第60話 方向性
月曜日の放課後、俺は軽音部の部室を訪れた。
あの日、方向性の違いにより解散してから拓郎と九朗がこの部室を訪れることは無かった。
だが、この日、部室の鍵は既に開いていた。中に入ると、そこには拓郎と九朗の姿があった。
「お前ら、丁度良かった。大事な話があるんだ」
「それはよかったべ、俺からも大事な話があるべ」
九朗は俺と拓郎の様子を静かに見ていた。
部室の椅子に三人で座る。
こうして会うのは一昨日以来だ。最初に口を開いたのは俺だった。
「拓郎がいつだか言ったよな。大事なのは熱だって、音楽で人の心を震わせるには熱が必要だ、と。俺の思いを伝えたい人がいる、背中を押したい人がいる。でも、俺一人じゃ足りない。だから、頼む。お前らの力を貸してくれ。もう一度、俺とバンドを組んでくれ」
そのまま頭を二人に下げる。
俺一人じゃ意味がない。この三人でこそ出来ることがある。
「その人はもしかして村野さんだべか?」
「ああ、そうだ」
拓郎の言葉に顔を上げると、拓郎は険しい顔つきだった。
やはり村野さんに対して拓郎はいい印象を持っていないのだろう。
「俺は、あの人が嫌いだべ。あの人の気持ちが一つも分からないわけじゃないべ。それでも、好きな人を傷つけられて、黙っていられるほど俺は賢い男じゃないべ!」
やはり、拓郎は村野さんへの怒りを抑えきれないらしい。
「でも……悔しいことに、今、篠原先生が求めている相手はあの男だべ」
拓郎の目からは涙が零れ落ちていた。
「……拓郎殿は今日の昼休み、篠原先生に思いを伝えたんですぞ」
「え……」
九朗の言葉に俺は言葉を失った。
既に拓郎は動いていたのだ。そして、この様子だとフラれたのだろう。
「思いを伝えて、気付いたべ。篠原先生の心にはまだ村野さんがいる。あの人は、村野さんを待っているべ! 情けないべ。好きな人が寂しそうに笑っているのに、俺は篠原先生を心の底から笑顔にすることは出来ないべ……!」
「拓郎……」
唇を悔しそうに噛み締める拓郎。
そんな拓郎にかける言葉を俺は持ち合わせていなかった。
「だから、俺も協力するべ」
「え?」
それは予想外の言葉だった。
思わず目を点にして拓郎の顔を見てしまう。拓郎の表情に嘘は無かった。
「い、いいのか?」
「本当は、あんな男の協力なんてしたくないべ。でも、好きな人の寂しそうな表情を見るのはそれ以上にごめんだべ。それに、篠原先生も村野さんと改めて関わればきっとそのヘタレ加減に愛想つかして、俺に振り向くべ!」
拓郎は真っすぐ淀みの無い瞳でそう言った。その表情に迷いは見えない。
「そっか……。なら、頼むぜ」
「おう!」
「後は……」
拓郎と手を繋いでから、九朗の方に顔を向ける。九朗は腕組みをして俺たちの様子を静かに見ていたが、俺の視線に気づくとゆっくりと口を開く。
「ふっ。拙者、昔からすれ違いものは苦手なんですぞ」
「……は?」
こいつは一体何を言っているのだろうか?
