第19話 神田のバスケ
神田をコートに戻す。
そう決めた俺が最初にすることは一つ。
「神田くーん! あーそーぼー!」
「何言ってんだ?」
神田と話すことである。
***
黒井との話し合いが済んだ翌日、神田は学校に来た。それを確認した俺は早速昼休みに神田のクラスへと突撃して、神田を誘って屋上にやって来た。
「急にどうしたんだよ」
無理矢理連れ出されたことに一切怒ることなく、困ったような表情を浮かべながら神田はそう言った。
「神田よ、恋をしたことがあるか?」
「……は?」
突拍子のない言葉に神田が目を点にする。
「ちなみに俺はある。てか、今も恋をしている途中だ。……で、お前は恋してるか?」
「あ、いや……まあ、気になる奴くらいならいるけど……」
照れ臭そうにそっぽを向きながら神田がそう呟く。
ほう。こいつ、気になる人がいるのか……。まあ、それが誰かは聞かないでおこう。今はあまり関係ない。
「そんなことより、わざわざ俺を呼び出したのはコイバナをするためだったのかよ?」
「まあ、半分正解ってところだな。そこでだ、好きな人には笑顔でいて欲しい。この気持ちは分かるか?」
「まあ、そうだな」
この気持ちが分かるなら話は早い。ゴールは目前だ。
「よし、ならバスケをしよう!」
「は?」
「じゃあ、早速だけど今日の夕方からこの間の公園で特訓な!」
「いやいや! 待て待て待て!」
「なんだよ?」
「おかしいだろ!?」
おかしい……?
何を言っているのだろうか? 俺の好きな人が神田にバスケをして欲しいと思っている。そして、神田は好きな人には笑顔でいて欲しいという気持ちを理解してくれている。なら、神田がバスケをすることは明らかじゃないのか?
「いや、何もおかしくないぞ」
「おかしいだろ! 絶対に言うべき過程をいくつか飛ばしてるだろ! せめて俺にも分かるように説明しろ!」
「俺の好きな人、神田にバスケして欲しい。神田がバスケすると皆幸せ。これでいいか?」
「……はあ。めちゃくちゃだが、何となく事情は理解した」
流石、神田だ。
理解が早く助かる。
「だが、俺はバスケをしない」
神田は俺の目を見て、はっきりとそう言った。
「もう無理だ。この間、お前と戦って分かった。俺にはもう以前のようなプレーは出来ない。それに俺だってもう高二だ。いつまでも過去の栄光に縋って生きていくわけにもいかない。怪我する前ならまだしも今の俺はバスケで飯を食って生きていけるような実力もない。さっさと諦めて、少しでも良い人生を送れるように勉強でもした方がましだ」
俺が何かを言う前に神田はそう言った。
そして、そのまま俺の肩をポンと叩く。
「だから、やめてくれ。やっと昨日心の整理が出来たんだ」
神田はそう言うと、背を向けて屋上のドアノブに手をかける。
諦める。それは悪いことじゃない。
諦めなければ夢は叶うなんて言葉は、夢を叶えた強者の言葉だ。
諦めず努力し続けたが夢を叶えられなかった人なんてごまんといる。
諦めることで、新たな可能性が開けることだってある。
「諦めてもいい」
俺の言葉に神田が足を止める。
「でも、最後に俺の我儘に付き合ってくれないか? 頼む。別に、お前にプロになってくれとか、諦めずにバスケを続けてくれって言いたいわけないじゃない。ただ、お前がバスケをする姿を待っている人がいる。その人のためにあと一回だけ立ち上がってくれないか?」
手を床に付けて頭を下げる。
古来より日本に伝わる、最上級の誠意を表す姿勢が俺にできる唯一のことだった。
「……その人には、すまないって伝えてくれ。もう俺はその人が思ってるような上手いプレーは出来ない」
神田はそう呟いてから屋上を後にした。
やばい。
やばいやばいやばい!!
