第53話 ワンナイト

 肉じゃがの残りを利用したコロッケと唐揚げがメインの夕飯を食べ終えた後、俺は黒井と並んで皿洗いをしていた。

 秋姉は先にお風呂へ行っている。


 夕飯を食べている間も秋姉は笑顔だった。明るく、いつも通りに振舞っていた。

 だが、何故か俺は村野という男に会ってから車内にいる時までの秋姉の表情が忘れられない。


「――き! おい! 佐々木!」

「え? な、なんだ?」


 急に名前を呼ばれたことに驚きつつ横を見る。そこには頬を膨らませていかにも不機嫌ですといった様子で俺を睨みつける黒井がいた。


「だから、今日の飯もしかして美味しくなかったか……って聞いてんだけど」


 そう言う黒井はどこか自信なさげで、落ち込んでいるようにも見えた。


「いやいや! そんなことないって! めちゃくちゃ美味かったぞ!」

「でも、その割には昨日に比べて反応が無かったし……」

「あー、それは悪い。ちょっと考え事があってな。でも、美味かったのは本当だぞ。その証拠にご飯三杯もおかわりしただろ?」


 そこまで言うと、黒井も「まあ、確かに」と言って納得してくれた。

 暫くの間、二人で皿を洗う。揚げ物にしたせいか、皿には油汚れが付着しており、綺麗にするのは大変だった。

 一通り皿を洗い、乾燥機にかけてから手をタオルで拭く。そして、ソファーに座ってテレビを見ていると、黒井が隣に腰かけた。


「で、考え事ってなんなんだよ?」


 少しだけ考える。

 一人で悩んでも仕方ないが、秋姉のプライベートな部分に踏み込むことだ。やっぱり話しにくい。

 とはいえ、何でもないと言っても黒井は納得してくれないだろう。適当に誤魔化すことにしよう。


「男女間の関係性の難しさについて考えてた」


 黒井の肩がビクッと跳ねる。そして、どことなく頬を引きつらせながら視線を逸らした。


「へ、へー。お前も、そういうことに悩むんだな……。なに? 身近にそういうことを考えるきっかけでもあったのかよ?」

「まあな」

「ち、ちなみに、その女の人とのお前の関係は?」

「え? 幼馴染だけど……あっ」


 言ってから気付いた。

 これ言ったら、秋姉ってバレるじゃん。折角誤魔化したのに、全部無駄になっちまった。


「やっぱ、今のなしで。忘れてくれ」


 慌てて黒井に訂正するが、黒井は呆然としており、曖昧な返事しか返ってこなかった。


「とにかく、さっきのことは忘れてくれ。間違っても誰かに言ったりするなよ」


 念のために黒井に釘を指しておく。黒井はやけに深刻な表情で「あぁ」と小さく頷いた。

 それから、黒井は黙りこくって何かを考え込み始めた。


 黒井が話しかけづらい雰囲気を放っていたこともあり、大人しくテレビを見ていると、リビングの扉が開く。

 そこから、タオルを頭に乗せた寝巻姿の秋姉が姿を現した。


「お風呂、次の人どうぞ」

「はーい。黒井、お前先に行けよ」


 俺が入った後は嫌だろうと思い、黒井に提案する。だが、黒井は首を横に振った。


「私はまだいい。お前が先に入れ」

「いいのか?」


 黒井は神妙な面持ちで頷く。それならいいか、と二階に着替えを取りに行ってからお風呂へ向かった。




***<side 黒井>***



 佐々木がリビングを出て行って数分が経ってから、私はダイニングテーブルの上でパソコンを開いて作業をしている篠原さんに目を向ける。

 自分で用意したであろう紅茶を片手にパソコンに向き合う姿は、普段の可愛らしい様子とは一変して、出来る大人の雰囲気が出ていた。


 一先ず、篠原さんと佐々木を二人きりにすることは阻止できた。だが、佐々木の話ぶりからして、私の知らないところでこの二人に何かがあったことは間違いない。

 思えば、篠原さんは佐々木と一緒に帰ってきていたし、帰り道に何かあったと見るべきだろう。

