第66話 決着
その後、会津と俺は授業の度に争った。
英語の時間には発音勝負を、数学ではどちらが先に問題を解けるかを、美術ではどちらがより美しい絵を描けるかを。
度重なる激闘が行われるごとにクラスメイトは湧きたち、雪穂は呆れたような表情で俺たちを見ていた。
そして、放課後。
会津と俺、雪穂の三人は会津の呼びかけで屋上に集まっていた。
「俺の……負けだ……」
屋上に膝をつく俺。
ここまでのあらゆる勝負で俺は完敗した。そして、先ほど最後のジャンケン勝負に敗北し、運動、勉学、芸術、運とあらゆる面で俺が会津に劣っていることが証明されてしまった。
悲惨な結果に落ち込む俺の頬を、何故か雪穂はツンツンと指先でつついて遊んでいた。
「雪穂ちゃん、これで分かっただろう? 君に相応しいのは誰かってね」
会津に言葉をかけられた雪穂は俺の頬をつつく手を止め、立ち上がる。
そして、会津に身体を向けた。
「まあ、そうだな。春ちゃんの言う通り、次郎よか春ちゃんの方が何倍も優れてるだろうな」
「なら、ボクと付き合って――」
「それは無理だ」
「な、なんで!」
「だって、春ちゃん女じゃねーか」
「へ……?」
雪穂の一言に思わず間抜けな声が出た。
い、いや待て。そういうことだ?
会津君は会津ちゃんだったというのか!?
「……ッ! 性別なんて関係ない! ボクは雪穂ちゃんの隣に相応しい人になるために頑張って来た。あの日、ボクを守ってくれた、ボクの王子様だった雪穂ちゃんを今度はボクが守るんだ!」
そういう会津の瞳は本気だった。
本気で、雪穂のことを思っていることが伝わる熱い目だ。
そんな会津に対して、雪穂は困ったように頬をかく。
「私も春ちゃんのことは嫌いじゃないぜ? でもさ、春ちゃんだって年頃の女の子なんだ。私に執着するより、もっと普通に男と恋愛した方が――」
「ボクにとっての普通は雪穂ちゃんを思うことだ!!」
そこで雪穂は漸く、会津の目に涙溜まっていることに気付いた。
「男とか、女とか関係ないじゃないか。あの日、ボクを意地悪な男の子たちから助けてくれたのは、雪穂ちゃんじゃないか……! ボクは、性別なんて関係なく、ただ雪穂ちゃんが好きなんだ」
そこまで言い切ってから会津ちゃんは屋上を飛び出していった。
残されたのは膝をアスファルトの上についたままの俺と、苦虫を噛みつぶしたような表情の雪穂だけ。
「告白においてさ、告白する側が一番されたくないことって何か分かるか?」
立ち上がりながら、雪穂に問いかける。
雪穂も自覚はあるのだろう。険しい顔つきのままポツリと呟く。
「向き合ってもらえないこと」
「そうだな。さっきの会津は本気だったと思う。後から来いよ。ちゃんと会津に伝えるべき言葉を整理してからな」
それだけ言い残して屋上を後にする。
教室に向かうと、幸運にも丁度鞄を取りに来たであろう会津に出会った。
「あっ! ちょっと待て!!」
俺の姿を見て直ぐに逃げ出そうとする会津を慌てて追いかける。
くっ! 足が早い! いや、だが諦めるわけにはいかない。
「待てええええ!!」
学校の外まで追いかけ続け、結局俺が会津を捕まえたのは学校付近の公園だった。
「ぜぇ……ぜぇ……つ、捕まえた。もう、逃がさねえぞ……」
息切れしつつ、会津の手首を逃げられないように掴む。
最初こそ抵抗していた会津も諦めたように顔を伏せていた。
「ボクを笑いに来たのかい?」
「そんなわけねーだろ。ちょっと話に来ただけだよ」
「……嘘なんてつかなくていいよ。女の癖して、男の格好までして幼馴染に告白してフラれた惨めなボクを笑えよ」
卑屈な笑みを浮かべる会津。
そこまで言われるといっそ笑って欲しいのかと思う。
まあ、笑わないけど。いや、笑うようなところが一つもないと言うべきだな。
「人が人を好きになった。たったそれだけのことだろ。笑うようなことじゃない」
とはいえ、こんな言葉で会津が俺への警戒を解くことはないだろう。
現に今も俺を訝しむような目で見つめている。
ハッキリ言って、俺に会津の気持ちはほぼ分からない。
会津がこれまでに味わってきたこともさっぱりだ。
それでも、こう見えて俺は黒井雪穂に三回もフラれている男だ。当然、その過程で俺を笑う奴は大勢いた。
愚かだ。無駄だ。バカだ。
