第16話 壊れた天才
黒井と近くのコンビニで飲み物を買ってから公園に戻ると、コートからダムダムとボールをつく音が聞えて来た。
どうやら、俺たちがいなくなった後に誰かがやって来てバスケを始めたらしい。
誰がバスケをしているのか気になり、こっそりと木の陰に隠れて様子を伺う。
「……あいつ、上手いな」
バスケをしている男のプレーを見て、黒井が呟く。
黒井の言う通り、男の動きにはキレがあり、ボールをまるで自分の身体の一部化の様に自在に操っていた。
「ん? 神田じゃねーか」
暫く見惚れていたが、男がこちらに顔を向けた時に俺は気付いた。プレーをしていたのは俺の友人の神田で、おまけに神田が使っているボールは俺のボールだった。
「知り合いか?」
「ああ。隣のクラスの神田って言っても知らねーよな」
「いや、知ってる」
黒井の言葉に少しだけ驚く。
黒井はあんまり男子とかに興味を持つタイプじゃないと思ってたから、少し意外だった。
「まあ、神田は割と有名だもんな。イケメンだし、運動できるし」
「ああ。お前と違ってな」
「最後の言葉絶対に言わなくてよかったよなぁ!?」
黒井の言う通りではあるが、時に真実は人を傷つけるということをこいつは知らないのだろうか?
「……唯一」
「え?」
「あの男は、私が唯一敵わないと思ったバスケットプレイヤーだ」
やけに真剣な表情で黒井はそう呟いた。
「え? なに? 今からお前と神田のラブストーリーでも始まんの?」
滅多に黒井が見せない表情を見せたことで、思わずそう口に出す。だが、その瞬間黒井が鬼のような形相で俺を睨みつけた。
「ちげーよ。あいつは滅茶苦茶上手いバスケの選手だったんだよ。中学の頃、全国大会で試合を見たからよく覚えてる。全国大会で怪我したことも、よく知ってるよ」
「へー。え!? あいつ、全国大会で怪我したのか!?」
「知らなかったのかよ。試合終了まで残り時間五秒で、ドリブルで相手選手を抜こうとしたときに悪質なファウルを受けて大けがをしたんだよ」
黒井の言葉を聞きながら神田のプレーに目を向ける。そんな大けがをしたとは思えないほど、動きは俊敏でキレもある。それこそ、俺からしたら高校のバスケ部の奴らのプレーと比較してもそん色ない、寧ろ神田の方が上手いように見えるくらいだった。
「見惚れてるけど、ボール返してもらわなくていいのか?」
「あ、そうだった。ちょっと行ってくるわ。黒井も行くか?」
俺の言葉に黒井は静かに首を横に振った。
「そうか」
それだけ言い残して、俺は神田の下へ歩いて行く。
丁度、神田がシュートを決めて一息入れているところで神田に近づき、声をかける。
「よっ」
「何だ、佐々木か」
「何だとは何だよ。バスケ、やっぱり上手いんだな」
俺の言葉に神田の表情が僅かに曇る。
あ、そうだった。あんまり神田はバスケの話をして欲しくないんだったよな……。でも、それなら何でバスケしてたんだ? まあ、いっか。
「ああ、悪い。嫌なこと思いださせちまったよな。とりあえずさ、そのボール、俺のだから使い終わったなら返してもらってもいいか?」
「そうだったのか。勝手に使って悪かったな」
そう言うと、神田は足元に転がっているボールを拾う。そのまま俺に渡してくるかと思ったが、神田はボールをジッと見つめた後に、真剣な表情で俺に目を向ける。
「なあ、佐々木。一回だけ勝負しないか?」
神田の目的も、考えていることも俺には全く分からない。だが、拒否する理由も無かったため、俺は神田の提案に了承した。
「ありがとな。付き合ってくれて」
「気にすんな」
俺の目の前でボールを持つ神田に軽く返事を返す。
勝負は神田がオフェンス、俺がディフェンスで、神田がシュートを決めれば神田の勝ちというものだ。
神田はこの勝負が己の運命を占う一戦であるかのように、緊張した面持ちでいた。
「ふぅ……。行くぞ」
深呼吸を一つした神田の目の色が変わる。ゆったりとしたドリブルから神田が一気に加速して右から抜きに来る。
かろうじて反応できたが、次の瞬間、神田の身体は左に舵を切る。既に右足に体重が乗っかっていた。だが、そんなに簡単に抜かされるわけにはいかない。
「うおおおお!!」
せめて視界に入って邪魔くらいはしてやる。
根性で右足を蹴りだし、神田を止めに行く。そんな俺を見て、神田はその場で急停止し、そのまま後ろに飛びながらシュートを放つ。
左についていった時点で振り切られかけていた俺が、神田のシュートに反応できるはずもなく、フリーで放った神田のシュートは綺麗な弧を描いてリングに吸い込まれていった。
「す、すげぇ……」
口から漏れたのは感嘆の声だった。
ほぼ静止している状態から一気に加速する爆発力、加速しながら方向転換を容易にこなすだけの下半身、体幹の強さ。
天性のものと、努力で積み上げたもの、その二つがたった一つのプレーに凝縮されているように感じた。
「佐々木、ありがとうな」
シュートを決めた神田が笑顔で俺に近づいてくる。
神田は紛れもなく凄いプレーをした、そう俺は感じた。だが、神田にとってはそうではないのか、神田の笑顔はどこか困ったような、無理をしているようなものに見えた。
「……もう一回やれよ」
神田に返事を返そうとしたところで、神田のものでも、俺のモノでもない言葉がその場に響く。
声のした方を向くと、そこにはフードを深くかぶった黒井の姿があった。
「く、く――」
黒井、そう呼びそうになったところで口を閉じる。黒井がシーッというように、口を人差し指で抑え、俺を見ていたからだ。
「誰だお前?」
突然現れた黒井に、神田が問いかける。
「通りすがりの元天才バスケ美少女だよ。それより、もう一回やれ。次はそいつが勝つから」
黒井は俺の方を指差してそう言った。
え、俺?