 佐々木は話すつもりがないみたいだから、篠原さんに直接聞きしたいところではある。だが、キーボードをリズムよく叩く篠原さんの様子を見ると、躊躇してしまう。


 チラチラと篠原さんの方を見ていると、私の視線に気づいたのか、篠原さんがこちらに微笑みかけてきた。


「そんなに見つめてきて、どうしたの?」

「あ、いや……」


 聞こうかどうか迷っていると、篠原さんは背伸びを一つしてパソコンを閉じた。そして、コップを持ってこちらに来て、私の隣に腰かけた。


「丁度休憩しようと思ってたし、話があるなら聞くよ?」


 どうやら、私の考えていたことはバレバレだったらしい。そのことを少しだけ恥ずかしく思いつつ、気になっていることを聞くことにした。


「あの、帰りになにかあったんですか?」


 篠原さんはキョトンとした顔を浮かべてから、思い当たることがあったのか、「あはは」と苦笑いを浮かべる。

 その様子にやはり何かがあったのだと、私は確信した。


「次郎から何か聞いた?」

「いえ……。ただ、佐々木の様子がおかしかったし、あいつがやけに篠原さんの方を見ていたので、何かあったのかなと」


 一応、佐々木が口を滑らせたことは隠すことにした。代わりに、それっぽい理由を並べておいた。

 事実、今日の夕飯の間、佐々木はチラチラと篠原さんを見ていたからバレはしないだろう。


「あー、次郎は分かりやすいもんね」


 そう呟いてから、篠原さんは目を閉じて小さく唸るとゆっくりと口を開く。


「まあ、大したことじゃないよ。ただ、ちょっとうまくいかなかったってだけ」


 うまくいかなかっただけ。

 篠原さんはそう言って自嘲気味に笑う。


 どういうことだ? あるとすれば、篠原さんが佐々木に告白したけど、フラれたというパターンか、佐々木が篠原さんに告白したパターンだ。

 いや、でもそうだとしたら佐々木がもっと気まずそうにしていてもおかしくない。


 考えれば考えるほど分からない。混乱する私を他所に、篠原さんは言葉を続ける。


「長く一緒にいても、相手の気持ちは分からないし、自分の気持ちを伝えるのも難しいよね。雪穂ちゃんは、私みたいにならないようにね」

「それって――」

「さて、そろそろ再開しようかな」


 どういうことですか? そう問いかけることは出来なかった。

 ただ一つ分かったことは、篠原さんは人間関係で、何らかの失敗をしてしまったということだけだ。

 問題はその失敗に佐々木が関わっているかどうかなのだが、これに関しては分からない。


 いや、少なくとも篠原さんが佐々木と付き合ったということは無いのだろう。だが、現在佐々木は篠原さんを何かと気にかけている。

 それはいい。それはいいのだが、それによって佐々木が篠原さんに靡かないが不安だ。


 あいつは驚くほど単純。多分、篠原さんのような普段は頼りになる女性が弱っているところを見れば力になりたいと考えるはずだ。

 そして、そういう時に限ってあのバカは輝く。

 その輝きに篠原さんが惹かれないとも限らない。いや、この私でさえあのバカの魅力にやられたのだ、そうなるに違いない。


 このままでは篠原さんルートまっしぐら。それだけは阻止せねばならない。


「……やるしかないか」

「何をやるって?」

「ひゃあ!!」


 決意を固め、斜め下の床を見つめながら呟くと同時に、背後から佐々木の声がして、思わず可笑しな声が出る。


「ひゃあって、現実でそんな声出すやついるんだな」


 おかしそうに口を押えて笑う佐々木。なんだか恥ずかしくなり顔が熱くなる。


「き、急に声かけるなよ!」

「悪い悪い。とりあえず、俺も風呂あがったから黒井入れば?」


 半笑いで謝罪の言葉を口にする佐々木にジト目を向けつつ、考える。


 ここで私がお風呂へ行けば、ここは篠原さんと佐々木だけの空間になる。そうなれば、私を除け者にして、この二人がラブコメを始めるかもしれない。

 それだけはダメだ。


