、まずい!


「くっ! 次郎には僕だって恩がある! 僕が行くから、次郎はその隙にあの技のカラクリを見破るんだ!」


 そう言って会津に向かって言ったのは、かつて俺と宮本さんという一人の少女を巡り熱い戦いを繰り広げた優斗だった。


「何人こようと同じことだよ。ボクの雪穂ちゃんへの大きすぎる愛を君たちはただ見上げることしか出来ない!」

「うわああああ!!」

「優斗おおおお!!」


 村田と同じようにいつの間にか尻もちをつき、会津を見上げる優斗。その横を会津は悠然と歩く。


「な、なんかよく分からんが俺たちも行かなきゃいけない気がする!」

「佐々木、大トリは任せたぞ!」


 そう言って、俺のチームでまだ尻もちをついていない俺以外の二人が会津に向かっていく。


「バカ野郎! それは完全にやられるフラグじゃねえか!」

「「うわあああ!!」」


 案の定、二人とも会津の前に尻もちをついた。

 そして、たった一人で俺のチームを壊滅寸前に追い詰めた会津が遂に俺の前に立つ。

 ゴールを守れるのは俺だけ。

 周りから「やれるのか?」という思いが視線となってひしひしと伝わって来るぜ。


 皆、俺と会津さんの因縁を知っている。

 当たり前だ。朝の皆が見てる前でひと悶着起こしたのだから。

 この勝負、負けられない!!


「うおおおおお!!」

「威勢だけで勝てるほど、現実は甘くないよ。雪穂ちゃんへの愛グレイトフル・ラブ!!」


 その言葉と共に、会津が小刻みにステップを刻み、身体を揺らす。

 右、左、前、後ろ。

 その動きについて行こうとすれば、俺の足がもつれ俺は尻もちをつくことになる。

 バスケでいうアンクルブレイクという技。それが会津の技の正体!


「甘いぜ! お前の技はアンクルブレイク! 俺は既にそれを見破っている!!」

「なに!?」

「この勝負、貰っ――ぐあああああ!!」


 技の正体を見破られたことに、目を見開き動揺を露わにする会津。

 その目の前で俺は思いっきり尻もちをついた。


「……え?」


 呆然とする会津。


「見破ったとは言ったが、その技を破ったとは言ってないぜ?」

「それ、どういうテンションで言ってるの?」


 困惑しながらもちゃんとシュートフォームに入る会津。

 

 くっ……ここまでか……!


 俺が諦めかけたその時、会津の手元に背後から腕が伸びる。


「……隙あり」

「し、しまった!」


 会津の背後から腕を伸ばしたのは村田だった。

 村田の手により弾かれたボールは運よく、尻もちをついた俺の手元に収まる。


 や、やったぜ! 流石村田だ!


「村田、助かったぜ! よし、お前らもいつまでも尻もちついてないで立ち上がれ! Aチーム、反撃行くぞおおお!!」

「「「「うおおおお!!」」」」


 尻もちをついていたチームメイト鼓舞し、俺も立ち上がる。


「くっ……君だけはボクが止める!」

「負けねえよ!!」


 目の前の会津を突破するべく、足に力を込めたその時だった。


「いっっっ――!!」


 こ、このズキリとした右足首の痛みは……捻挫!?

 まさか、先ほどのあ会津のアンクルブレイクを食らった際に足首を痛めたというのか?


「へっ。俺としたことが、へましちまうとはな……。村田、俺の最後のパスだ! 受け取ってくれええええ!!」

「……さ、佐々木」


 目の前の会津を無視して一番近くにいた味方の村田にパスを出す。

 パスを受け取った村田も、会津も信じられないものを見る目で俺を見ていた。


「頼んだぜ……」

「……ッ! 任された」


 俺の言葉から異常事態を察したのだろう。村田は何も聞くことなくボールをドリブルしながら前線へと運んでいく。

 だが、会津はその場に残っていた。


「怪我かい?」

「お見通しか」

「ボクなら、怪我しても戦う」


 失望したという表情で俺を見つめる会津。

 まあ、気持ちは分かる。

 好きな人の為なら怪我なんて気にするな、そう言いたいのだろう。

 だが、この戦いは俺と会津の戦いでもあると共にAチームとBチームの戦いでもある。


「バスケはチームスポーツなんだよ。チームの勝利が俺の勝ちだ」

「個人でボクに勝てないから、チーム戦に逃げる。そう認識してもいいのかな?」


 会津がそう言った直後に会津の背後で歓声が沸く。

 どうやら、俺のチームメイトがシュートを決めたらしい。


「好きにしろよ。俺は俺が思う世界一かっこいい俺であるために尽力するだけだからよ」


 俺の言葉に会津は何も返さなかった。

 その後、捻挫した俺は体育教員に止められ他の生徒と交代することになった。


 試合の結果はと言うと……。


「「「キャー! 会津君、かっこいいー!!」」」


 会津のブザービートで俺たちのチームが負けた。


 あれ……これ、俺の完全敗北じゃね……?



