第18話 「てへっ」っていう人いる?
「黒井さん!!」
中庭を飛び出した俺は、廊下を早歩きで通過し、自分のクラスに飛び込む。しかし、クラス内にいるはずの黒井雪穂の姿がどこにも見当たらなかった。
「優斗! 黒井さんはどこだ!?」
「く、黒井さんって黒井雪穂さん? それなら、さっき金満先輩に呼ばれてたよ……」
教室で宮本さんとイチャイチャしている優斗に聞くと、優斗は驚いたような表情を浮かべながら答えてくれた。
金満……この間の先輩か。厄介なことをしてくれる。だが、この学校の告白スポットといえば、中庭か校舎裏か屋上のどれかだ。中庭はさっき俺と音羽がいたからあり得ない。そうなると、校舎裏か屋上……。校舎裏から行くか。
「ありがとな!!」
感謝を伝えてから急いで教室を飛び出し、校舎裏へ向かう。
校舎裏に着くと、そこには黒いタキシード姿で金色に輝くバラを黒井に差し出す金満先輩と、困ったような笑顔を浮かべる黒井の姿があった。
「一輪のバラの花言葉は『あなたしかいない』。雪穂、僕には君しかいない。そして、君に相応しい男も僕しかいない! なのに、何故それを分かってくれないんだ!」
「で、ですから、何度も言いますが私は誰かと付き合う気はありません。このようなバラを頂いても困ります。改めてはっきり言わせていただきます。私は、あなたとは付き合いません」
そう言うと、黒井は優雅に頭を下げ金満先輩に背を向ける。
お金にも、金満先輩の優れた容姿にも一切目もくれないその姿は清廉潔白の聖女という言葉が相応しい……と思ったが、よくよく見たら黒井の額に青筋が浮かび上がっていた。
いや、清廉潔白の聖女は言い過ぎだったわ。あれ多分、金満先輩がしつこいから嫌いになってるだけだな。あいつ、前にも俺にしつこく告白するのはキモいとか言ってたし。
いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。話も丁度終わったみたいだし、さっさと黒井に相談しなければ。
「黒井さん! ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「佐々木君? ええ、いいですよ」
突然現れた俺に驚いたような表情を浮かべた後、黒井は笑顔でそう言った。そして、そのまま黒井が俺の下に歩み寄って来る。
「待て! 雪穂!!」
しかし、黒井を金満先輩が呼び止め、黒井の下に歩み寄って来る。
それを見た俺は黒井の前に立ち金満先輩と相対する。
「……何だ君は? 僕は雪穂に話しがあるんだ。そこをどいてくれ」
「黒井さんは先輩との話は終わったと言ってます。それに、この後黒井さんは俺と大事な話があるんですよ。それじゃ、また」
「……え? ちょっ!」
金満先輩の鋭い視線に負けないように堂々とそう言い放つ。そして、黒井の手を握りしめ、その場からさっさと離れた。
***
「さ、佐々木君! 手を放してください!」
校舎裏から離れると直ぐに黒井が声をかけてくる。
「お、おお。悪い、ついやっちまった」
金満先輩が鬱陶しかったからとはいえ、少しばかり強引だった。直ぐに手を離して、黒井に「すまん」と謝る。
「いえいえ、こちらこそ助かりました」
そう言うと、黒井は微笑みながら頭を下げる。
あまりに自然すぎる笑顔が逆に怪しい。裏では、『手汗かきすぎだろ、この男』とか思われてるかもしれない。
「ところで、話したいことというのは何でしょうか?」
顔を上げた黒井に言われ、俺は本来の目的を思いだした。
「ああ、そうなんだ! 実は、黒井にお願いがあって――」
キーンコーンカーンコーン。
正に今、相談をしようとしたところで昼休み終了五分前を告げるチャイムが鳴る。
「黒井、放課後屋上に来てくれ!」
「……分かりました」
少し考える素振りを見せた後、黒井は頷いた。
よし! とりあえず約束は出来た。昼休みの間に相談できなかったのは残念だが、放課後でも問題はないだろう。
「ありがとう! それじゃ、また!」
黒井にそう言い残して、校舎の中に戻る。後は放課後を待つだけだった。
***
放課後になり、屋上で黒井を静かに待っていると屋上の扉が開き、黒井が姿を現した。
「……何の用だ?」
扉を閉め、屋上に俺以外誰もいないことを確認した黒井が口を開く。その口調は、俺と二人でいる時のいつもの黒井のものだった。
「頼みがある!!」
黒井の姿を確認した俺はそう言って黒井に勢いよく頭を下げた。
「……そういえば、今日は皆でカラオケ行こうって話してたんだった! それじゃ、私は帰るな! お前も遅くならないうちに早いところ帰ろよ」
「ちょっと待てええええ!!」
俺に背を向け、屋上を後にしようとする黒井の肩を掴む。
「話くらい聞いてくれてもいいんじゃないか?」