すれ違いもの? 確かにすれ違いものは俺も結構、苦手だけど……。
「篠原先生と村野殿の恋はすれ違いものの様相を呈していますぞ。その内、篠原先生を狙う竿役が現れるのも時間の問題。そんなこと許せるはずがありませんぞ! 拙者も当然協力させていただきますぞ!」
九朗はそう言うと拳を突き上げて立ち上がる。
「いいのか? 村野さんは、九朗の恋のライバルだろ?」
「ふっ。既に篠原先生に思いは伝えましたぞ。失恋は悲しきこと、とはいえ、それは拙者が恋した女性の幸せを願わないことには繋がりはしませんぞ」
そういう九朗の目の端には僅かに涙の渇き跡が残っていた。
失恋は辛い。中には、辛さのあまり、好きだった相手の悪口を言ってしまう人だっている。
それは自らの心を守るための行動であり、仕方のないこととも言える。
それほどまでに失恋は心に大きな傷を生む。その回復にも多大な時間がかかる。
それまでは自分のことで手一杯で、誰かのために、ましてや自分の恋敵のために行動しようなんて到底思えないはずだ。
それにも関わらず、この二人は秋姉の幸せの為だと言って俺に協力してくれようとしている。
なんだよこいつら……。
めちゃくちゃかっこいいじゃねえか。
何故か知らないが、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「やれやれ、結局三人揃っちゃいましたな」
「へっ。まあ、俺はまだ篠原先生を諦めていないべ。今回は利害が一致しているだけだべ。でも、やるからには全力だべ!」
「……ありがとな、二人とも」
一度は方向性の違いにより解散した俺たち。
だが、俺たちの根っこは変わっていなかった。そう、解散した時だって、俺たちはそれぞれ秋姉のことを思っていた。
その根元が変わっていないからこそ、再び俺たちは同じ向きを向くことが出来た。
「やるぞ」
「だべ」
「ですぞ」
夕陽が差し込む部室。
その一言で十分だった。俺たちはそれぞれ楽器を持ち、演奏を始める。
およそ一週間もの間、合奏はしなかった。そのせいで嚙み合わない部分は少なからずある。
だが、間違いなく今の演奏の方が熱い。
それだけは自信を持って言えた。
*********
オレンジ色に染まりゆく空の下、浜辺で篠原秋は静かに沈みゆく夕日を眺めていた。
哀愁を漂わせるその雰囲気を纏った秋に話しかけるものはいない。
「秋姉、また来てたのか」
「次郎……」
秋の幼馴染である佐々木次郎を除いては。
いよいよ文化祭が明日と迫った金曜日の夕方、早めに練習を切り上げた次郎は秋を探してわざわざ自転車でこの海まで来ていた。
「拓郎と九朗に告白されたらしいな」
「うん」
「村野さんのことが、まだ好きなんだよな」
「……うん。でも、もう諦めよう――」
「明日」
秋の言葉を次郎は遮る。
視線はそのまま海に向けたままで、次郎は言葉を続ける。
「明日、俺たちステージに立つんだよ。まあ、軽音部だしな」
「そうなんだ」
「秋姉は俺にバカであるべきだって言ったけど、世の中そうなれる人ばかりじゃないよな。バカなままで生きられたら楽だけどさ、大きくなっていくうちに色々と考えることが増えて慎重になってしまうんだよな」
「そう、だね……」
秋自身にも思い当たるところがあるのだろう。
歯切れは悪かったものの、次郎の言葉に頷きを返す。
「でもさ、だからこそ悩んだ末に選んだ選択には価値があると思うんだ。バカみたいに直ぐに決断を出せることは勿論いいことだと思う。でも、それと同じかそれ以上に、悩んで、迷って、苦しんで、その果てに自分で出した答えには価値がある。その答えを出した時、その人には覚悟が宿ると思うんだ。だから、明日までは待ってやってくれないかな。村野さんはまだ悩んでる途中だと思うからさ」
次郎はそう言うと、静かに秋に背を向けてその場から立ち去った。
返答を聞かずとも、次郎には秋が必ず村野を待つ選択をするという確信があった。
そして、その確信は当たりだった。
「待つ……か」
今までも秋は待ってきた。いや、本来ならば自分から行くべきだったのだろう。
それでも、秋は村野からの一歩を期待していた。
相手からの告白を待つなど、あまりに傲慢な考えだ、と他人に言われようと、秋はどうしてもそれが欲しかった。
「可愛い弟分にお願いされたら、断るわけにはいかないよね」
こうして、秋は待つことを選ぶ。
その選択の果てにどんな結末が待っているのか、結局のところそれは村野次第である。
浜風が秋の身体を吹き付ける。
「寒いなぁ」
身体をぶるっと震わせてから、秋は名残惜しそうに夕陽に背を向ける。
秋は少しづつ深まっていく。
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