***



「お前、ダサすぎだろ」


 体育の授業が終わって俺の下へやって来た黒井雪穂はため息をつきながらそう言った。


「あんなに試合前に春ちゃんと何か言い合ってたのに、怪我で途中退場って……はぁ」

「で、でも会津を止めたぞ!」

「村田がな。お前のしたことって、転んで時間稼いだのと、村田にパス出しただけじゃねーか」


 言われてみればそうだ。

 しかも、試合前の会津との会話も途中から村田が話してた気がするし……あれ? 俺なにもしていない?


「雪穂ちゃん、ボクのプレー見ててくれたかな?」


 何もいいところを見せることが出来ていない事実に焦っていると、俺と雪穂の下に会津が近付いてくる。

 片手には飲み物もある。

 恐らく雪穂に渡すものだろう。何て気がきくんだ。


「ああ。小さい頃は私の後ろに隠れてばっかだったのに、春ちゃんもすっかり成長したよな」

「む、昔の話は止めてくれよ」


 朗らかに笑い合う美形と美形。

 その間に挟まれた俺。

 ま、まずい。過去の話をされては俺は全く話に割り込めない。

 美形オーラも相まって、このままでは俺の存在が消されてしまう。


「いやー、本当だよな! 昔はあんなに小さかったのに驚きだぜ。今日は負けたよ会津!」


 はい、完璧。

 まるで過去のことを知っているかのような自然な会話への入り方だ。

 これには流石の会津も口をポカンと開けている。


「お前、何も知らないだろ。会話に入りたいからって存在しない記憶生み出すなよ」


 だが、雪穂には全てお見通しらしく、俺の作戦はあっさりと見破られてしまった。

 てか、なんで雪穂が俺の邪魔するの?

 お前は俺の味方であってくれよ。


 そんな思いを込めた俺の視線を他所に、雪穂は会津の肩にポンと手を置く。


「それにしても、本当に春ちゃん変わったなぁ」

「う、うん! あ、あの……雪穂ちゃん。ボク、雪穂ちゃんに追いつけるように頑張ったんだ。だから……」


 頬を赤くし、もじもじと何かを伝えようとする会津。


 ま、まさかこいつ……ここで告白するつもりか!?

 や、やばい! どうする? どうしよう! 困った!!


 困惑する俺。緊張しているのか、あと一言が出てこない会津。

 その場面で口を開いたのは雪穂だった。


「ああ!」

「「え!?」」


 雪穂の言葉に俺と会津の言葉が重なる。

 嘘だろ? まさか、雪穂は俺を捨てて会津と……。

 いや、でも冷静に考えたら雪穂は元々会津君が好きみたいな話をしてた。

 儚い恋だったか……。


 俺の瞳からは雫がこぼれ、会津の表情には笑みがこぼれる。

 そんな俺たちに向けて、黒井は満面の笑みを浮かべる。


「本当にすげーよ! 今度は私ともバスケしようぜ!」

「しゃああああ!!」

「うおっ。な、何だよ急にガッツポーズなんてして……」


 おっと、歓喜のあまりガッツポーズをしてしまった。

 基本的に鈍感系主人公が好きではない俺だが、今だけは黒井雪穂が鈍感だったことに感謝しかない。

 これで首の皮一枚繋がったぜ。


 対照的に会津は肩を落としていた。

 心中お察しします。でも、好きだってちゃんと相手に伝えないとダメってことだ。


「まあ、いいや。それじゃ、春ちゃんまた後でな」

「え、雪穂ちゃんはどこか行くの?」

「ああ。このバカを保健室に連れてかねーと。まあ、こんなバカでも彼氏、だしな」


 彼氏の部分だけ声を小さくし、恥ずかしそうにしながらも雪穂は確かにそう言った。

 確かに、彼氏と言ったのだ!!


「いやー、悪いな雪穂。のお前に、彼氏である俺が保健室に行くのを付き添わせちゃって! いやー、本当悪いなー。でも、俺たち彼女と彼氏だもんな!」

「……やっぱ運ぶのやめようかな」

「調子乗ってすいませんでした!」


 即座に頭を下げる俺に雪穂は「仕方ねえな」と言いつつ、俺に肩を貸した。


「それじゃ、行くぞ」

「はーい」


 保健室に向けて歩き出す直前で、一度だけ会津の方を見る。

 会津は悔しそうに唇を噛み締めながら小さく口を動かした。


 ――負けないから。


 なるほど。望むところだ。

 俺だって完全敗北を喫したままで黙ってはいられない。

 身体能力部門は俺の負け。だが、次の勝負では負けない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る