そう語る奴らの言う通り、俺はフラれ続けた。四回目の告白をするまでは
「こんなこと俺に言われても嬉しくないだろうけどさ、会津の思いは誇っていいものだと思う」
ピクリと会津の耳が動いた気がした。
「一途な思いって実際のところ、そうそう抱けるようなもんじゃない。俺だって、雪穂と付き合うまでの一年の間に雪穂以外にも二人の女性に恋したしな」
「……軽薄な男だね」
「返す言葉もない。だからこそ、会津はすげーよ。たった一人を幼い頃からずっと思ってるんだろ? しかも、色々な障壁を乗り越えた上でだ。俺は心の底から尊敬するね」
「なら、雪穂ちゃんと別れてよ」
「無理。好きだもん」
俺の返事を聞いた会津は視線を下げた。
もうかなり冷静さを取り戻しているのだろう。多分、屋上では感情が昂ってしまったのだと思う。
本当は会津自身も雪穂が会津のことを気遣って、ああいう言い方をしたことくらい気付いている。
ただ、その雪穂の気遣いが致命的なまでに間違っていただけだ。
「……雪穂ちゃんはどうして君と付き合ったんだよ」
ふむ。
確かに、それは正直俺も気になるところではある。
決め手は雪穂の過去を知ったあの一件だろうが、実際はどうなのだろう。
「まあ、そういう質問は本人に聞いてくれ」
「え?」
公園の入り口に視線を向けた俺につられ、会津もそっちに視線を向ける。
そこには、額に汗をにじませ、少し息を荒くした黒井雪穂の姿があった。
***
呼吸を整えた雪穂が会津の前まで歩み寄り、屋上の時と同じように二人は向かい合う。
ただ、屋上の時と違う点があるとすれば雪穂の方が真剣な表情で、会津の方は戸惑っているということだろう。
「雪穂ちゃん……」
「春ちゃん、ごめん」
そう言って雪穂は頭を下げる。
あのプライドが高く、自分大好きな黒井雪穂が自ら頭を下げる。
つまり、それだけ黒井雪穂が真剣な証拠だ。
「ご、ごめんって、そんな謝るようなことなんて……」
「私は、春ちゃんの気持ちから逃げようとしてた。好きだって思いを受け止めてもらえない辛さを知っているのに、だ。本当にごめん」
会津が息を呑む音がはっきりと聞こえた。
暫くの沈黙の後、雪穂は顔を上げる。
「春ちゃん、私は好きな人がいる。そして、それは春ちゃんじゃない。だから、春ちゃんの気持ちには応えられない。ごめん」
今度はちゃんと会津の目を見て雪穂ははっきりとそう言った。
「……ッ」
分かっていたのだろうが、雪穂の返事に会津は唇を噛み締める。そして、必死に自分の感情を抑え込むように手を握りしめる。
「ボクじゃ、ダメなのかい?」
「ダメだ。そこにいる次郎が私は好きだ」
「なんで……運動だって、勉強だって出来るわけじゃない。なんで、彼なの?」
会津の言葉を聞いた雪穂がこちらに視線を向ける。
あー、なるほど。聞かれたくないのね。はいよ。
「俺、ちょっと飲み物買ってくるわ」
そう言って、二人の下を足早に離れた。
*****
何故、佐々木次郎なのか。
その問いに対する黒井雪穂の答えは酷くシンプルなものだった。
「私が一番辛いときに傍にいてくれたから」
「それだけ?」
「ああ」
そう、それだけ。
黒井雪穂が傍にいて欲しいと願った時に傍にいてくれたのが佐々木次郎だった。
黒井雪穂がかけて欲しい言葉をくれたのが佐々木次郎だった。
黒井雪穂が完全に諦めていたものを、もう一度だけその手に戻してくれたのが佐々木次郎だった。
全ては偶然だ。
黒井雪穂が中学生の時、彼女の初恋の相手である陽翔が彼女の傍にいることを選べば、黒井雪穂の横に立っていたのは次郎ではなく陽翔だったろう。
あるいは、黒井雪穂と佐々木次郎があの日屋上で出会っていなければ、今彼女の横にいたのは会津春華かもしれない。
偶然が積み重なり、その果てに今彼女は佐々木次郎の横にいる。
人はそれを運命と呼ぶ。
「そっか……。それは、ボクじゃ無理だよね」
空を見上げながら会津春華は呟く。
彼女の恋は運命の一言で諦められるような恋ではなかった。だが、諦めるしかないのだろう。
だって、彼女の好きな人が佐々木次郎の横にいて幸せそうにしているところを今日だけで何度も目にしてしまったのだから。
「雪穂ちゃんの横にいる男がもっと碌でもない奴だったら遠慮なく略奪出来たんだけどね」
「物騒なこと言うようになったな。でも、悪いけど私は本気で次郎が好きなんだよ」