「嫌だよ。どうせ、あの日私を脅したみたいに面倒なことを要求するつもりなんだろ?」
「そんなことないぞ! 今回はお前の大好きなバスケットボールに関することだ!」
満面の笑みを黒井に向ける。だが、黒井は俺の顔を見てげんなりとした表情を浮かべていた。
人の顔を見てげんなりするとは失礼な奴だな。
「バスケは好きだが、それは私がやりたいと思う時だけだ。それに私だって暇じゃねーんだよ」
「うっ……な、ならせめて話だけでも聞いてくれないか!?」
「……聞くだけだぞ」
面倒そうにため息を一つついた後、黒井はそう呟いた。
「ありがとう!!」
***
黒井は既に俺が音羽に惚れていることも、神田がどういう状況にいるかも知っている。そして、何より黒井には知識がある。
バスケの知識もそうだが、それ以上に神田のイップスのことを知っている辺り、少なからずスポーツ医学に関する知識もあるのかもしれない。
黒井に聞きたいことは一つ、どうすれば神田が再びバスケに復帰出来るかということだ。
「知らね」
俺の話を聞いた黒井の第一声はそれだった。
「……え? いや、でもお前バスケのこと詳しいだろ。イップスについても知ってたみたいだったし」
「前にも少し話したがイップスってのは心の病気みたいなもんだ。ある日突然治ることもあるし、一生治らないこともある。特効薬は無いんだよ。それに、お前のやろうとしてることはただのエゴだ。それを神田や音羽って奴が望んでるとは限らない。止めとけ。世の中はお前が思うほど甘くないし、上手くいかない」
黒井の言いたいことはよく分かった。
イップスが治るかは分からないことも、俺の行動が子供みたいな夢物語だということも。
だが、それがどうした。
「じゃあ、イップスについてはいい。諦める」
「分かってくれたなら良かった。私たちも高二だ。そろそろ大人になり始めねーとな」
俺の言葉を聞いた黒井はそう言って、手を振りながら俺に背を向ける。
黒井の中ではもう話が終わっているようだが、俺の中ではまだ終わっていない。
「待て」
「なんだよ?」
「一つだけ聞かせてくれ。別に、ドリブルが出来なくたってバスケは出来るよな?」
「……は? お前、本当にバスケ経験者か?」
「失礼な。中学一年から三年まできっちりやってたぞ」
「…………できなくもない」
かなりの時間、考え込んだ後、黒井はそう言った。
「そうか。お前が言うなら間違いない。俺のこの考えは間違いじゃないみたいだ」
俺の中の疑念が確信に変わる。後は神田を説得するだけだ。
「おい……。正気か?」
黒井の横を通り、屋上を出ようとすると、今度は黒井が俺を呼び止めた。
「安心しろ。正気だ」
俺の発言を聞いた黒井は深いため息をつく。
「はぁぁぁ。あーうん。お前はもうそれでいいよ。ほら、さっさと行け」
シッシッと投げやりに手を振る黒井。
自分から呼び留めた癖して、何と雑な対応だろうか。
まあ、これ以上黒井と話すこともないから別にいいんだけどな。
「……責任はとれよ」
屋上を出る間際、黒井が夕陽を眺めながら放った言葉が俺に向けられていると理解するまでに数秒かかった。
「……え? それって、俺とお前が結婚するってこと?」
「バカ。ちげーよ。お前のやろうとしてることは良くも悪くも人の人生を変えることだ。失敗した後に、『失敗しました。ごめんね。てへっ』じゃ許されないって言ってんだよ」
黒井が鋭い目つきで俺を見る。
俺を脅すつもりなのかもしれないが、そんな黒井の鋭い目つきより俺にはもっと別のことの方が気になっていた。
「黒井」
「……なんだよ?」
「さっきの『てへっ』ってとこ、結構可愛かったから今度は舌出してウインクしながらやってくん――ぶへっ!?」
黒井が放った上履きが俺の頬に直撃する。
何という上履き捌き……。こいつは絶対に小学生の頃、『明日、天気になーれ』って、靴でお天気占いをしていたタイプの人間だ。
「ふんっ」
上履きを回収した黒井は鼻を一つ鳴らしてから、俺の傍に来る。
「精々頑張れ」
そう言うと黒井は、そのまま屋上を出て階段を降りていった。
前にもこんなことがあった。
そう、あれは期末試験の日。俺が宮本さんと結ばれたい一心で、本気でテストに挑む直前の時だ。その時も、黒井は小さな声で俺にエールを送ってくれた。
黒井の考えてることなんて、俺には全く分からない。
だが、少なくとも黒井は俺に期待してくれているらしい。
「ああ」
出来るかどうかは分からない。
それでも、やると決めたからやる。
音羽の思い。
神田の苦悩。
黒井の期待。
そして、俺の恋。
全てを賭けて、俺は神田をバスケットコートに連れ戻す。
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