正直、優しい神田のことだしめっちゃお願いしたらバスケしてくれると思ってた。俺の想像を遥かに超えるレベルで神田の覚悟は決まっていた。
てか、予想外の神田の覚悟に『神田復活プラン』伝えるの忘れちまったし……ど、どうしよう……。
***<side 神田>***
バスケが好きだった。
練習して、上達していく感覚が心地よかった。どこまでも上手くなれる、そう思っていた。
あの事故が起きるまでは。
「……もう一度、か」
放課後、一人で帰り道を歩く。
思いだすのは佐々木の言葉だった。
「もう何度もやったさ」
事故が起きて、怪我をした。怪我が治ってから、ドリブルで人を抜くことが出来なくなったと気付くまでに時間はかからなかった。
治ると思っていた。
これまでのように、地道に努力すれば道は開けると信じていた。
だが、何時まで経っても俺はドリブルで人を抜くことが出来なくなっていた。抜こうとするたびに、足が縮こまる。あと一歩が出てこない。
頭と身体が一致しない。そんな感覚だった。
ドリブルで相手を抜けない以上、選択肢はパスかシュートの二択。高いレベルでバスケをするには、ドリブルという選択肢が消えることは余りにも致命的だった。
後悔が無いと言えば、嘘になる。未練もある。
だが、それ以上にもう疲れた。
好きだったバスケがどんどん嫌いになっていく。シュートが上手くなった、足も速くなった。身体も大きくなった。
だが、怪我をする以前のようにドリブル一つでゴールまでの道を切り開くことはもう出来ない。
過去の自分のプレーを思いだすほど、今の自分との差を嫌でも自覚することになる。自分の限界を知った気分だった。
これ以上頑張っても昔の自分を取り戻せないなら、もうバスケをする必要はない。
俺は静かにバスケから離れることを決めた。
「神田先輩!」
不意に声をかけられ、視線を上げるとそこには音羽がいた。
音羽結衣。
初めて出会ったのは、中学の頃。高校で再会してから、俺に良く話しかけるようになった女の子だ。
その子が、今にも泣きだしそうな表情で俺を見る。
「ああ。音羽か。どうかしたのか?」
「神田先輩、バスケもうしないって本当ですか?」
……音羽もか。
大方、佐々木から聞いたのだろう。そっておいてして欲しいんだけどな。
「そうだ。まあ、下手になっちまったしな。これ以上バスケなんかに時間かけてる暇はないさ。俺も来年は受験生だしな」
「……本気で言ってるんですか?」
音羽は縋りつくような目で俺に訴えかけてくる。
止めないでくれ、と。
音羽が俺に期待していることは分かっていた。期待に応えたかった。プレーが上手い姿を見せて、初めて会った時のように彼女を笑顔にしたかった。
でも、俺にはもうそれが出来ない。
「当たり前だろ。もう、バスケなんてやりたくないし、見たくもない」
だから、突き放す。
そうすれば、彼女が俺に囚われることは無くなる。
「……っ! 言わない! 私の好きな神田先輩は、バスケが大好きだった神田先輩はそんなこと言わないっ!!」
音羽が叫ぶ。
「何が分かる」
低く、冷たい声に、音羽がたじろぐ。
「手に入れたものを失い、取り戻すことが出来なくなった。どれだけ頑張ろうと、もう以前の俺には戻れない。お前が求めているのはプレーが上手い俺だ! あの日、お前を笑顔にした俺は、周りの人を熱狂させた俺はもういないんだよ!」
俺の中学時代を知っている人は一様に口にした。
『あの頃の神田が戻ってくれば』
だから、頑張った。周りの期待に応えるために、もう一度あの頃のプレーを取り戻すために。
だが、頑張ってもそこにはたどり着けない。やがて、一人二人と俺に期待の眼差しを向ける奴はいなくなった。
価値があるのは中学時代の俺だ。ドリブルで敵陣を切り崩し、パスと外からのシュートでゲームを支配する。
ドリブルが出来なくなった俺を見る者はいない。
「もう俺に構うな」
それだけ言い残して音羽の横を通る。だが、俺の腕を音羽は掴み取った。
「嫌です……!」
「放せ」と言おうとしたところで口をつぐむ。音羽の目には涙が溜まっていた。
「私は、ずっと怖がってたんです。神田先輩に私がしてきたことは神田先輩にとって迷惑なことで、神田先輩に嫌われているのかもしれないって。でも、佐々木先輩を見て分かったんです。私はやっぱり神田先輩が好きだから、神田先輩には笑顔でいて欲しいから、今の神田先輩を放っておくことなんて出来ません」
「だから、音羽が好きな俺はもういないんだ。今の俺はバスケが嫌いで、あの頃のようなプレーは出来ない」
「バスケが嫌いなら、何でそんなに苦しそうな顔してるんですか!」
音羽の言葉に、目を見開く。
「そ、それは……」
続きの言葉はでてこない。
音羽の言う通りだった。
バスケが嫌いだと言いながら、俺の胸はズキズキと痛んでいた。
佐々木に諦めたと言いながら、心の中に靄がかかったいてスッキリとした気持ちになれていなかった。
それは、本当はまだ俺がバスケを諦めたくない証拠じゃないのか……?