「ハッキリ言われるとへこむね……。でも、雪穂ちゃんの気持ちも分からなくはないかな」
「……え?」
予想外の春華の一言に雪穂は目を丸くした。
そうこうしていると、飲み物を買いに遠くへ行っていた次郎が戻って来る。
「ほい、コーラ。会津もコーラでいい?」
「あ、ああ」
「うん。ありがとう」
さっきよりずっと次郎への愛想がよくなった会津を怪訝な表情で見つめながら雪穂はコーラを飲む。
女の勘とでもいうのだろうか。
雪穂の中には何となく嫌な予感があった。
「あれ? 結局話は終わったのか?」
「うん。佐々木君にも迷惑かけちゃったね、ごめん」
「気にすんなよ。好きな人が誰かと被ることなんてよくあることだからな」
朗らかに談笑する次郎と春華。
そんなに悪い雰囲気ではない。そもそも、この二人は雪穂が来る前に二人で話し込んでいた。
そこで、雪穂は気付いた。
さっきまでの春華は失恋して傷心中だったのである。それも、長きに渡る恋の終わりだ。
そこで、ここぞという場面に限って男前(少なくとも雪穂にはそう見える)な表情でクリティカルな言葉をかけてくれる男がいたらどうなるだろうか。
その答えは雪穂がさっき春華に言ったばかりだった。
「ダ、ダメだからな!」
思わず、雪穂が次郎の腕を抱き寄せる。
過去に初恋の相手を友人に奪われたという経験を持つ雪穂にとって、恋のライバルとは最も恐れるべき相手だった。
「ダメって何がダメなんだよ」
「お前もお前だよ! 私がいるのにほいほい女の子に優しい声かけやがって! そ、そんなにボクっ子がいいのか!?」
「ダメだ。会話が通じねえ」
珍しく取り乱す雪穂にお手上げといった様子でため息をつく次郎。
その様子を見ながら、春華はクスリと微笑んだ。
(あの雪穂ちゃんからこんな可愛らしい姿を引き出すなんてね。あーあ、悔しいけど、ボクの完敗かなぁ)
「佐々木君、雪穂ちゃんを幸せにしなきゃ怒るからね」
「ああ。必ず二人で幸せになってやるよ」
いい目だ。春華は次郎を見て改めてそう思った。
それから、春華はすっかりこちらを警戒するようになった雪穂に微笑みかける。
「雪穂ちゃん、たまには素直にならなきゃ佐々木君も愛想つかしちゃうかもよ。どこの誰が佐々木君を狙ってるか分からないんだしね」
そう言って春華がウインクを一つ次郎に向けてしてやれば、雪穂はより一層次郎の腕を強く握りしめる。
「あの、雪穂さん? 腕痛いんだけど」
「渡さねーよ。誰にもな」
「いや、誰の下にも渡らないからさ、もうちょっと腕の力弱めてくれないかなー?」
微笑ましい様子の二人に、春華は背を向けて背伸びを一つする。
(まあ、雪穂ちゃんが幸せそうならいっか。それに、ボクは女の子だし、恋人じゃなくても雪穂ちゃんの傍にはいられるしね)
「それじゃ、またね二人とも」
夕陽を背に春華が二人に微笑みかける。
その笑みは、思わず次郎が見惚れてしまうくらいには綺麗な笑みだった。
「お、おい、春ちゃんに見惚れてんじゃねーよ。私の方が可愛い……よな?」
「お前、何時からそんなしおらしくなったんだ」
「う、うるさい。で、どうなんだよ……?」
「勿論、俺の彼女が世界一可愛い!! 好き!!!」
バカップルを背に春華は帰り道を歩き始める。
「あーあ、失恋しちゃったな」
彼女の頬を零れ落ちる雫が、夕陽を反射してキラキラと輝いていた。
「あ、そういえばこれどうしよう……」
何かを思い出したかのように、彼女はポケットに手を入れ中から某夢の国のチケットを取り出す。
それは、彼女が本来雪穂と共にクリスマスに使用するつもりのものだった。
だが、今の彼女はそんな気分ではない。
迷いに迷った末、彼女は自身が愛した人が喜ぶであろう使い方をすることに決めた。
「佐々木、だったっけ。彼に託そうかな」
*****
会津編はこれで終了です!
ちなみに会津ちゃんは別に主人公に惚れたりしてません。
次回はクリスマス編を書くつもりなので、また読んでくださると嬉しく思います。
俺は学年一の美少女に勘違いしない!(旧題 惚れっぽい男の俺が学年一の美少女の裏の顔を知った結果) わだち @cbaseball7
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