いや、勝てる気しないんだけど、本気で言ってんの?
「……そんな挑発でやるとでも?」
「お前も気付いているであろう、弱点を親切に教えてやるって言ってんだ。なあ、壊れた天才」
黒井のその一言に神田の顔が歪む。
「やってやるよ」
そう言うと神田はバスケットゴールの近くに転がるボールを拾いに行った。
その隙に俺は黒井の下に駆け寄る。
「いやいや、お前何言ってんの!? さっきのプレー見ただろ! 実力差がありすぎるんだよ!」
「うるせえ。私が勝つって言ってるんだから、お前は勝つんだよ」
さも当然かのように黒井はそう告げる。
こいつの自信は一体どこから湧いてくるんだろう。さっきも、さりげなく自分のことを天才とか美少女とか言ってたし。
「まあ、安心しろ。お前はあることをすれば必ず勝てる」
「あること?」
「そうだ。外からのシュートを打たせない、常にあいつの身体に身体を寄せる。これだけだ」
「何言ってんだ。あいつのドリブル技術があれば、俺が身体を寄せに行った瞬間に抜かれるぞ」
「あいつには抜けねーよ」
黒井は詰まらなさそうに、神田の方に目を向けてそう呟いた。
抜けない? どういうことだ?
あれだけのドリブル技術があれば、俺なんて抜くのは容易いはずだ。現に、さっきだって簡単に俺を振り切っていたし……。
「佐々木、悪いけど付き合ってもらうな」
黒井の言葉に頭を悩ませている内に、神田の準備が整ったらしい。
「お、おう」
黒井の真意も狙いも分からないが、とにかく黒井の言っていた通りやるしかない。
神田が俺にボールを投げる。それを受け取り、神田にボールを返す。それが、勝負開始の合図だった。
素早く神田との距離を詰める。
当然、神田はその俺を躱そうとするが、何とか神田に食らいつく。すると、直ぐに異変は現れた。
「……っ!」
神田がやけに俺から離れたがるのだ。いや、それは当たり前だが、普通は抜きに来る。しかし、神田はひたすら横か後ろに行って俺から離れようとするばかりで、一向に俺を抜こうとしない。
理由は分からないが、抜けない、と言った黒井の言葉はどうやら正しいらしい。ならば、後はひたすら距離を詰めるだけ。
「くっ!」
距離を詰められることを嫌った神田が、苦し紛れにシュートを放つ。だが、体勢が崩れた状態で放ったシュートはリングに弾かれ、俺の手に納まった。
か、勝ててしまった。
まさかの結果に驚きつつ神田に視線を向けると、神田は下唇を噛みしめ、表情に悔しさを滲みだしていた。
「……っ! やっぱり、俺はもう……」
神田はそう言うと、逃げるようにその場を立ち去った。
「あ! おい、神田!!」
「……逃げたか。期待したんだけどな、まあ、無理があったか」
神田が立ち去った後に、黒井が俺の横にやって来る。
「無理があったって、どういうことだよ。何で神田は逃げ出したんだ?」
「イップスだろうな」
「イップス?」
何か漫画で呼んだことがあるぞ、大きな失敗とか何かがきっかけで思い通りにプレーできなくなったりすることだっけ?
「ああ。噂であったんだよ。あの神田はイップスになった。だから、怪我が治ってもバスケをしていないってな。その噂の真偽を確かめようと思ったんだが、当たりだったってことだ」
黒井は僅かに残念そうにそう呟いた。
「イップスってことは、全国大会の怪我がきっかけになったのか?」
「だろうな。ドリブルで相手を抜くときに足が竦むとかそんなところだろう。あいつの武器はドリブル突破と外からのシュートの二つだった。その片方が無くなったんだ。鳥でいえば片翼もぎ取られたみたいなもんだ」
「何とかならないのか?」
俺の疑問に黒井が静かに首を横に振る。
「こればっかりは本人の問題だからな」
そう言うと、黒井は俺に背を向けて公園の外に歩き始めた。
「おい! 帰るのか?」
「ああ。今はバスケする気分じゃねーわ」
それだけ言い残して、黒井はその場から出て行った。
いっちまった。
何で黒井が神田のことをそんなに気にかけるのかってことを聞きたかったんだけどなぁ。
まあ、いいか。
神田のことは残念だと思うが、俺に何とか出来るような問題でもない。それに、俺も俺で音羽に好きになってもらうために頑張らないといけないしな。
そう思いながらも、その日は俺ももうバスケをする気分になれなかったため、大人しく家に帰った。
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