「それに、神田先輩は間違えてます」
間違えている?
俺が?
「プレーが上手いとか下手とかどうでもいいんです。私は、誰よりも楽しそうにバスケをする神田先輩が好きだったんです。私、知ってます。神田先輩が今でもたまに一人でバスケの練習してることも、近所の小学生にバスケをこっそり教えてることも。その時の神田先輩は笑ってました」
「そ、それは……」
音羽の言う通りだ。
俺はひっそりと練習していた。諦めたくなかったからということもある。でも、本当はもっと単純な理由だったんだ。
俺はただバスケをしたかっただけなんだ。好きなバスケを、思いっきり楽しくやりたかっただけなんだ。
「神田先輩の気持ちは少しだけ分かるつもりです。私も周りの期待に応えようと必死に頑張って潰れかけちゃったから……。でも、そんな時私に一番大事なことを教えてくれたのは神田先輩です。上手いとか下手とか関係ない。今も昔も、私はバスケを楽しそうにしている神田先輩が大好きです」
音羽が微笑む。
混じりけのない純粋な感情を真っすぐぶつけてくる。
「もう一生ドリブルで人を抜けないかもしれない俺だぞ……」
「はい。でも、シュートがうてます。パスだって出来ます。神田先輩は、まだバスケが出来ます」
周囲の期待や過去の栄光ばかりに目を向けるうちに、自分がバスケをしていた理由を見失っていた。
俺にバスケをして欲しいと望む人は皆、過去の俺のプレーを望んでいると思っていた。
あの頃のプレーが出来る俺じゃなければ、受け入れられないと思い込んでいた。
でも、そうではないのかもしれない。
少なくとも音羽は今の俺を受け入れてくれている。バスケが好きだけど、下手になってしまった俺でもいいと、そう言ってくれている。
「……バスケやめなくてもいいのか?」
「当たり前です。好きなことを諦めなきゃいけない理由なんてありません。神田先輩がバスケをしたいなら、すればいいんです」
音羽は一切の躊躇いなく、はっきりとそう言い切った。
「そっかぁ……」
空を見上げる。
思いがこみ上げ、視界が滲む。
辛かった。苦しかった。
頭の中にいる過去の自分になりたくて、でも、なれなくて。好きなバスケをすることさえ辛かった。
でも、他人の目を気にせずにすらバスケは昔と変わらずに楽しかった。
結局のところ、俺はまだバスケが好きなんだ。
ただ、自由にバスケを楽しみたかっただけなんだ。
「バスケやりたいなぁ」
自分の本心に気付けいてしまえば、世界は随分とシンプルに感じられた。
「やっていいんですよ。これから何度でも何度でもやりましょうよ。私、見てますから。神田先輩が楽しそうにバスケするところ、ずっとずっと笑顔で見てますから、やめるなんて……言わないでくださいよ……」
音羽が涙交じりにそう言う。
ああ。
佐々木、お前の言っていることがよく分かる。
本当に――
「音羽、ありがとな。俺、バスケやるよ。だから見ていてくれ。昔みたいなプレーは出来ないかもしれないけど、きっとあの日のようにお前を笑顔にしてみせるから」
「はい!」
音羽が弾けるような笑顔を浮かべる。
――好きな人には笑顔でいて欲しい。
***<side end>***
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