「あー、後から入るわ。それより、お前明日までの課題やってんのかよ?」

「課題って?」

「数学の復習と、英語の予習しとけって言われてただろ」

「あ! やべえ!!」


 分かりやすく慌てふためく佐々木。

 予想通り課題をやっていなかったらしい。


「ほら、手伝ってやるからノートと教科書持ってこいよ」

「まじで!? 助かる!」


 そう言うと、佐々木は自分の鞄を取りに二階へと駆け上がっていった。

 その後、戻って来た佐々木と一緒に課題に取り組んだ。



「はぁ……終わったー」

「お疲れ」


 佐々木の課題が全て終わる頃には時刻は夜の十一時を回っていた。篠原さんは途中で、明日に備えて寝ると言って先に寝室に行っている。


「黒井、ありがとな」

「まあ、貸し一つってことだな。じゃあ、風呂行ってくるわ。あれだったら先に寝ててもいいぞ」

「おう」


 佐々木にそれだけ言い残して浴室に向かう。

 夜も遅いし、シャワーだけで済ますことにした。


 髪を洗い、身体を洗ってから浴室を出る。

 寝巻きを身に付け、ドライヤーで髪を乾かす。

 髪が乾いてから、化粧水と乳液で肌のケアをする。


 脱衣所を出ると、リビングの電気はまだ点いていた。


「まだ起きてたのかよ」


 リビングに入ると、テレビを見ている佐々木がいた。佐々木は私に気付くと、あくびをしてから身体を起こした。


「いや、そろそろ寝ようと思ってたところだ。黒井ももう寝るだろ?」

「ああ」

「なら、電気消すぞ」


 佐々木がリビングの電気を消し、二階へ続く階段を上る。その後ろを私はついて行った。


「それじゃ、おやすみ」

「おやすみ」


 佐々木が自分の部屋に入ったことを確認してから私も、寝室に入る。寝室の中では既に篠原さんが眠りについていた。

 篠原さんを起こさないようにそっとベッドの中に潜り込む。そして、布団にくるまりスマホの電源を点ける。


 時刻は0時前。

 そのまま私をスマホを点けっぱなしにして、時間が過ぎるのを待った。


*********


 ベッドの中に入ってから、およそ一時間が経過した。

 恐らくだが、もう佐々木は眠りについているだろう。動くならここしかない。

 そう、夜這いだ。夜這いと言っても佐々木に襲い掛かるつもりはない。

 ただ、佐々木を軽く起こし、寝ぼけて夢と現実の判断がつかない状態の佐々木にあれこれとアピールするという予定だ。

 上手くいけば、佐々木に私の夢を見たと思わせ、私を強く意識させることが出来るという、完璧な作戦だ。

 スマホの電源を切り、布団から出ようとした時、隣のベッドから物音がした。

 思わず息を止めて気配を殺す。

 小さな足音がしたかと思えば、寝室の扉が開き、そして閉まった。横を向くと、隣のベッドで寝ていたはずの篠原さんの姿が無くなっていた。


 多分、お手洗いだろう。

 流石に、この状況では行動に移せない。篠原さんが戻ってくるまで大人しくするか。

 そして、十分が経過した。


 ……おかしい。いくら何でも長すぎる。

 もしかするとお手洗いではなく電話でもしているのかもしれない。だが、一抹の不安が拭いきれない。

 もし、篠原さんが佐々木の部屋に行っていたら……?


 そう思うといてもたってもいられなくなった。

 直ぐに、身体を起こし物音をたてぬようベッドから降りる。そして、静かに寝室を出て廊下の向かいにある佐々木の部屋のドアノブに手をかける。

 一度、深呼吸をしてから、意を決してドアを開ける。


「なっ……!!」

「く、黒井!?」

「あちゃー……これはやっちゃったなぁ」


 ベッドの上で焦る佐々木、その上に跨り、気まずそうに笑う篠原さん。


 考え得る限り、最悪の光景が目の前に広がっていた。


***<side end>***

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